訪問004:たたらの里学習館(天児屋たたら公園)
久々の訪問xxxです。今回は宍粟市千種町のたたらの里学習館に行った記録を残します。2026年の春休みに訪れました。
宍粟市千種町西河内←どこ???
たたらの里学習館は宍粟市千種町西河内に位置しているのですが、そもそも宍粟市を知らない人もいるかもしれません…。それはさすがに困るので地図を見てほしいのですが、宍粟市の中でも千種町は北西部にあたり、美作市や西粟倉村と隣接しています。少し北に行けば若桜町です。R29と並走で鳥取に行く鉄道路線とかが若桜鉄道と繋がる形で仮にできてたら宍粟にも省線が走ってたのかなあみたいな妄想をしてみますが、R29は千種町を通っていないので縁のない話です。まあ高速のE29は智頭急行の方を走っているので思想とすら関係ないのですが。
その千種町の中でも北西部に位置する西河内は千種高原スキー場などを含み、西粟倉村の隣に位置しています。国道なんて贅沢なものは存在しません、通っている幹線道路は県道72号(幹線???)のみです。ここにたたらの里学習館は位置しています。

何か写っているのはガラスに反射した手とスマホです
公共交通機関のアクセスは、一日三本も!ウィング神姫という神姫バスの亜種が西河内の集落まで走っています。そこから徒歩25分ほどでたたらの里学習館までたどり着けます。正直始発の運行時刻が遅いので自家用車で行った方がいいです。
千種町は昔はたたら製鉄が盛んで、「千草鉄」としてブランド化された和鉄が長船の刀工集落や野里の鋳物師などに運ばれていたようです。そもそも中国山地はたたら製鉄に適した砂鉄・粘土・薪炭が得られるため、ここ千種をはじめとして西隣には永昌山鉄山(西粟倉村)や、宍粟市内にも数多くの鉄山・鉄穴山跡があったそうです。いまではたたらといえば出雲の方が有名になりましたが、江戸時代まではこっちも盛んだったんですね。ただ明治~大正期にここら辺の鉄山は近代的な製鉄によって生み出された洋鉄にコスト面で劣るようになってしまい、和鉄の生産を軒並みやめてしまったので、百数十年前ほどまでなんとか製鉄を維持していた日野町・日南町や雲南市などがたたら製鉄としては有名です。というか雲南市は現存する高殿があるらしくてびっくりです。

たたらの里学習館の環境
たたらの里学習館は、天児屋鉄山跡という日本でも有数の規模を誇るたたら製鉄所跡のそばに存在しています。天児屋鉄山跡は現在天児屋たたら公園として整備されており、これほど大規模なたたら製鉄所跡を広々と眺めることができるのは日本でもここだけだと思われます。

たたらの里学習館の裏には鉄穴流しなどに使っていたと思われる小川が流れており、この頃は雪解け水がたくさん流れていました。敷地内の建物の陰にはいくらか雪も残っていました。

12月から3月までは開館していないので、4月の初めに訪れたのだと思います。正直交通アクセスが良くないので、もしかすると今年初めての入館者だったかもしれません。入館料は大人200円・子供(小中生)100円で、高大生料金は無かった気がします(HPには載ってるのですが)。
たたらの里学習館の展示
たたらの里学習館は、天児屋鉄山についての学習の他たたら製鉄そのものについての学習に役立つ展示が為されており、実際に製鉄に用いられていた道具や周辺からの出土品、模型の展示などがされています。

入ってすぐに目を引くのは、天児屋鉄山の模型です。ちょっと上に乗っけた平面図と併用すると分かりやすいと思います。奥のスクリーンではたたら製鉄所での生活についてのムービーが流れていました(女性の織布作業など)。

色々と展示されている文書は、百姓とたたら師集団の約定だったり、逆に百姓が砂鉄採集の許可を役人に求める請願書だったりします。250年前以上の文書が普通に展示されていてびっくりしました。

農閑期に働いた百姓が要領を覚えて、生計の足しに銀を払って領主に砂鉄取りの許可を求めたもの
あとたたらの神として伝わる金屋子神についての展示もありました。金屋子神はじつは千種町に深く関わりがある神です。千種町の東側に岩野辺という土地があり、そこが金屋子神が高天原から降りてきた岩鍋という場所であるといわれています。そこから白鷺に乗って西へ往き、たどり着いたところに神社を建立したと伝わっています。島根県安来市広瀬町の金屋子神社の説明として、掛け軸などの複製物の展示もありました。
山内で炉場の指揮をとっていた村下の屋敷から発見された刀や、安全操業を祈願した宝剣、鉄鳥居などはおそらく本物を展示しています。金屋子神社周辺のたたら製鉄所で見つかったものだと思うのですが、なんでこっちにあるんでしょうかね?
建物の奥の面にはたたら製鉄の工程を紹介した絵があり、それに関連した物が展示されていました。絵はここには載せませんが、作業の様子がとてもわかりやすいのでぜひ実際に見に行ってください。
まず鉄穴口(堀り場)で花崗岩を切り崩し、井出(水路)に流して砂鉄と土砂を分けます。砂鉄は土砂より比重が高いので、先に沈みやすいのですね。なんか日本や世界の各地で採られた砂鉄が展示されていました。この砂鉄はどんどん池や水路の底に溜まっていくので、一通り鉄穴流しが終わるとそれをすくいあげて箱に入れ、60kgぐらいを背負ってたたら場へと運びます。
たたら製鉄に必要なのは砂鉄だけではなく、砂鉄の3,4倍の炭が必要です。このために周囲の山の木を伐りつくし、炭を焼きます。大炭・小炭とやらがあるそうで、大炭は砂鉄を熔かす炭、小炭は銑から割金をつくる大鍛冶用の炭だそうです。
もう一つたたら製鉄に必要なのが、炉を作るための土、元釜土です。完成した鉄の品質に影響するので、土の選定は村下の重要な仕事でした。

そして、村下の指示のもと鉄吹きが三日三晩行われます。炭と砂鉄をくべながらふいごで風を送り続けるこの作業は鋼押しとも言います。そして四日目の早朝に炉を壊し、できた鉄の塊(鉧)を鉄池に引きずり出して冷やします。この一連の工程(一代)を年間五十回、つまり五十代操業しました。


鉧はどう場(金偏に胴、漢字が出ない)でこぶし大に割られ、品質ごとに異なる用途に回されます。主に釼(鋼)、分鉧、銑の三種類に分けられ、銑は鋳物に使うのでそのまま出荷しますが、釼(鋼)と分鉧は左下場で再度加熱し空気を送って脱炭(炭素を減らす)します。この工程を経た釼(鋼)は左下鉄と呼ばれ、これを本場で鍛錬することで不純物を追い出し、質が均質な割鉄になります。このような左下鉄は日本刀などの材料にもなります。いわゆる玉鋼はこういう風に利用されるのですね。

ジオラマに並ぶもう一つの目玉展示は高殿・炉の模型です。高殿と書いてたたらと読みます。というか、たたらと読むものがあまりにも多いです。和鉄の生産形態のことをたたらと言うこともあれば、このように製鉄を行う建物のことをたたらと言ったり、そもそも炉に空気を送り込む足踏み式のふいごをたたらと呼ぶのがたたら製鉄の語源とも言われています。wikipedia情報なので正確性は知りません。
ここにある高殿の模型は横幅が18mほどあるものらしいです。左の手前と奥には炭が置いてあります。炭の間には鉄砂が置いてあるのですが、この写真では見えないですね。同様に右側には炉のための土が置いてあるのですが、わかりません。真ん中が炉で、左右にいるのはふいごを踏んでいる番子です。番子はふいご担当、炭焚は木炭をくべる担当、炭坂は炉場の副技術長、村下は技術長兼炉場の責任者です。

炉の模型では地下の様子が詳しく再現されており、とにかく下から湿気が上がってこないようにいかに地下を乾燥させるかについて解説されていました。炉を作る予定地には3m穴を掘って荒砂・砂利・真砂をにがりで固め、炭や薪で下部を焼いて乾燥させ、灰を叩きしめる作業を繰り返すそうです。

それと実際に使われていたふいごも展示されていました。ただこのふいごは模型に再現されているような人が上から踏む天秤ふいごではなく箱ふいごと言い、横から取っ手を抜き挿しすることで風を送っていました。

あと、やはり実際のたたら場が隣にあったことから、労働現場に関する展示が多かったです。ふいごもそうですが製鉄に使われていた現存する道具や、「たたら唄」という、たたらで働く労働者らが歌った労働歌・仕事唄が色々載っていました。

ほか地元の中学生がたたら製鉄を行って得られた千草鋼から作られた太刀と短刀や、鉄の納入に関する展示もありました。
天児屋鉄山跡
さて、展示を一通り見終えて外に出て来ました。たたらの里学習館のそばには天児屋鉄山跡がとてもきれいに保全されています。今度はこちらを見ていきます。

当たり前ですが、当時の面影を残すものはほとんど残っていません。石垣が山の斜面に幾重にも建設されているのを見てすごいなーと言っているだけです。ですがよくよく地面を見ると…鹿のフンだらけです。というのは冗談で(本当ではあるのですが)、操業当時の基礎とおもわしき石が残されています。ただ江戸時代からあるにしては表面がツルツルなのでひょっとすると後年の発掘調査の際に場所を分かりやすくするために埋めたのかもしれませんが、どっちにしろ建物がどの辺にあったのかは想像しやすいです。

一応どこにどの建物があったかは棒が立っているのでわかるのですが、まあどれがどの土地でも見た目は全部一緒です。そこらへんに鉄滓が転がっているのは分かるのですが、木炭の欠片が少し落ちていて、炭は風化しないって本当なんだなあと思いました。

金屋子神祀が木陰に隠れていて薄暗く、少し不気味でした。
敷地内で少し川をさかのぼると低木から花が咲いていました。google曰くミツマタだそうです。もうちょっと上流には群生していました。その上流の方は雑木林と化して石垣も半ば崩れていたのでそれより奥にはいきませんでした。

引き返す途中に掘り込まれた窪地を石で囲んだ場所があり、こういう場所は洗濯とかに使っていたのかな?とか思いました。地図と照らし合わせても山内小屋、つまり生活圏っぽいです。まあ現代の道路から外れた北側の斜面の方は全部山内小屋なんですけど。


このあと川の方で鉄滓?を拾いました。鉄滓にしては表面がすべすべしているのでなんか違うと思います。鉧を割った欠片とかだったら面白いな。


こんな感じで往年の雰囲気を想像しながら回っていたら昼過ぎになっていたので帰りました。
今回訪れたたたらの里学習館・天児屋たたら公園はなかなか訪問しにくい場所だとは思いますが、興味があればぜひ足を運ぶことをお勧めします。というわけで今回はこの辺で。この記事を最後までお読みいただきありがとうございました。
