ステルス 2
これまでのお話は
国家機関に就職したコハルは、まるで役立たず。半年間、上司や先輩から散々に言われながらも、懸命に働いてきました。
しかし、半年の査定試験中、コハルのコンピュータはクラッシュ、付近一帯の停電とシステムダウンが起きてしまいます。
あるあるだよね
「そもそもさ、お前がナントカカントカ局なんてモンに入れたこと自体、大間違いだったんだよ」
コハルの荷物をエッグに積み込みながら、勇鈴(ユリン)が言った。彼はコハルの幼なじみで、彼女よりも二つ年上だ。
赤茶の巻き毛は幼いころから変わらない。黒く丸い目と丸顔のせいで、久しぶりに会っても、やはりまだ大人には見えなかった。
「……ナントカカントカじゃ、ないよ。コッカボウエイ局ツウシンホアン部」
「じゃ、コハル、それ、漢字で書けんのかよ?」
う、と彼女は詰まって、口を尖らせた。
試験の途中で起きた事故は、通信保安部のメインコンピュータの故障にまで至った。一時機能停止に陥った本部から、コハルの元に届いたのは事実上の解雇通知だった。
査定は途中のままだ。確かにコハルの使っていた端末が発端のように見えたが、こうなったことに覚えはない。
しかし、自宅に戻って謹慎、部隊員資格も抹消、詳細は後日通知する、と言われれば、コハルには逆らう術がなかった。
実際、橋谷の元に挨拶に出向くと、まだいたのか、と言われた。後は一縷の望みに掛けて、家でおとなしくしている他ない。
そんなものがあれば、の話だが。
勇鈴が迎えに来てくれたのは、荷物が多いからではない。エッグに乗れば、下層の居住区まで到達できるが――何しろ、コハルはエッグの操作が苦手だった。
「ま、お前の場合、カタカナで書けっても読めねえけどな」
早く乗れ、と彼はエッグの席を指した。中に入るなり、乱暴にドアが閉まる。勇鈴が席に着くと、エッグはゆらゆらと揺れ、積んだ荷物が背後で崩れた。
「ようし、出発!」
彼は叫んだが、動き出すまでには、しばらく間があった。ガクンと大きく前に傾いでから、ようやくエッグが動き出す。
全く、このオンボロめ、と勇鈴は罵った。真っ直ぐに飛び出したエッグは、大きな縦の通路に入る。
コハルは高速で近付いてくる森の梢を見下ろした。
彼女たちの暮らす空間はツリーと呼ばれている。本物の樹が枝葉を伸ばすように、地上から空高く筒状に建てられた構造物だ。枝に当たる部分からは、たわわになった果実のように、居住空間――ボックスが吊り下がっていた。
ボックスやツリーの外壁は、光を反射する造りになっている。内側からは地上に広がる豊かな自然が見渡せた。コハルの生まれ育った場所は、なだらかな丘の上で落葉樹の森が広がっている。勇鈴の住むボックスまで行くと、遠くに湖と川が見え、秋になると渡り鳥が見られた。
移動に使われるエッグには多くの種類がある。ツリー内の移動はもちろん、ツリー間の行き来や、居住空間を備えた旅行用のエッグもあった。中には、太平洋を一人乗りのエッグだけで横断する者もいる。食事のデリバリーが来ない洋上では、外へ出て魚を釣ったり、無人島の果実を食べたりするのだそうだ。
ツリーが完成して、すでに四十年余りが過ぎている。コハルたちの世代になると、滅多に地上には降りなくなっていた。
彼女は勇鈴たちと学生時代に一度だけ、興味本位でツリーを出たことがある。森になっていた赤い小さな実は、ツリーの中で食べる物よりも甘く、果汁がたっぷり詰まっていた。
夢中になって食べた彼女たちは、代わりに後日寝込むことになった。
それ以来、率先して外へ出ようとは思わない。
だからこそ、だろうか。
ツリーの中は、上層と下層にくっきりと分かれていた。
地表から遠く離れた上層に住む、裕福で恵まれた者たち。下層の暮らしが苦しい訳ではないが、明らかに差異はあった。
世界には区切りは無いことになっている。人類は皆、平等で、誰もが豊かなツリーでの暮らしを享受している。
もちろん、それは理想であり、上層に暮らす者たちの建前だ。
いつの世にも、人が暮らす限り格差はある。
防犯上、もしくは緊急時のためとして、ツリーの要所にはゲートがある。しかし、上層との境だけは対面式のチェックがあり、原則として下層の住民が通ることはできなかった。
樹冠すれすれで、エッグの動きが緩やかになった。小さな通路にするりと入る。その先は大きなボックスだった。エッグの停留所と休憩所を兼ねたこの辺りでは唯一の広場だ。エッグの通路はここで一度終わる。
ガタガタと前後に揺れてエッグが止まった。プシュウと気の抜けた音がすると、完全に動きを止める。
「やれやれ、ほら、コハル、降りろ」
広場には、多くの人が行き交っていた。
エッグに乗っていたときには気にならなかったが、天井からはいくつも繭が下がっている。壁際では、人の動きに合わせて揺れ動き、ときどき弾けては虫が吹き出していた。
コハルは、ぞくりと背筋が震えた。なぜ、皆は普通でいられるのだろう。
「おい、お前の荷物だろ、少しは持てよ」
勇鈴が大きな旅行鞄をコハルに押し付けた。ごめん、と彼女が慌てて受け取った時だった。
すぐ近くを歩いていた男が、呻き声を上げた。周りにいた人が何事かと彼を振り返る。
まだ若く三十代にもならないほどの彼は、頭に手を当てて、膝をついた。
手にしていたコーヒーのタンブラーが落ち、中身が零れる。
彼の頭と左手首は、赤茶けた靄に包まれていた。
靄が男にするりと吸い込まれる。
彼は前のめりに崩れ落ちた。
どさっという音が、やけに耳に付いた。
周りにいた人が、電流が走ったように飛び退く。
一瞬、しんとなって、すぐに誰かが救急、と叫んだ。
だが、誰も彼に近寄ろうとはしない。
助けないと、と歩み寄ろうとしたコハルは、勇鈴に腕を掴まれた。
「……なんで?」
「うつるかもしんないだろ。訳が分かるまで触んなってことになってんだよ」
ああ、と彼は頭を振った。
「お前、いなかったもんな……上層では起きてないんだろ?
こっちでは、もうかなりやられてんだ。オレもさ……目の前で見たの、これで五人目」
コハルは彼を振り仰いだ。勇鈴は渋い顔をしていた。
彼女が引っ越す前から、原因不明の突然死は囁かれていたことだった。しかし、ここまで頻繁に起こっていただろうか。
それに、とコハルは人垣の向こうに倒れた男をちらりと見た。彼を覆っていた靄は、今はどこにも見えない。
「あんな速さで……」
「ああ、あっという間なんだ。分かるだろ、防ぎようがない。ほら、いいから行こうぜ」
勇鈴に促され、コハルは歩き出した。サイレンの音がして、救護が到着したようだった。二人は広場を後にした。
乗り換え先の広場まで、彼らは十分ほど歩いた。通路はさらに狭く入り組む。そのいたるところに繭が下がっていた。
「そんで、お前、これからどうするんだ?」
「……どう、って……」
コハルは繭を避けて歩きながら、顔を曇らせた。勇鈴も他の皆と同じように構わず歩いていく。
「仕事だよ。働かなきゃ、生きてけないだろ? 突然、無職んなって……あ、手当とかあんのか?」
「……たぶん」
「何だよ、たぶんって。相変わらず困ったやつだな」
前を歩いていた彼が、コハルを振り返った。ちょうど腰をかがめていた彼女を見て、彼は変な顔をした。
「何やってんだ、お前。ついに、まっすぐも歩けなくなったのか?」
「……ち、違うよ」
「ま、お前がヘンなのなんて今さらか。
そんなヘンなやつ紹介すんのは気が引けるけどさ、オレんとこ、人手が足りないんだ。アレ絡みで……」
勇鈴は語尾を濁らせた。彼は通路の左手にあるボックスへ入る。コハルも後に続いた。
先ほどよりも小さなエッグの停留所だ。二人の他に人はいない。
停まっているエッグは二人乗りの旧型で、コハルの荷物まで載せるとかなり窮屈になりそうだった。
「実は、主任には話してあんだよ。お前さえよければ、明日にでも来てみろよ。
なんつーか……猫の手も借りたい、だっけ?」
「……猫よりは、役に立つもん」
コハルは口を尖らせたが、橋谷の言う通り、再就職先を探さなくてはならない。口を利いてもらえるなら、ありがたい話だった。
「オレもそう願ってるよ」
勇鈴が肩を竦めてエッグに触れた。
いつから停まっていたのか、表面には繭ができている。
ドアが開いた振動で、ぱっと繭に亀裂が走った。いつもの虫が飛び出す。
続いて出てきたものに、コハルは体を凍り付かせた。
褐色の細かなものが、辺りに飛び散る。
空中で一つの塊になると、一番近くに立っていた勇鈴に吸い寄せられるように動いた。
「……ゆ、」
彼女は手を伸ばした。彼は全く気がついていない様子だった。振り返りもせず、エッグの電源を入れる。
その途端、勇鈴を目指していた靄が向きを変えた。
コハルには、エッグの操作盤に向かって、強い風が吹いたように見えた。靄が操作盤に吸い込まれる。ビリッと音を立てて、エッグが震えた。
わっ、と勇鈴が飛び退く。
「何だこいつ……」
エッグは完全に動きを止めていた。彼は中へ入って、操作盤を叩く。
「ちっ……壊れやがった。これだから下層は。最近、ますますボロが進行してんだよ」
勇鈴はエッグから出てくると、腹立ちを紛らわすように開いたままになっているドアを蹴りつけた。後ろに停まった別の一台へと大股に近付く。
「まったく……今度はちゃんと動いてくれよ。って、コハル?」
彼はようやくコハルを振り返った。
「何、ぼんやりしてんだよ?
お、こっちは動くな、よしよし……ほら、バカみたいに突っ立ってるなよ。さらにバカになりたいのかよ」
「……だって、今、」
「なんだー、お前、あれか? 上層で贅沢に慣れちまったんだな。
下層ではな、人も機械もイカレてんの。思い出してくれよー、これからはお前もそうやって生きてくんだからな」
コハルは、仕方なく足を動かした。次のエッグには繭は付いていないようだった。
さっきの靄は、明らかに繭から出てきた。なのに、どうして彼はそれが怖くないのだろう。下層ではそれも当たり前なのだろうか。
「……ゆ、勇鈴は、怖くないの?」
「何がさ?」
上手く話せなくて、コハルはもどかしく手を動かした。
「だ、だって、死んじゃうかもしれないんだよ」
どうした、と彼は傍に来ると、彼女の背を一つ叩いた。
「今さらアレが怖くなったのか? けどさあ、死ぬのなんて、どうしようもないだろ。
オレもお前もさ、死ぬときは死ぬんだよ。そーんなの、どこにいたって同じさ。
運が悪けりゃ死ぬ、良けりゃ生き残んの。イチかバチかだな」
「……そんなの、ヤだよ……」
「もう、何をガキみたいなこと言ってんだよ。大体、怖がったってしょうがないだろ。
アレから逃れる方法なんて、誰も知らないんだからさ」
コハルは瞬いて勇鈴を見上げた。
「……で、でも、防げること、しないと……」
「防げること? 神に祈るとか?
上層ではそんなのが流行ってんのか? だから、死ぬのは下層だって?
まさかぁ……今さら神に何を頼むんだよ。さ、早く乗れよ。オレ、この後、行かなきゃなんないからさ、ほら、人手、足んないんだから」
彼女はぐいぐいと勇鈴に背を押されてエッグに乗り込んだ。次は無事に発進したが、エッグの乗り心地は悪かった。こんなに不便だっただろうか。
ガタガタと不規則に揺れながら、さらに下層へと向かう。
辺りはすっかり緑色だ。木漏れ日の奥に、コハルのボックスが現れる。
荷物を運び入れると、勇鈴は慌ただしく去っていった。気を付けてねと彼女が掛けた声が聞こえたかどうかも分からない。
コハルは、大きく息をついてボックスのドアを閉めた。
彼女のボックスは、部屋が一つだけの最もシンプルなタイプだ。課長の仕事場よりも狭い。
机の上は就職試験の勉強をしていたままになっていた。奥のベッドからは、掛布団がはみ出している。
十年近く暮らした家は、懐かしさよりも彼女を空虚な気持ちにさせた。
半年、無人だったボックスに、繭が吊り下がっていないことだけが、唯一の救いだった。
ちゃんと続きます

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