きたふう #シロクマ文芸部
北風と書いて「きたふう」と読む。わたしの住む地方の郷土菓子だ。
羊羹に粉砂糖をまぶしたもので、特にこだわりの作り方があるわけではない。和菓子屋や、土産物屋で売られているものは、秘伝のレシピがあるかのように謳っているが、地元でおやつに食べられるときは、スーパーで売っている羊羹と、粉砂糖を皿に入れて、まぶしながら食べる。
地元の大抵の女性はこれが好きで、例えば百十三歳になるわたしの祖母も、気がつけばこれを食べている。
これが長生きの秘訣や、というのはもちろん冗談だとして、祖母はときどき、真面目な顔をして言う。
「忘れんときよ、これは、神様の食べ物なんやけん」
もちろん、このときの祖母は北風を食べてはいないから、こちらもなんとなく神妙な顔で頷く。
「もし、ばあちゃんがのうなっても、忘れんのよ」
そう、力を込めて言われるのだが、実際にはちょっと、もごもごとくぐもって聞こえる。北風を食べる分には問題のない口元も、すっかり衰えてしまって、でも、子供の頃から何度も聞いてきたことだから、ちゃんと伝わる。
祖母が言うには、この北風が今のような形になったのは、戦後のことらしい。よくよく聞けば、わたしが生まれる少し前、バブル期のことだそうだ。伝統もなんもないやん、とちょっとがっかりしたら、祖母は呆れた顔でわたしを見た。
「当たり前やろ、そんな昔から、粉砂糖なんか食べれるわけないやろ」
それもそうである。だいたい、羊羹に砂糖をまぶすなんて、贅沢というか、やりすぎである。
もともとは、升のような四角い木枠に、炊いた餅米をぎっしりと詰めたもの、だったらしい。豊作を祝う祭りで、神様にお供えする。
ところが、餅米が不作になり、どうしても木枠いっぱいに入れられなくなった年があった。升に入らないほどしか取れないなんて、今では考えられないが、昔は一握りしか米が実らないこともあったのだ。
その時、見た目を嵩上げするために、豆を炊いたものを底に入れた。神様に申し訳が立たず、みな、それはもう、必死の思いでやったことだという。
その、ごまかしは、神様に受け入れられた。次の年は豊作になり、そのあとには、子供も多く生まれた。近隣で飢饉や災害が発生した年も、ここは被害を受けなくなった。神様は、餅米より、豆が好きだったのである。
それがどこをどうなって、羊羹に粉砂糖を振りかけるに至ったのかは、諸説ある。祖母が言うには、老舗の和菓子屋が売り出したときにはすでに、この形だったらしい。
ちなみに、きたふう、の由来も曖昧だ。前に、祖母とその友人が話していたところによれば、漢字は当て字らしいが、彼女たちも正確な意味はわからないようだった。
最近ではどこの地域でも観光に力を入れていて、この辺りでもそれは変わらない。北風は、メインの土産物の一つとして、たまにテレビで紹介されていたりもする。
それもあってか、サイコロ大で手軽に食べられる北風や、まんまるの球体の北風など、バリエーションも増えた。
あろうことか、ハートの形をした桃色の北風が、バレンタインデーに売り出されているのも見た。観光客らしい若い女の子が、大喜びで勝っていたのを覚えている。まあ、売る方は、なんであれ、売れればいいのかもしれない。
果ては、「今北風」という、片手で押し出しながら食べられるスタイルも現れた。普通の北風よりもやわらかく、押し出されるたびに粉砂糖がまぶされていくように作られている。
ところで、この「北風」には食べるときの作法がある。大声で泣きながら食べなければならない、というものだ。
なぜなら、北風は神様の食べ物だからである。わたしたちが、神様の食べ物を口にするには、それ相応の理由がなければならない。他に食べるものもなく、北風を食べなければ、わたしも、この子も死んでしまうのだと、神様にわかっていただかなければならない。
そのために、泣く。
おいおいと、咽び泣きながら、食べる。
ときに粉砂糖で、実際に咽せる。
高齢の祖母も、元気よく泣く。まあ、ある意味、長生きの秘訣かもしれない。
「そうせんと、神様の贄になってしまうんやけん」
これも、子供の頃から、何度も聞かされた話だ。だから、近所で人が亡くなると、あの人は泣かずに北風を食べてしまったのだと、思っていたほどだ。
実際のところは試したことがないのでわからない。なんとなく、そうしなければならない気がして、いつも泣きながら食べる。
今年の敬老の日、この地域の住民が稀に見る長寿だとして、テレビで取り上げられた。もちろん、北風も登場し、それ以来さらに売り上げは伸びているらしい。
観光事業の手応えはよく、地域はとても潤っている。豊かになったからか、子供も増え、何より、亡くなる人がとても少なくなった。
わたしの祖父母も、友人の祖父母も、会社の先輩に至っては、曽祖母も健在だ。みな、北風をこよなく愛している。
しかし、ふと思うのだ。
土産物として買って帰った観光客は、あるいは、あれを土産として手にした人は、知っているのだろうか。もしかしたら、説明書きが入っているかもしれない。だけど、そんなものを信じるだろうか?
わたしは、若くして亡くなる人の話を聞くたびに、つい、北風を食べたのではないか、と思ってしまうのである。
(このお話はフィクションです)
シロクマ文芸部って、めっちゃ見かけるからなんやろって思ってて、面白そうなので書いてみようと思って、できたのがこれ。
他の方々の作品を読みながら、自分がアホにしか思えなくなってきましたが、せっかく書いたので出してみますね……。
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