人生で初めて買ったCDラジカセが先月壊れた
小学校の六年生の11月に引っ越した。卒業間近に転校するなんて、と思う人もいるかもしれないが、これは本人の意向に沿うもので、かといって、決して元の学校が嫌だったわけではない。
理由は一つ、父が家を建てたから。
このことで、わたしはついに、魚、虫、貝、甲殻類ではない、毛が生えた大きな生き物と暮らすチャンスを手に入れた。
もちろん、わたしは猫が欲しかった。ところが、母に反対される。死んだときが悲しいから、だと言われ、セキセイインコをお迎えすることにした。
引っ越すまでも、引っ越してからも、わたしはあらゆるペットショップへ赴き市場調査を行なった。その傍ら、軍資金を貯め続け、一万二千円ほどを手にすることができた。さあ! あとはインコちゃんをお迎えするだけである。
それは、引越しから、ひと月半ほどした、クリスマスのことだった。父と母は、買い物に出掛けていた。このとき、なぜわたしがついていかなかったのかは、覚えていない。宿題でもやっていたのか、わたしは新しい家で一人で留守番をしていた。
帰ってきた母は、小さな箱を二つ、持っていた。箱には丸い穴が空いていて、中には、クリスマスカラーのインコがひとりずつ、入って、片方の目でこちらをおそるおそる見ていた。
なんのことはない。
母は、自分の飼いたい鳥を飼いたかっただけなのだ。このインコ、わたしのプレゼントにも関わらず、わたしがつけた名前は華麗に却下されたのが、証拠である。
どちらにしても、インコはかわいかった。
ちなみに、この瞬間まで、わたしは鳥たてて鳥が好きだったわけではない。母や母のすぐ上の叔母(母は十人姉妹の六女である)は鳥が異常に好きで、まあだから、ものすごく小さなときには、わたしの家にもインコがいたし、そのインコに生暖かく見守られていた記憶もある(わたしはお姉さんぶっていたが、彼らの方が完全に成熟していた)のだが、わたし自身はそこまででもなかった。
住んでいたところが、都会とは言えないが田舎とも言えない地域の住宅地だったせいで、鳥と触れ合う機会は少なかった。鳥どころか、生き物の気配があまりしない世界だった。それでも、あれこれ見つけては観察、捕獲、飼育の限りを尽くしていたし、なんなら、市が運営するふれあい動物園の飼育係体験(一年間)などを経て、出来うる限りに生き物と触れ合おうと頑張ったが、限度があった。
だから、このとき、初めて鳥と触れ合うことになって、この後、鳥の種類と数は増え、結果、母の思惑通りにわたしは鳥派になってしまった。
だが、ここで、インコを買うはずだったお金が宙に浮いた。そこで、これも残念なことに自分が考えたのではなく、母から耳打ちされただけなのだが、CDラジカセを買おう、ということになった。
新しい家に引っ越したことで、わたしには自室ができた。とはいえ、前に住んでいた社宅では、母とわたしが二人で住んでいたので、実質、寝室は自室だったわけなのだが、寝室には当時家を出ていた姉の勉強机があり、わたしの勉強机は、リビングの隣の部屋にある、という謎の二拠点生活だったのだ。
それが、わたしの荷物は一つの部屋にまとまった。ここで、毎朝聞いていた基礎英語を部屋で一人で聞きましょう、という話になったのだ。これまでは、リビングのラジカセで聞いていたのだが、集中して勉強できますよ、などという触れ込みだったと思う。ちなみに、わたしは自室があってもリビングで勉強していたので、これになんの意味があったのか、とは思うが、言わば、甘えっ子の下の娘を大人へ導こうとする母なりの教育方針と、後は、こいつ、いつでもリビングにいてそろそろうざくない?という思いもあったに違いないと思う。なぜなら、そこにいる限りずっとしゃべり続けるから。
しかし、そんな大人の事情に気がつくわけもないわたしは、二つ返事で喜んで電気屋へ連れて行ってもらった。電気屋は大好きだし、電気製品をわたしが買ってもいいなんて夢みたいな話だ。
わたしは電気屋で、丸いフォルムのCDラジカセを選んだ。お値段がちょうど予算に見合っていたことと、何より丸いフォルムだったことが大きい。全体も丸いが、ボタンも丸い。テープのボタンも角がなく、全部が丸っこい形をしている。
非常に近代的であった。
これが、今のみなさんに分かるだろうか。
七つ上の姉は、五年生のクリスマスに、ラジカセを買ってもらった。ラジカセである。CDなんてついてない。ラジカセだ。
わたしは今でも覚えている。この買い物に、わたしは両親とともについて行ったのだ。父はそのころ、三交代勤務をしていて、だからきっとクリスマス前の平日で、ただし、姉は学校に行っていて、ただし、わたしはなんの肩書きもない幼児だったから、ついて行ったのだ。姉が、ラジカセなる代物を買ってもらう瞬間に。
わたしは、当時四歳。秋の誕生日に、スティックのりと、はさみと、セロテープを買ってもらったところだ。それなのになんなの、ラジカセって!
でも仕方がない。わたしと姉とではフェーズが違う。もうそう考えられるくらいには大人だった。悔しいが仕方がない。わたしだって、いずれ、英語を勉強するようになったあかつきには、ラジカセを買ってもらうんだ、絶対に!
お分かりいただけるだろうか。
五年生のクリスマスにわたしはラジカセをもらっていない。由々しき事態である。
補足として、このときにサンタさんからディズニーの電子手帳をもらった。姉の時代にはなかったもので、心苦しいので記載しておく。
その、姉が例の16号沿いのアイワールドで買ってもらったラジカセは、白くて角ばっていた。薄い長四角で、真ん中にカセットが両脇にスピーカーがついていて、上にラジオの周波数を合わせる部分がついている。いわゆる当時のラジカセだ。
大事なのは、とにかく四角かった、ということだ。
対してこちらは平成をもう何年もやっている。二十一世紀までも秒読みだ(それは言い過ぎ)。そんな昭和の四角いラジカセなんて、もうダサい。電気製品も車も、何もかものフォルムが丸い時代だ。
しかも、ラジカセじゃない、CDラジカセだ。
姉と張り合いたい妹は、とにかく有頂天になった。それが、わたしが初めて買ったCDラジカセである。
彼には、非常に助けられた。
英語の勉強はさほど捗りはしなかったのだが、何より、エレクトーンの練習がやりやすくなった。CDが自室で聴ける、というのはそういうことだ。お手本をすぐにその場で聴いて、楽譜に起こすこともできるし、音色を調整することもできる。
これまでは、母にCDラジカセを使ってもよいですか、などと聞かなければならなかったが(嘘ですそんな丁寧には聞きません)、いつだって好きな時に練習したり、聴いたりできる。
一番、助けられたのは、母が入院してしまってからだ。
あれは春先のことで、たいてい、早春というのは風が異常に吹く。海風は信じられないほどに凄まじく、当時、隣にほとんど壊れかけて建っていたウナギの養殖施設のあちこちを煽っては、すごい音を立てた。あの廃材が、いつかわたしの窓を突き破るのじゃないかと、気が気ではなかったし、そもそも風が吹くのはあまり好きではない。
にもかかわらず、それを怖いと言える相手がいなかった。もちろん、父も姉もいたし、すでにわたしは十四歳だったのだから、そこまでいうことか、と思うかもしれない。でも、これを書いている今ですら、泣きそうになるほど、あの夜は本当に怖かった。
きっと、風が怖かったんじゃない。
そのとき、風の音を誤魔化すために、音楽をかけることを思いついた。
わたしは、タモリがナレーションをやっていた頃から、NHKの動物番組が大好きで、三歳のときに関東へ引っ越したときは、母にこの地にもタモリさんの番組があるから、大丈夫だ、と諭されたのを覚えている。確か、ホテルのテレビでそれを見て、安心した。遠く離れたけれども、タモリがいるなら安心だ。当時は、薬屋の前に、必ずタモリの大きい風船のおきあがりこぼしが置いてあったのも心強かった。
そんなわけで、わたしが持っていたCDというのは、エレクトーンの発表会やらコンクールで演奏するための生き物地球紀行のサントラだった。ちなみに、このCDは、単に好みの問題ではなく、非常に美しく幻想的でまさに母なる大地や海に抱かれているような気持ちにさせられる。
感謝すべきは、それを作曲した杉本氏にかもしれないが、それを奏でてくれたのはわたしの初めて買ったCDラジカセである。
CDを持っていたって、CDラジカセがリビングにしかなければ、どうにもならなかったのだから。
非常に残念なことに、結局にしてわたしは母とお別れするしかなかった。
その頃、わたしは小学校二年生で転校した学校で一緒だった親友と、ずっと文通を続けていた。不思議なことに今思い返すと、相手がこう言って、わたしがこう言って、そしてこう返事があって、というのが、まるでその場で話したかのように思い起こされるが、そんなことはない。
当時、関東と四国を手紙が行き来するのに、最低でも三日はかかった。
中学生になると、周りは最新の情報にいよいよ敏感になる。わたしの趣味はクラシックで、これもまた母に洗脳されただけなのであるが、好きな音楽を聞かれてそう答えると、笑われるようになっていた。
今考えても理解できないのだが、なぜ、クラシックミュージックがそんなに嘲笑の対象になるのだろうか。
友達には、こう言われた。なんか好きな音楽ないん、わからんってことはないやろ、こんなのが好きとかあるやん。だから、クラシックやねんて、いうのは全く伝わらないようだった。
このまま路線を突き進んでもよかったのだが、負けず嫌いなので、わたしもニューミュージックデビューしようと考えた。そこで、なんでも相談できるわたしの親友に、どうしたものかと書き綴った。
彼女はその頃、B'zに激ハマりしていて、いかにB'zがすばらしいかについてかたってくれて、確か、テープもくれたような気がする。ちなみに、わたしの友人には他にもB'z好きなやつがいて、こいつに至っては、高校のテスト勉強の間中、B'zをエンドレスでかけたものだから、わたしが覚えたのは、建築構造の方程式ではなく、B'zの歌詞の方だった、という恐ろしい事件もある。彼女たちには申し訳ない。どちらかといえば好きだが、ハマらなかった。
それはさておき、わたしの優しい親友は、手紙の大半をB'zで埋め尽くしつつ、最後に、ラジオが部屋にあるなら、ラジオを聴いてみるのはどうか、と提案してくれた。
そこから、わたしは夜、ベッドに入ってからコソコソとラジオを聴きはじめた。彼女が教えてくれた通り、ヒットチャートみたいなものを流してくれたり、よく知らない女優さんだか声優さんだかが、目の前には誰もいないのに、あたかも目の前にわたしがいるかのように話すのは、面白かった。なぜか、広末涼子の番組を聴いていた。ヒロスエが誰かもよく知らず、後から、有名な人だと知った。
フランスのワールドカップで、ゴン中山がゴールを決めた瞬間も、わたしはベッドの中でこのCDラジカセから聴いた。厳密には、完全に寝てしまっていたのだが、ゴールの瞬間に目が覚めたのだ。あの感動は忘れられない。
大してサッカーに興味のないわたしが、なぜ、その日、中継を聴いていたのかは、謎である。だが、歴史的瞬間に自分も立ち会ったのだ、ということと、それがこの初めて買ったCDラジカセだったことは、特筆すべき点である。彼もまた、歴史的瞬間に立ち会っている。
ちなみに、中山なる人物がどんな人かを知ったのも、後になってからである。
そんなことを、学校の友達に話したら、ヒットチャートを録音すればよいのだ、というようなことを伝授された。それを聴けば、わたしも流行りの女になれるらしい。そこから、好きな音楽を選べばいいのだという。
毎週のヒットチャートが放送されるのは夕方で、その時間は、わたしの入浴時間と被っていた。しかし、父に、ヒットチャートを録音したいので、お風呂の時間をずらしてください、とは言えなかったわたしは、浴室の外にラジカセを置いて、扉開けたまま録音した。アホだとは思うが、身に覚えがある人が、何人かはいるんじゃないだろうか。
これも、現代の人にはなんのことだかわからないに違いない。忘れてしまった人もいるかもしれない。カセットテープの録音は、そのとき、その場限りなのだ。後から編集なんてできない。しかも、予約だってできない。MCがやいやい喋るのなんかはいらないから、音楽の部分だけ録音したい。ここぞ!というときに録音ボタンを上手に押して、ここぞ!というときに止めなければならない。なかなかの職人技が要される作業なのだ。
わたしはこうして、ニューミュージックへの扉を開いた。しかしこれは、CDラジカセとの別れでもあった。わたしは、こんなにもわたしの世界を広げた彼をあっさりと見捨てて、3CDチェンジャー付きのKENWOODのMDコンポを買ってもらった。あの頃、父は、母がいなくなってかわいそうなわたし、が欲しいと言えばたいていのものを買ってくれた。それに乗じた結果である。
MDは、デジタル録音なので、編集が可能だ。ヒットチャートの録音も簡単になった。3CDチェンジャーは即刻壊れたため、このシステムには改善が必要だ、と感じたが、それでも進学に伴う上京時に連れて行ったのは、このMDコンポだった。
かわいそうに、わたしに見捨てられたCDラジカセは、その後、鳥たちが音楽を聴くのに使われることになった。特に、さきさん(オカメインコ)は音楽をかけてもらうのが好きで、ラブサイケデリコが大好きだった。彼が亡くなってからも、毎日、わたしたちは彼のためにCDをかけていた。
そう、ほんの先月まで。
先月、ついに、壊れてしまうまで。
さきさんが、音楽を欲していたのは、ひとえに、一緒に暮らしていたみどりさん(コザクラインコ)と別れて寂しかったからである。このみどりさんこそが、あの日、家に来たインコの片割れである。
彼は、母と別れたわたしを癒し、そしてみどりさんと別れたさきさんを癒し、ついに力尽きた。
あまりに長い年月だったから、振り返ると膨大だ。というのは嘘である。わたしとの思い出は、ほんの序盤でしかない。しかし、彼がいたから乗り切れた夜は多い。人生で一番多感で不安定な時期を支えてくれたことは間違いがない。
十年くらい前から、寒いと音が小さくなるようになっていた。霊障だと思って気にしていなかったが、年老いていたのだろう。
新しく買ってもらったMDコンポは、もう使わないし場所を取るから、という理由で、十五年前くらいに本体のみ廃棄した。考えれば勿体無いことをしたと思う。
MDも全て廃棄した。MDプレーヤーではなく、USB式のウォークマンに切り替えたからだ。パソコンとウォークマンさえあれば問題ない。
それだって瞬時のことで、今では、もうスマホさえあれば、音楽をいくらでも聴ける。古今東西のおおよそ聴ききれない量の音楽をほんのわずかな課金で聴くことができる。
今も、これを書きながら、亡きオカメインコのために、Macで音楽を流している。これを書いているのはiPadで、これらに通信させているのはiPhoneである。アホである。
ただ音がいまいちだ。

いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ、サポートをいただけるとうれしいです! いただいたサポートは、くもみさきまちの運営費に活用しています!