よりよく生きる 2026.5
みなさん、こんぱちは。内容的にこんぱちはってテンションの話ではないのですが、許してほしいぱちこです。
本来はこの「よりよく生きる」も収録予定だったのですが、全く間に合っていないので、記事にすることにしました。
先日、ゆずこさんが「物語を楽しむ」に関して記事を出してくれていますが、今回は「よりよく生きる」に関して書こうと思います。
それ以前に、このnoteでは一度もこれについて書いてこなかったので、突然なんの話やねん、と思われるかもしれません。
ですから、今回は真面目に最初の部分から書いておこうと思います。
毎日が小春日和
数年前、わたしは訳あって「人を助ける」ことをとある筋の方から示唆されました。この話は非常に荒唐無稽で、わたし自身が信じられないので割愛しますが、そう言われると助けなければならない気がしてきて、何か行動を起こさなければならないと感じました。
とはいえ、誰も具体的な指示をしてくれなかったので、自分のできることを考えなければなりません。どうも、道端で会った老婦人に手を差し伸べる系の話ではない、ということと、精神的な何かであるような気がしたので、とりあえず、そっち方面で考えることにしてできたのが、「cortaho」と「毎日が小春日和」の活動です。
単純にいえば、自分のできることを提供して困っている人の力になろう、というだけのことなのですが、なぜかわたしは広い意味での「問題解決」にフォーカスしました。意味が広いのでフォーカスしていませんが。
「cortaho」で占いを始めたのは、困難に直面したとき、問題解決の糸口を「神秘性」に求めるか「精神的な寄り添い」に求めるか「現実な手法」に求めるか、人によってさまざまだと考えたからです。
困っている人がやってきたときに、そのどれか一つしか提供できないのでは、助けになることはできません。とは言っても、いずれにしたって全てを網羅することはできませんから、自分のできる範囲に限られますが、できることは全てやろう、といつもの通りに熱い気持ちで始めました。
なんてことは、誰も知りません。
これまで、だらだらと活動していたせいで、まさかわたしが何か熱い理想を掲げて占いを毎朝(たまに忘れて夕方に)、毎週、毎月、毎年、せっせと書いていたとは誰も知らないでしょう。
実は「cortaho」にもそういう経緯があるのです。
「毎日が小春日和」は、「みんなが、のどかでぽかぽかした毎日を送れたらいいな!」と思ってこの名前ではてなブログを始めました。始めましたが全然活動しないままに今に至っています。
もはや、このタイトル自体が不要な気もするのですが、気に入っているのでここに残させてください。なんのためのタイトルなんや、と思わないでもないですが、わたしの活動の名前だとでも思っていただければ。
noteのこのアカウントにも、マガジンを作ってありますが、活動のテーマは、
よりよく生きる
物語を楽しむ
知識を求める
です。わたしが他の誰かの力になれるであろうことと、わたしが生きていく上で大切だと思うことを合わせてカテゴライズしました。
「よりよく生きる」では、「生きていくこと」や、もっと現実的に生活をよりよくする方法について広い範囲で取り扱われるそうです。
「物語を楽しむ」と「知識を求める」は、「よりよく生きる」上で、わたしが最も大切だと考えていることなので掘り下げていくために、別にしました。
さて、ここまで書いてきて、いつもの通りにすでに自分でもよくわからない話だな、と思ってきています。
はっきり言って、わたしは「人を助ける」に向いているとは思えません。人と関わるのは非常に苦手なので、他人に手を差し伸べるのは気が進みません。
それどころか、わたしの主義信条として、人が人を助けられるものではないし、そんなおこがましいことを言っている人間があまり好きではありません。どちらかというと、わたしは性根がダークサイド寄りなため、自分の利益が最優先です。
なのに、どうしてもこの宣託に逆らえませんでした。
その一つには、わたしにも、もう明日が来てほしくない、朝になってほしくないと思う日々があったからです。
やまない雨はないだの、明けない夜はないだの言いますが、そういう状態にある人にとっては、できればずっと雨であってほしいし、朝になってほしくはありません。太陽の光がさして、明るい場所へ連れて行かれることが、新しい世界が始まることが、どれだけ恐怖で憂鬱だったことか。
どうして生きていかなければならないのだろう、と思ってしまったどこかの誰かの力にこそっとなれたらいいな、と思い、こそっと活動をすることにしたのが「毎日が小春日和」の始まりでした。
「よりよく生きる」とは
大きなテーマの一つになっている「よりよく生きる」。このテーマを無視できる生物がいるとは思えません。植物であっても動物であっても、生きる以上、誰しもが「よりよく生きたい」と思うものだからです。
いいえ、思うというのも違います。遡りすぎると難しい話になりますが、わたしたちのように「命」を持ったものはみな、別の「命」よりもより良い条件でより長く「生きて」万が一にもその「命」を失うことがあれば、さらに新しい「命」へと繋いでいけるように設計されています。
ものすごく残念な言い方をすれば、そうやって作られてしまったので、わたしたちの気持ちとは関係なく「よりよく生きたい」と思わされるようにできています。
さて「よりよく生きる」こととは何を指すのでしょう。それは人によって違うものだと思います。
より自然な意味における「よりよく生きる」とは先ほども書いたように自分がいかに生き残り、自分の遺伝子の持つ子孫を残すかということになるでしょう。
もっと人間臭い意味においては、人間社会においていかに自分が快適に過ごすか、ということになるかもしれません。
例えばそれは富や名誉かもしれません。人間関係を円滑にすることかもしれません。おいしいものを食べることかもしれませんし、好みの相手に気に入られることかもしれません。
いずれにせよ、あなたにも「よりよく生きる」何か具体的な望みはあるはずです。しかし、それが叶えられることが少ないのも現実です。大半の人はそんなことを考える暇もないほど、日々の生活に追われてしまっているのではないでしょうか。
こうなりたいと思うのに、そこへ辿り着けないことは大きなストレスになります。小さな負荷は、大きな成長へのステップになりますが、知らず知らずにそれが溜まりすぎると、前へ進む気力を失うことにもなりかねません。
もし少しでも、毎日の中で少しでももやもやしたものを抱えることがあるのなら、あなたの「よりよく生きる」に目を向けてみてほしいのです。
自分の望みをはっきりさせること
まず大事なことは、自分が何を望んでいるかをはっきりさせることです。大きなことでも小さなことでも構いません。先ほども書いたように「よりよく生きる」と一口に言っても、人によって目指すところはさまざまです。
ただ、わたしたちは社会的、時代的背景から自分の本当の望みを心の底に覆い隠してしまうことも多々あります。こんなことを望んだら笑われるんじゃないだろうか。こんなことを望んだら批判されるんじゃないだろうか。
身の丈に合わないから、流行りではないから。そんな理由で、ほんの些細な望みでさえ、見なかったふりをしてどこかへ追いやってはいませんか。
あなたは、あなたです。
確かに、社会にはルールがあり、モラルに反することはできませんし、わたしもそれを表立っては勧めません。昨今では、ものすごくどうでもいい個人的な考えですら、他人の迷惑になるからマナー違反!のような風潮がありますから、ルールやモラルの範囲も各々が属するコミュニティーによって違うでしょう。
例えばわたしは、全てはインスピレーションとパッションだと考える困った脳みその持ち主ですから、最悪、法律に違反してもいいと考えます。なぜなら、現状の世界を打破しないと新しいものは作れないと考える人間だからです。
これは大袈裟すぎます。そこまで大きく出る必要はありませんし、残念ながらわたしもそこまでする気はありません。
わたしは田舎の保守的な地域に住んでいます。ここでは誰もが「人からはみ出ないこと」をルールにしています。もちろんこれは法律でもありませんし、人間社会におけるモラルとも違う気がします。しますが、田舎の、特に長く「村社会」が成立していた地域では、かなり重要なルールです。
街を歩く人は、似たような格好をしています。流行りの服を着なければダサいという田舎特有の概念があるため、似合わない流行りの服を着て流行りのものを持っています。
自分が好きなものでも、自分に似合うものでもないのです。ただただ、はみ出さないようにすることが大事。
ですから、本当は別の服が着たいと思っていても、なんと言われるかと思えば着ることができないのでしょう。それどころか、そうすることが「当たり前」だと思っていて、自分が好きな服を着ようという発想すらない人が多いのです。
同じこと、あなたもあるのではないでしょうか。
誰かの目を気にして、集団の和を気にして、いつの間にかそれが普通になっていること。最初は嫌だ、違うと思っていたのに、そうしなければならないと思って我慢していること。
本当は自分がどうしたいのかすら、考えもせず、周りに合わせてきたこと、ありませんか。
そこへ向かう道筋を立てる
ここからは、ごく現実的な実践です。
自分の望むものを手に入れるための方法も、人によって違います。そのために一生懸命努力をする人もいますし、そうなったらいいなと念じることで達成する人もいます。
現実的に行動を起こすか否かに関わらず、具体的な道筋を考えることが、次に大事なことになります。これも最初の「望みを知る」ことと結局は同じなのですが、現実とあなたの望むことの「差」を知ることです。
場合によっては、この「差」に打ちのめされることもあるでしょう。ただ、知らずに闇雲に進むよりは、間のステップを考える方が幾分、進みやすいことは間違いありません。
これは、簡単に言えば「旅のしおり」のようなものです。これもまあ、人によっては行き当たりばったりを楽しみたい方もいますから、一概には言えないのですが。
また、この道筋は一通りとは限りません。いくつも手段や方法がある場合もありますし、あなたが知らない近道がある場合もあります。だからこそ、「差」を知っていくつかのステップに分けてみることは重要です。
例えば、ごく現実的に何かの資格試験に合格したい、とします。それについて、自分で勉強をするのか、どこかで教えてもらうのか、で費用や時間、必要なものは変わってきますよね。
自分でテキストを買ってきて勉強をするとします。試験の日まで毎日勉強をする、というプランは間違ってはいませんが、非常に不安定です。
まずは自分が最初の段階で出題される範囲についてどこまで理解できているか、を知らなくてはなりません。でなければ、本当は毎日勉強しても間に合わないかもしれませんし、反対に、内容が簡単で毎日やることもないかもしれません。
この場合はタイムリミットがありますから、期間と自分の到達していたいポイントを三つほどに分けておくと、進捗が分かりやすくモチベーションにもつながります。
ステップが分かれていることのメリットは、途中でプランを見直すことができることです。考えている通りに物事が進行することは稀です。大抵は、当初は予想もしていなかった、全く関係のない横槍が入ってしまうものだからです。
一歩進んだら、今いる場所からまた「自分が望むもの」を見直してみる。そこからまた「道筋を考える」。そのためにも、小さな目標に分けておきましょう。
もしあなたが、自分で念じるだけで引き寄せようと思っている場合でも、ステップを分けておくことは大事です。
大きな望みを一度に引き寄せることは、少々難しいものです。これは現実的な努力と同じで、順を追って簡単なものから近くに引き寄せたていく方が、やりやすいからです。
どちらの場合も、もっとも大事なのはあなたが満たされることです。忘れてはならないのは、わたしたちは今、目標の達成について話しているのではなく、「よりよく生きる」ことを考えているからです。
「よりよく生きる」ことを達成するために苦しむのは本意ではありません。小さなステップで目標が達成されると、わたしたちは幸せを感じられます。もっと頑張れるかもしれない、自分は望むものを手に入れられるかもしれない、と気持ちが高揚するものなのです。
これも残念な言い方をすると、そうなるように仕向けられているのですが、この脳の仕組みを利用しない手はありません。
現実と望みの「差」が大きいからといって、ここで諦める必要はないのです。
そこへ向かって歩き出す
夢や目標があっても、そこへ向かうには力が必要です。一番、重要な力は「気持ち」です。その夢や目標に見合った能力ではないんです。
強い気持ちさえあれば、なんでもできますよ、という精神論ではありません。目標を達成するまでの道のりでは、多かれ少なかれ、気持ちが削がれてしまうことがあるものです。
周りの協力が得られにくいことなら、孤独を感じて嫌になるかもしれません。自分の能力を高めなければならないことなら、頑張ることに疲れてしまうかもしれません。
先ほど、目標までの道のりを分割して、少しずつ達成しましょう、と書きました。これも自分の「気持ち」をコントロールするための一つの方法です。
ただ、それでもどうしても、諦めたくなってしまうこともあるでしょう。努力が無駄な気がしてきたり、自分の理想が空虚に思えることもあるはずです。
わたしたちは不思議なことに、夢や目標を諦めることを「悪」だと考える傾向があります。これもまた「よりよく生きる」が最初に組み込まれているという観点から考えれば、必然ではあります。
しかし、今、あなたがそれを「後ろめたい」と感じるのは、どうしてでしょうか。あなた自身が、絶対に諦めたくない、と考えているからだというのなら構いません。
これは、最初の「望みを知る」まで戻りますが、もしそれが社会や他者からの目を気にしているのなら、立ち止まってみましょう。
これはどこまでも、あなたが「よりよく生きる」ためのプランです。あなたがもう諦めようと思うなら、それでいいんです。
だからこそ、ときどき立ち止まっては、最初にたちかえって、自分がどうしたいのかを考えることが大事です。
「よりよく生きる」ために
と、ここまで非常に抽象的に長々と書きましたが、言うは易し、行うは難しです。そんなこと誰でも分かってるよと思われた方も多いでしょう。
一歩を踏み出すことをためらうあなたへのアドバイスは簡単です。
一日のうちに一分でいい。頭の中を空っぽにして自分自身の内なる声を聞くことです。
行動に移せなくても構いません。
あなたは何が好きなの?
あなたは何をしたいと思ってる?
あなたは、今の状況に満足してる?
答えを考える必要はありません。何も返ってこなければ、それでもいいんです。ただし、根気よく話しかけてあげることです。
さて、今回は初回ということで、一番大きなテーマを大きくまとめました。今後はもう少し小分けにして具体的なお話をさせていただければと考えています。
一番、この実践の方法を懇々と諭したいのは自分自身へです。いつも理想だけを追い求めていて、現実に落とし込めません。春風と榎の会で「よりよく生きる」を取り上げると宣言してからはや三年です。春風と榎の会自体が、ここまでぐだぐだと、何をしているのかわからない状況です。
そんなやつが、よくこんなこと言えるよなあ、と思われるかもしれません。でも本当は、人に言われたから仕方なしにやっているように書きましたが、わたしはどうも人を助けたいみたいなんです。困っている人の力になりたくて仕方がないですし、人を喜ばせたくてたまりません。最悪です、本当はそんなことしたくないのに。一人で本を読んだり妄想したりしていたいのに。
だからこれはいわば、わたしが「よりよく生きる」ための活動でもあります。

しかしそういう観点から考えると
これだって
なわけで……笑
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