ステルス 7
これまでのお話は
上層との出入りが閉ざされたことで、コハルの住む地区全体が、大きな一つの繭になってしまいました。
コハルは、下層での封じ込めのために切り離されたのだと思いいたります。
諦めちゃうのか?
どうして、と口を開いたのは槇だった。
「通信機器を伝って出て行かないのでしょう。
電力網が繋がっている上層でも、人には影響が出ない程度。性質から考えれば、もっと広がっていてもおかしくありません。
しかし、病の蔓延はこの一帯だけ。厳密に言えば、通信保安部本部の直下」
コハルは思わず顔を上げた。二人は難しい顔をして黙り込んでいた。
「どちらにしても、まずは事態の鎮静化だ。悠長に死滅を待つわけにはいかない。いつ、どんなアクシデントで繭化した下層が開くとも分からない。
となると」
橋谷は立ち上がって、窓の傍に寄った。相変わらず外は眩しい。太陽は傾きかけていたが、まだ木々の葉を青々と輝かせていた。
彼は窓の上部にある通気口に手を伸ばした。ガタガタとしばらく揺すって、こちらに向き直る。
「動かないか。これが狙いだったなら、仕方ない。
槇、相原。手動で開く通気口もあるはずだ。探して開けろ。俺は電力が復旧しないか確認する。白岡。お前は俺と来い」
短く返事をした二人を尻目に、コハルは答えを躊躇った。
「返事は」
「……は、はいっ」
橋谷に迫られ、彼女はいつもの癖で反射的に答えてしまった。そんなコハルを橋谷は鼻で笑った。
「この社会に絶望するのは、後で勝手にやれ。民間人は国家の防衛に協力する義務がある。役目を果たした後、存分に嘆き悲しめ」
「相原君、念のため、端末は一つずつ電源を入れて携帯して下さい。
まだ生きている繭があっても、それで防げるはずです。白岡さんは、課長を必ず守ること」
槇は言いながら、左腰につけていた銃をホルダごと外した。コハルの前に差し出される。電気銃だった。
「さすがに使えますよね。撃ったこともありますね?」
「……は、はい、そのう、訓練で……」
「その顔を見るに、成績は聞く必要もないな」
橋谷が呆れた顔をした。槇は眉を顰める。
「万が一の時には、撃ってほしいのですが。その目は射撃には役に立たないのですか」
「愚問だ、槇。目以外は駄目だと言ったのはお前だろう。
こいつは、頭の回転が遅い。撃つと判断するまでに時間が掛かる。
今撃つところだろうか、失敗するだろうかと考えて、好機を逸する。
目が良すぎるのも問題なのだろうな。自分から的の間に、俺たちには分からない有象無象が見えている。
障害物ありと判断してしまえば、これまた、撃てない。
対象を確認後、考えず撃つことができれば、命中するだろうな。
訓練の方法を間違っていたとしか言いようがない。特殊な人間には、特殊な教育が必要だ」
自分が今まで闘っていた世界が説明されるのを、コハルは変な気分で聞いていた。
彼が当たり前のように分析しているのが、不思議でならなかった。認めてもらえたのか、信じてもらえたのか、自分でも実感が持てない。
「文字が読めない、書けないのも、同じ理由だろう。掃除に阿呆のように時間が掛かったのも、そうだな」
橋谷は念を押すようにコハルを見たが、彼女はどちらとも答えられなかった。彼がそう言うのなら、そうなのだろう、と思うだけだ。
「よくそれで、普通に生活できましたね……」
「愚図で鈍間。そう思えば周りは気にしない。目のせいだけではなさそうだが。
白岡。そういうわけだ。
お前は余計なことを考えるな。見えた物だけを報告すればいい。それで充分だと心得ろ。不本意だが、今のお前は俺にとって必要な人材だ。それを忘れず働け」
さあ行くぞ、と橋谷が言って、四人はボックスを後にした。外で様子を窺っていたらしい人々が、ドアが開くのに合わせ、慌てて立ち去っていく。
槇と相原も、互いに言葉を交わしながら足早に去った。
「今は?」
橋谷が歩き出しながら言った。コハルは一瞬、考えて、慌てて答える。
「……はい、虫が減りました」
「減った? 羽化か……蛹か?」
「……分かりません。靄が増えて……」
「さっきから思っていたんだが……俺たちはそれを吸い込んではいないのか?」
コハルは辺りをよく見てみた。自分ではなるべく吸わないようにしている。
「……重いみたいです。普通の呼吸では、吸えません。でも……思い切り吸っちゃうと……」
「それはどうなる?」
「吐くと、出ます」
そうか、と橋谷は何とも言えない顔をした。心なしか、彼の呼吸は浅くなる。知ってしまえば気分のいいものではないだろう。
「他に変わったことがあれば、報告しろ」
「……はい。あのう……課長は、どこから来たんですか?」
下層の通路を迷わず進む彼に、コハルは尋ねた。上層階へと向かっているようだ。
「えっと……隔離、されてるのに、どうやって来たんですか?」
「貨物用の通路だ」
橋谷は事も無げに言った。そして、人で溢れる通路を逸れる。
細い通路の先で、彼は壁の一部をガタガタと揺すった。人ひとりがようやく通れるほどの入り口が現れる。
「貨物のゲートは初めからチェックが甘い。上層が躍起になって防ぐのは下層からの侵入者だ。上層からだと、案外簡単に通過できる」
裏の通路は暗かった。窓はなく、灯りも消えている。足元にはエッグを走らせるための線が引かれていた。
その上、と言って、橋谷は通路の先を指差した。通信保安部のエッグが停まっていた。
「ここはエッグでしか通れない。下層のエッグは、通路からの電力供給でしか動かないだろう。
つまり今、ここを通るやつはいない、というわけだ」
「……だったら、上から電気、持って来れますね」
コハルは希望が見えた気がして、明るい声を出した。
「あのな……上層側を開けるわけにはいかないだろうが。
お前は帰れだのなんだの言っていたが、どのみち、無理だ。下層にいる以上、同じというわけだ」
「……ああ、はあ……」
いいから乗れ、と橋谷はエッグを指差した。コハルは首を傾げながら、言われるままに乗り込む。ならば、どうしてエッグに乗せられているのだろう。
腰を下ろすと、柔らかな座面に体が沈み込む。すっかり忘れていた感覚に、彼女は小さく声を漏らした。
すぐに隣に橋谷が座り、ドアが閉まる。エッグは滑るように動き出す。通路が暗いせいで、分かり辛いが、かなりのスピードが出ているようだった。
単調な窓の外を見ながら、コハルはだんだん眠くなってきた。思わずあくびが出そうになったとき、エッグが不自然に揺れた。
橋谷を見ると、眉間に皺を寄せエッグの操作盤を忙しなく叩いていた。窓の外は相変わらずで、エッグは調子よく進んでいる――そう思ったコハルは、あっと声を上げた。
「……う、ウイルスが! 飛んでいきます!」
「何」
答えた橋谷に向かって、斜め後ろから小さな光の粒が飛んでくる。
「あ……通信が来ます」
橋谷がぎょっとした顔でコハルを見た。彼の腕にはめられた端末に、緑のランプが灯る。
電子音が鳴った。
まじまじとコハルを見ていた橋谷が、我に返ったように応答する。
「何だ!」
『上部で事故。何かが爆発した模様』
槇の声がした。
「割れたのか、おい、白岡!」
「……は、はい、あの、上に飛んで」
コハルは窓の外を食い入るように見ながら言った。靄は、エッグよりも速いスピードで上層を目指す。
「現場に急行。下層を押さえろ」
了解という声と共に、通信が切れる。橋谷が操作盤に何かを打ち込むと、エッグがさらに加速した。
「間に合うか」
いいえ、とコハルは答えた。ウイルスが出て行こうとする力の方が、さらに強かった。
たぶん、続きます……

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