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空を見上げて 著者の考察

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 この話を書こうとした理由の一つに、今年のテーマだったからというのがある。ぱちこはテーマに沿って創作するのが大好きなので、自分を盛り上げるために、毎年、活動テーマを設定していて、それが今年は「空を見上げて」だった。
 これは、創作全般においてのテーマになっているから、お話も例外ではない。しかし、これまで、ろくにこのテーマに合わせた活動をしてこなかった。
 去年からの創作活動の盛り上がりと共に今年こそは、いろんなジャンルでこのテーマで創作しようと意気込んでいたのが、まず一つ。

 もう一つは、今年の目標として、新しいお話を書いてやる!というのがあったこと。
 創作活動の盛り上がりの中で、断片を大量生産する中、だんだん、まとまったお話も書けるんじゃないか、否、ぱちこだってまとまったお話も書けるんですう、と言いたい気持ちが湧いてきた。
 さらに、過去の完結作を読み返してみて、たとえ他人から評価されなかったとしても、未来の自分は過去の自分の書いた話が好きだ、という事実に気がついた。誰が喜ばなかったとしても、ぱちこに楽しんでもらうために、お話も書こう、そう思って今年の目標に取り入れた。


 さて、そんなぱちこは年末に、大量の下書きを投稿するべく駄文を捏造しまくった。スマホで書いているときは、一文字ずつ書く面倒くささに、あまり筆が乗らない。今もスマホだからあまり進んでいかない。
 ところが、これがキーボードから打つとなると、アホみたいにどんどんと書けてしまう。あれはなんか、指の動きで脳が刺激されるせいで、妄想と言葉が溢れて止まらなくなるのだ。
 それとは別に、あちこちから発掘された謎の駄文も出てきた。
 時系列は飛びまくり、思い出した順に綴られる駄文。思い出したとも脱線しましたとも断られずに、ただひたすらに自分の主観だけで進んでいく駄文。
 人からどう見えているかは知らないが、書いている本人は辻褄が合っているし、おおよそ自由に書いているように見えて、あれはあれで、過不足なくまとめてある。
 などと言っているが、設計図はない。冒頭から文末まで、その場のノリで書くから、自分でもどうやってまとめてあるのか皆目見当もつかない。

 そんな調子で書きまくった文章を見て、回収に来たコニシさんが「私小説を読んでいるような感覚になりました」とコメントしてくださった。
 ふむ、とぱちこは考える。この調子で本、一冊分の駄文を書いたらどうなるんだろう? 着地点はなく、好き放題にあちこちを振り返り、いつもは長くても五千字ほどの駄文を十万字まで伸ばしたら?


 このチャレンジは、途中で放ってある。

 その過程で全く別のことを思いついたからだ。


 もし、この駄文形式でお話を書いたらどうなるんだろう。
 これまでぱちこは、正しく状況をお伝えすることばかりを重視してお話を書いてきた。ぱちこの脳内をしかとお伝えできなければならないと思ってきたからだ。
 しかし、よくよく考えてみれば、そんな必要は全くない。実際のところ、妄想が暴走していて、過去に書いた話の大半は、訳がわからなかった。しかし、文学は芸術である。訳がわかる必要があるだろうか?
 芸術とはパッションとインスピレーションである。あ、いや、もちろん、なんのはなしですかであり回収されることなのだが、それよりも大前提に、ぱちこの言う芸術における創作活動とは、エンターテイメントではないのだ。
 それは、ぱちこは周りを楽しませたり喜ばせたりすることが好きだから、楽しんでもらいたい、喜んでもらいたいという気持ちは大きい。が、それを上回って、さらに余りある願望が、自分の世界のすべてを自分にしかできない方法で、表現したいというものなのだ。伝えたいんじゃない、表現したいんだ、残念ながら。

 こうなったら、お行儀のいい作文の方法なんてのはくそくらえである。読んだ方は分かるかもしれないが、まず、三人称なのか一人称なのか判然としない。しないが、それでよいとした。昔のぱちこなら、真面目にどちらかに直したかもしれない。
 エマが、タキが、それぞれが思い出し考えるままに書いた。ぱちこが駄文を書くように。まあ、だからなんのことか、わからない人にはわからないだろうと思う。大衆に向けるつもりはないから、これもそれでよいとした。そっちの方が非常に書きやすかった。これからの人生、駄文で生きていこうかと思ったくらい書きやすかった。試み自体は成功だった。
 問題は、結局のところ、構成の割りを気にしてしまって、だからこそ、後半四分の一で、駄文の勢いが削がれた。話をまとめることをまだ気にしてしまっていたので、そこは猛省する。そんなことは考えず、もっと自由に進めるべきだった。この場合、そのべきも間違いではある。


 星空書房は、10年前くらいから脳内に存在していた。そのころから、住宅兼用の建物で、若い男が二人で暮らしていた。兄弟ではない。最初から、そういう状態で存在した。
 認知されてからこれまでの間に、雲岬町の建築デザイン事務所AAGによるCUBE計画に組み込まれて、設計図が書かれたり、ぱちこのイベント企画に組み込まれたり、ゆずこのほたるこつうしんに、店主が出演したりして、ちょっとずつ小さな設定は積み重ねてきた。
 とはいえ、もう一人いるはずの人間については、ぱちこすら知らないままで、薄ぼんやりした人物像しかなかった。
 名前が決まったのも直前。これは外国人の男でも女でも使える上で、日本で聞いたら女の名前にしか思えないもの、を考えた末、どうしても推しの名前から離れられなかったので諦めた。ちなみに、エマニュエルは、エマではなくて、マニュが愛称である。

 そういうわけで、書き始める前に決まっていたのは、

 この町はいつでも雨が降っている。

冒頭の一文

という、エマの主観で始まる一文だけで、なんだってこんなことを言い出すのか、そこから形作られていった。だってよ、なんだってそんなこと言うんだ、って本気でぱちこは思ったよね、雲岬町の創造主に文句を言うなんて、大概じゃないか。
 そういうわけで、二人ともの詳細な背景や性格やそのほか細々した全てが、文字が打たれながら勝手にできていく行き当たりばったりストーリーで、確かに、エマがいろいろ拗らせて行方不明になったところをタキが迎えに行く、という、よくわからない流れはあったのだが、それ以外の部分は真に全て、書きながら作られた。星空書房の名前の話も、書くまで理由は知らなかった、ぱちこでさえ。
 だから途中から、ごく現実的な話だったはずなのに、どんどんファンタジー風味になっていったことも、許していただきたい。知らなかったんだ、タキがそんなものを抱えてたなんて、ぱちこでさえ。だって、彼は大事なことは言ってくれないから。大事じゃないことばっか言って、ゆずこの余計な仕事ばっか増やしてさあ? 誰がやると思ってんの、ぱちこだよう!
 加えて、書きながら公開してしまったので、辻褄が合っているのかアヤシイ。出しちゃったから校正フェーズはなかったんだ。誤字は直そうかなって思うけど。

 話の流れから、あまり愉快な話ではないと分かっていたが、思った以上に面倒くさいことになって、何度も嫌になった。嫌になった話を人に読ますんかい、とも思うが、読んでくださった方には本当に感謝している。みなさんの気持ちが鬱々としなかったか、そればかりが心配だ。わたしはできれば、楽しい話を提供したい。読んだら楽しくて前向きになれる話がいい。
 しかし、芸術方向へ振れ幅を大きくしたら、こうなってしまった。何を書いてもラブコメにしかならないのに、どうしてこうなったのか、ぱちこが困っている。今度は、この駄文形式でもうちょっと明るめにいきたい。いや、もう絶対次はラブコメを書いてやるんだ。
 とはいえ、別にエマのこともタキのことも嫌いじゃないし、他のお話の登場人物と同じように愛している。書いていて思ったんだけど、エマの方が好きだな。考え方がおかしいよね彼は。頭の中が変っていうか。タキはなんていうか、考えがかたくて駄文で書くには書きにくかったよね。エマの方が駄文との相性がいいよね。エマは、何したらいいのか分かんないんだったら、駄文でも書いたらいいよ、ね、一緒に駄文書いて、小豆堂さんから出版してもらおうよ、ね?




#なんのはなしですか
#空を見上げて


 とりあえず、駄文でお話は成立するということと、仕事をしながらでも、長編を書くことは可能だということが分かったから、よかったかな〜と思います!

この著者の考察が
相変わらずわけわかんないよ



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