見出し画像

「お客さまは神さま」か

 ご自由にお書きください、と言われると何だか照れますが。

 ぱちこの母の実家、つまり、祖父はお店をやっていた。骨董屋だ。
 すなわち、わたしは、骨董屋の孫ということになる。ちなみに、祖父はわたしが2歳のときに亡くなったが、今でもお店はあって、3代目にあたる従弟が継いでいる。
 これは、あまりに当たり前のことだったのだが、よく考えると骨董屋を継ぐって何だよ、ラノベかよ!?と思ったりもする。

 そんなわけで、幼少期からわたしは、母に厳しく躾けられた。いわく、お客さまは神さまであるからして、というところである。
 ちなみに、わたしが育ったのは、お店からはるか離れた東の地で、まるで骨董屋のことは知らない。
 母は地元にいたころは、嫁に出た後もよくお店の手伝いをしていた。骨董屋なので市に出る。その人手がいるから、らしいのだが、わたしには、骨董屋の仕事の流れがさっぱりわからない。一体全体、何を売ってどうやったら儲かるのか、謎すぎる。
 ちなみに従弟とは、一緒の高校に通った。残念なことに2年間同じクラスだった。わざわざ年上ぶってみたけど同い年だ。そんな彼が、今は骨董品の目利きになっていたりするのだろうか。それ以前に、3代目というたびに、3代目ジェイなんとかがチラついて、イメージはまる崩れだ。
 母は、お店を継ぎたかったらしい。何よりお父さん子だったし、商いも好きだった。しかし、お店は、唯一の男児である母の弟が継いだ。
 そんなあれこれした母の熱い想いから、商いの基本から、お客さまに対する態度、なぜか、家の電話の応対(サラリーマン家庭である)まで教え込まれたのである。

 その中に、自分が客である場合の立ち居振る舞いも含まれた。はっきりと口にして理由を言われたわけではない。何しろ、母は、わたしの教育の道半ばで亡くなってしまったので、仕方のない部分もあるだろう。それ以前に、わたしが人の話をまるで聞かないせいで、覚えていないだけなのかもしれない。
 ただ、母の立ち居振る舞いは、染み付いている。お店で買い物をしたとき、バスを降りるとき、改札を抜けるとき、お礼を言うのは当たり前だった。
 それが、当たり前ではない世界があることを知ったのは、母と切り離されて、世間に放り出されてからである。
 わたしのことを、気狂いのような目で見る人もいた。そういう人はたいてい、このように言う。

お客さまは神さまなんやろ?
お金を払いよるんやけん、なんでこっちが頭下げるんで?


 わたしは、お客さまは神さまだと思う。
 雇われて働いていると、分かりにくいが、自分で作ったものにお金を払ってくれた人がいたとき、もう、感激のあまり、頭が上がらなくなる。100円のシールでもだ。1000円も出された日には、頭がめり込んでブラジルから出るくらいだ。
 まだ、十にもならない、お小さい女のお子さまが、お母さまにせがんで、わたしの小ぶりのイラスト集(1000円)を買ってもらったのを見たときは、申し訳なさで灰になるかと思った。

 現代では、大企業になればなるほど、末端の客を蔑ろにする傾向が強いと感じる。大事なのは、お金をじゃんじゃん出してくれる人、ネットで発信して新規顧客を連れてきてくれる人。そうでなければ、ゴミ屑のような扱いを受ける。たとえ、何十年もご愛顧していても、だ。
 問い合わせても、マニュアルにある回答しか得られない。むしろ、問い合わせることができるのは幸いで、問い合わせ窓口には辿り着けないことすらある。
 はっきりいって、恐ろしく腹が立つ。地獄の釜まで茹でられるくらい、煮えくりかえる。おどれ、何さまのつもりじゃあ!?と、スマホを地面に叩きつけたくなることもある。
 しかし、怒り狂ってみたところで、しょせんはちりかあくたとしか思われていないのだから、意味はない。挙げ句、クレームを申し入れたところで、カスハラと言われるのがオチだ。何がカスハラやねん、ハラれたくないなら、ハナからちゃんとしとけばええねんと思うが、風潮というのは怖いもの。結局は、面倒なゴミカスにしかならない客を捨てたくて、カスハラなんて言い出したに違いない、とさえ思う。

 わたしが勤めている会社にも、カスタマーサポートがある。お問い合わせには、日々、いろいろなご意見が送られてくる。
 申し立て方も、人それぞれなのだが、中にどうにも、首を捻ってしまうものもある。
 苦情を申し立てるのは、いい。お怒りになられていても仕方がないとも思う。しかして、なぜ、こちら側の対応を指示してくるのだろう。なに様のつもりやねん?
 そう思って、この記事を書くに至った。


 そう、お客さまは、神さまであるからして。



 さて。
 ならばして「お客さまは神さま」なのだろうか?
 つまるところ、ここにあるのは、単なる人と人の関係でしかあり得ない。商いに大切なのは、客を神と崇め奉ることではない。相手を尊重しなさい、ということなのだ。

 客をたてて、ご機嫌よくしていただければ、お金を落としてくださるのは、間違いない。
 ときに、お金のない客に、尽くすことを嫌がる人がいるが、それも違う。

 単に自分の心持ちの話だ。
 相手がどうこうではない。どんな相手でも、どんな力関係であっても、それが物言わぬ無機物であっても、丁寧に接すること。自分の行動は必ずいつか、巡りめぐって戻ってくる。
 それなら、わたしも、大切にしていないことがあるから、大切にされないのだとも言えるけれども。


 ちなみに。
 古来から伝わる神というものの存在に関して、少しばかり意見を述べさせてもらうと、神は、下々のものに指図などしない。
 特に、力の強い、人とはかけ離れた存在になると、人という生き物のことなど、意に介さない。目に入らないのだ。
 気に入らないことがあれば、怒りもするが、改善させようとはしない。満足していれば、その分、平らかに人々が暮らせるという、それだけだ。

 この、本来の神が神たる力関係を考えてみると、自らが客である場合に、相手にこまごまと苦情を申し立てるのは、どうにも位の低いことではないだろうか。
 相手は、はるか小さくか弱い生き物だ。そんな者どもに、何をつらくあたる必要があろう。

 反対に、自らが客を迎えるのならば、相手は神である。はなから、言葉は通じず、何がお好みなのかもさっぱりわからない。これでもかと、心をつくしてもてなすのは、当たり前、それでも、お気に召さないかもしれない。
 もしも、少しでも、お喜びになられたら、それはもう、ほんとうに尊い瞬間なのではないだろうか。


 現代では他者との関係が、どうにも歪になってしまった。何かといえば、自らが配慮されるのは当たり前、他者に配慮する自らを恥ずかしげもなく誇るのが、当たり前の世の中だ。
 しかしてこれも、人が人として歩む中の、ありのままの姿であり、それをどうこう論じても、致し方ないことなのかもしれないけれども。


#なんのはなしですか

いいなと思ったら応援しよう!

フジ笑八コ(ぱちこ⭐︎) よろしければ、サポートをいただけるとうれしいです! いただいたサポートは、くもみさきまちの運営費に活用しています!