わたしが見ている世界
ASD、自閉症すぺ……なんとかが言葉としての市民権を得て、理解をしてくれる人やしてくれない人が増えた。わたしはわたしだから、なんとかかんとかかどうかは、どうでもいい。どうでもいいのだが、例えば、ASDをよく知らない方や、近くにそういう人がいるけどよく分からない、という方のために、大変分かりやすい例を提示しようと思う。
なお、すぺなんとかは、ざっくり言うと症例が幅広いという意味なので、全てのASDの人に当てはまるわけではないことを、お断りしておく。
わたしは、そんなわけで、心療内科に通っている。得体のしれない不安を解消するための薬をもらいにいくためで、四週間に一度、同じ曜日、同じ時間に通うので、大抵、同じ人が待合に座っていて、テレビではネットフリックスがサムネイル画像だけを延々と吐き出してくれている。ディズニー映画のテーマソングのオルゴール版が流れていて、サーキュレーターが作動している。
いつもと同じことはとても大事だ。
最初に、この病院に決めた一番の理由は、病院のサイトに、入り口から待合、待合から診察室までの動画が載せられていたことだった。なんてよく分かっているのだろう。知らないところに行くのがどんなに怖いか。きっとこれを載せている病院の先生なら、怖い人ではないだろう、そう思ったのだ。
だから、いつもと同じことはとても大事だ。
診察室の左手にデスクがあって、先生はその向こう側に座っている。パソコンの横に、三ヶ月分の小さなカレンダーが置いてあって、年が変わってもいつも同じカレンダーだ。わたしは、先生を見るのは怖いので、カレンダーの数字と話をする。普段の生活では、人間に擬態しているので、相手の顔をチラ見することもあるが、ここでは、先生を見ていなくても失礼には当たらないだろう。だから、たまに、ごくたまに自分の機嫌がいいときだけ、先生をチラ見する。
とにかく、いつもと同じことはとても大事だ。
あるとき、病院に行ってみたら、待合に人が溢れていたことがあった。それだけでわたしにとってはパニック寸前だったが、落ち着け自分、そういうこともあるだろう、と、一生懸命に呼吸をしながら椅子に座りたいのだが、いつもの場所が空いていない、どうしたらいいんだ、どこに座ったらいいんだ、どうしてみんな、均等な間隔で座っていないんだ、どうしたらいいんだ、全員を等間隔に並べ直したい、だめだ、そうじゃないんだ、どこに座ったらいいんだ。
病院はわたしにとって、人間に擬態しなくてもよいはずの場所だったので、完全に油断していた。すでにもう、若干震えながら、どうにか人の隙間に腰を下ろす。横の人が近すぎる。
この病院は別に発達障害の人のためにできているのではないから、普通の人もたくさんくる。普通の人はものすごく普通だから、付き添いの人と大きな声でおしゃべりをしたりする。人が多いとその分、普通の人も増えるから、おしゃべりをしている人は断然多くなって、世界が異常にうるさくなってしまった。無秩序すぎて耐えられない。
それどころか、受付の横にある小部屋から、断続的にバチバチバチバチという音がしていた。
ASDはその状態に幅広い程度の差がある。グレーゾーンで診断がつかなかった、という人もいれば、過去にそうであった自閉が強い人もいる。程度が強く出ていても、そのほかの能力によって日常生活で人間に擬態できる場合があって、わたしはその人間に擬態できる能力を身につけている。だから普段は世界には予期せぬできごとが起きるものだと学習した結果、電車やバスの中で、よほど自分の具合が悪くない限りは、パニックにはならない。
だが、病院は、人間に擬態しなくてもよいはずの場所だったから、油断していた。
落ち着け自分、病院なんだ、人がいることはあるだろう。
もう一つ、わたしには初めて起きている事象でも、ごく短い時間で何が起きているか全貌を掴む能力もある。ある意味、これがあるからこそ普段、予期せぬできごとが起きても対処できるのだと思う。察するにこのばちばちいう音は、病院がちょっと前からその辺に貼って宣伝していた、うつ病の治療を電気刺激で行うというものに違いない。それがこの小部屋で行われているのだ。
しかし、理由がわかったからといって、わたしの混乱は治ることはなかった。もう耐えられない。耐えられないのでヘッドホンをしていようか。しかし、そうすると、ただでさえ、名前を呼ばれてもそれが自分のことかどうか分からないのに、聞こえずに聞き逃してしまう。もう、一度ここから出さしてもらおうか。耐えられないので、外で待っています。おそらく理解してはもらえるだろうが、外ってどこだ。外にはビルの階段しかない。その上、その案には恐ろしいハードルがある。受付の人に話しかけなければならない。だめだ、そっちができそうにない。受付の人は、最初に診察券を渡して、最後にお会計をするとき以外は話さない。これ以上いつもと違ってたらもう無理だ。
わたしは必死で耐えた。
いずれ、いずれこの苦行は終わる。こんな目に遭うとは思っていなかったが、これからは、こんな目に遭う日もあるかもしれない、と刻んでおけば、今後はこんなに怖い思いをしなくてすむだろう。
やがて、小部屋の中の音が止んだ。中から男性が出てきて、今度は受付で別の男性が呼ばれて小部屋に入った。ほっとしたのも束の間、またあれが聞こえるんだと思うと、憂鬱になった。
診察室のドアが開く音がした。中から人が出てくる気配がする。出てきた人が待合室までやってくる足音がした。おかしいな、今は誰も呼ばれていなかったはずだ。
その人物は、わたしの目の前を通り過ぎる。
えええええええええええ!?
先生が歩きよる!?
わたしの混乱は最高潮に達した。パニックになって体が震えてきた。もう半泣きだ。そんなかわいそうなわたしの中の一部のわたしが、冷静に判断を下す。なるほど、先生が電源のスイッチを入れないかんのやな、医療行為やから。
そんなことどうでもええねん、先生歩いてる、どうしよう、先生が歩いてる、先生が歩いてる……。
その後、診察室に呼ばれた。先生はきちんと机の向こうに座っていた。とりあえず、そのことにほっとしたが、わたしはパニックから抜け出せないでいた。どうですか、と聞かれて、今この瞬間、いつもより人がたくさんいたので怖くてもうだめです、と答えた。先生は、そうか、そうだよね、ごめんね、と言ってくれた。でも、本当に怖かったのは、あなたが歩いていたことなんです、とは怖すぎて言語化できなかった。
これがとあるかわいそうなASDの人間から見た世界の一部である。
考えたらわかるやろ?とお思いかもしれない。だけどね、じゃあ、こう考えてみてほしい。
あなたは、夜、家に帰ってきました。家の中の電気は消えています。
鍵を開けて、ドアを開けると、真っ暗な玄関に死装束を着た女の人がぼうっと立っていました。
どうだろうか。大抵の人は怖くて悲鳴を上げるのではないだろうか。ガタガタ震える人もいれば、あまりのことに失禁するかもしれない。
普通の人間の脳も、予期せぬできごとが起きると、混乱をきたす。それを恐怖と分類する。ASDの場合、受け入れられる予期せぬできごとの範囲が、非常に狭いのだ。おそらくは、あなたの想像以上に狭い。
場合によって、この「受け入れられない現象」を「わがまま」と取られることも多い。本当に無理なのに、周りにわかってもらえなくて辛い思いをした同士は多いのではないだろうか。そんなこと、みんな我慢してるでしょ、と言われて鼻で笑われたこともあったんじゃないだろうか。
では、聞きたい。
家に帰って亡霊が目の前に立っている状況で、同じことを言われたらどう? 怖くて家に入れないの、わがままって思う? 思わないよね?
頭がおかしい、と言われることもあるが、それは的を得ている。頭はおかしい。脳の働きがちょいと普通の人と違うことは認める。ただ、その「おかしい」は、何かから大きく外れているわけではない。構造そのものは、誰もが同じで、閾値がちょいと違っているだけなのだ。だから、起きていることは同じなのだということを、分かっていてもらえれば、ちょっとは何かの助けになるかもしれないと思う次第である。
ちなみに、ASDは生きづらいと言われてるけど、別にぱちこ自身は生きづらかったことはない。
確かに、先生が歩いているだけでパニックになれるなら、生きづらい気がするけど、本人はそのことに全く不便を感じてはいない。
鳥乱すのも
そのせいだよ笑

頭がちょっとおかしい
ぱちこの
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