わたしの転職
本日の記事はエイプリルフール仕様になっております。
先日、わたしは自分でも気がついていないうちに、ストレスに曝されていると診断されてしまった。薬はもらったが、薬を飲んで治るのは一時的なこと、ストレスそのものを排除しない限り、愉快に暮らすことはできない。
さらに、七つ上の姉が言う。
「そやけど、働かずになんか自動でお金が入るようにせないかんねえ」
え、なんで?
「だって、ぱっちゃん、更年期になったら働けんやろ」
まだ何も起きていないのに、ダメ判定を受けた。ただ、確かに、平常運転で自律神経がちゃんと機能しているのを見たことがない。
それは子どものころからで、よく母には「今からそんなことでどうするの」と言われていたし、姉の証言では「学校に行きがちな子だった」らしい。自分ではかなりの日数、頑張って登校した記憶があるので納得できない。
いずれにせよ、生活を変えるなり、ストレスを軽減させるなりしなければならない。
わたしは、思い切って転職することにした。とは言っても、もう誰かに雇われて、決まりに縛られる生活は嫌だ。もっと自分らしく生きていきたい。
人間社会に紛れ込んで、人として擬態しているのにも疲れた。
そこで、念願だった雲岬町へ移住することに決めた。実は、何年か前から、土地を探して家も建て始めていて、後はわたしが踏み切れるかどうかだけだったからだ。
ただし、今の家を完全に離れるのは嫌だ。
だから平日は、雲岬町にあるわたしの家に、くじゃくさん(ねこ)を連れて移住して、土日にはいつものように帰ってくることにした。
それなら、毎日、今の家から通えばいいじゃないか、って?
さすがに、雲岬町はちょっと遠い。その距離を毎日通うことが体に負担になってしまってはいけない。
職場は、家から歩いて徒歩十分のところにある。
これも自分が建てておいたアトリエだ。本当は、アトリエにも居住部分を作ってあって、ここに住むことも考えていたのだが、やめた。それだと、ずっとここにこもって外に出ないような気がしたし、姉が食事運動睡眠、とやかましかったからだ。
朝、十時くらいにくじゃくさんをねこ用のバギーに乗せて、ごとごと通勤する。くじゃくさんが、どうしても飼いたいと言っていた、黒い大きな犬も一緒だ。名前は、エミューという。大きくなる予定だが、今はまだ子犬なので、くじゃくさんより少し大きな程度だ。
くじゃくさんは、犬が嫌いなくせに、黒い大きな犬が欲しくてたまらなかったから、エミューが来ると知って、すごく喜んだ。くじゃくさんは、エミューが自分の何倍もの大きさになることは、まだ知らない。
ちなみに、この犬、わたしの犬ではない。平日の昼間は仕事で面倒を見られない知り合いの、犬を預かっている。わたしが犬を育てられるわけもないのだが、エミューはなかなかに賢くて、むしろ、ルイよりも賢くて助かった。
だいたいは、アトリエの庭を走り回って遊んでいる。
家とアトリエの間には、小さな湖……というよりは大きな池があって、わたしはそのそばの小さな森の中を通って出勤する。池の反対側は、川が流れていく方に低い崖があって、その向こうは田畑が広がるのどかな場所だ。
毎朝、大した人数ではないとはいえ、無秩序に人間が存在するバスや電車に乗らなければならなかったことを考えると、非常に快適だ。
なぜ、あんなにも人間というものはうるさいものなのか。一つの個体が大きすぎるからなのか。それとも、めいめいがネットを見ているせいで、電気信号が増幅しているから、あんなにもうるさく感じるのか。
森の中にも、数多の生き物が存在していて、それは、バスや電車の人数よりもずっと多いはずなのに、少しもうるさくは感じない。誰もが静かに自分の生活を営んでいる。いや。そう考えれば、人間たちだって、大多数は静かに自分の生活を営んではいた。何があんなにも、耐えられなかったのだろう。
非常に残念なことに、転職はできていない。だからまだ、QAをやっている。しかも、たまに出社しなければならないことがあって、まるで現実に引き戻されたような酷い気分にさせられる。ただ、それ以外は静かなアトリエで、たまにエミューとくじゃくさんが、とんでもない事件を巻き起こそうとする以外は静かなアトリエで、黙々と作業ができるのはよかった。
本当は、仕事は思い切ってやめてしまって、自分で絵を描いたりお話を作ったりして暮らすつもりだった。自分の好きなことをしてお金を稼ぐというのは、確かに難しいことだし、それはこれまでも何度もやろうとしてきては、挫折した。
わたしはお金が大好きなのだが、お金を稼ぐことには向いていない。誰かを喜ばせることが好きすぎて、サービスに次ぐサービスを行なってしまうから、何をやっても原価割れだ。
もっといえば、会社員として働いていてすら、サービスに次ぐサービスを行なってしまう。誰かに何かを頼まれれば、つい、すぐにできますよ、などと引き受けてしまう。もちろん、それで給料は変わらないから、原価割れだ。
わたしの信条としては、それはいずれどこかで自分に返ってくることだ。自分が困ったときに、これまでにもどうにかなってきたのは、自分が他者への奉仕を厭わなかったからに違いない。しかし、そう考え始めてしまうと、さらにいい人でアランとしてしまって、雁字搦めになるうえに、本末転倒で、結局はお金は儲からない。
だからここは一つ、腹を括ってえげつないお金の稼ぎ方をしてやれ、と思っているのに、それができないでいる。
絵だって、デジタルデータを無限に人に売りつけたら、一枚の労力でパカパカ稼げることは知っている。でもそれって、お客さんに対して失礼じゃないか、と思う。全部コピーだ。しかも、デジタルデータだから誰にでも複製できる。もっと言えば、デジタルだから、わたしには何の持ち出しもない。そりゃあ、iPadを買ったり、アプリに課金したりした分はあるかもしれないし、少なくとも時間は使っているだろう。しかし、それだって微々たるものだ。相手にお金を払わせるほどの価値があるとは思えない。
ならば、注文を受ければよいと思うかもしれない。とはいえ、わたしはそこまで絵が上手いわけではない。加えて全てが脊髄反射なわけだから、相手がどんな絵でもいいです、脊髄反射であなたが好きな絵を描いて、というのでもない限り、無理だ。そうなると、そんな自分が好きで描いた絵を売るのは忍びないから、やっぱりタダ同然で譲ってしまうだろう。
などと、ぐずぐず考えて、少しも新しい一歩を踏み出せなかった。環境を変えられたことと、一日中、くじゃくさんと一緒にいられることだけは、よかったと思う。
アトリエにいる限り、人に擬態する必要もない。たまに、本屋の人が頼んだ本を持ってきてくれたり、そのついでにわたしの書庫をあさっていたりするが、この町の人はみんな、わたしが何者かを分かっているから安心だ。

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