ステルス 3
これまでのお話は
国家防衛なんとかから事実上解雇されたコハルは、住み慣れた下層へ戻ってきました。
下層では人が死ぬ病が蔓延していましたが、誰もが仕方のないこと、と諦めているようでした。
説明するって
難しいよね
下層が隔離されたのは、翌日のことだった。原因不明の病が、上層に蔓延することを恐れてのことらしい。
人の行き来ではなく、ライフライン以外の物流が途絶えたのだ。下層だけで賄えるのは、暮らしていくのに最低限の物しかない。
「コーヒーもパンも出せないってよ。
米しかないデリバリーって、デリバってる意味、あんのかよ。米ぐらい、家にあるっての」
顔を合わせるなり勇鈴は愚痴をこぼした。
コハルはその配られた米をどうにもできず、腹が空いたままだった。かろうじて生卵を割ることはできたので、それを食べたのだ。
「まあ、いつかこうなると思ってたけどな」
彼は苦々しげに言った。
「お前、帰る前じゃなくってよかったな。
上層で、職も家もないコハルが右往左往するかと思うと……米どころじゃないよ、オレも」
勇鈴に紹介された仕事は、生活用品のデリバリー倉庫で在庫を確認する、というものだった。下層であっても、倉庫はデータ管理されている。その精度を高めるため、人がチェックしていくのだそうだ。
コハルにとっては、ある意味慣れた作業だった。だからと、張り切って取り組んだのだが、昼までに、たった五項目しか確認できなかった。
「お前、ホントにどうやってたわけ?」
休憩で配られたおにぎりを食べながら、勇鈴が呆れた顔で言った。
「ナントカ局で、どんな仕事してたんだよ。
イヤ、責めてんじゃなくてさ、純粋に、オレ、不安になってきたんだけど」
「……掃除とか……保管庫のチェック……」
「本気で言ってんの? そんなことしかさせてもらえなかったわけ? そんで解雇?」
勇鈴は目を剥いてコハルに詰め寄った。だって、と彼女は口を尖らせる。
「わたしだって、ちゃんと言われた通り、やってるよ……サボってるわけじゃ、ないもん」
「見てたら分かるけどさ。それ以前に、なんでナントカ局に入れたんだよ、ホントに……」
それでも入れたのだ。
コハルは自分にもきっとできることがあると信じて、頑張ってきた。上官に怒鳴られても、同僚に嫌味を言われても。
だが、どんなに彼女が努力を重ねても、相手が望む結果を出すことができないのだ。
この日が終わるまでに、コハルは勇鈴の五分の一も進められなかった。主任は渋い顔で二人を呼んだ。
「白岡さん……慣れもあると思うけどね……あなたには向いてないんじゃないかな、この仕事。人手も欲しいけどね。
だから……」
「けど、主任、一日目から上手くいくやつなんていないって……オレんときは言ったじゃないですか」
「佐原君……そうは言うけどね。
向いてないのに働くの、白岡さんも辛いでしょ。他を探した方がいいと思うよ」
勇鈴は不満げな顔だったが、コハルは小さく頷いた。主任に向かって頭を下げる
「……あの、今日は……お世話になりました」
彼女はたった一日だけの職場を後にしながら、深く息をついた。自分に向いている仕事がこの世にあるのだろうか。
誰かの役に立ちたいという気持ちばかりで、保安や防衛の職を片端から受けた。もちろん、全部落ちたのだが、かろうじて受かったのが国家防衛局通信保安部だった。
局内でも有名なエリート一家の長男は、その試験に落ちたらしい。
どんな優秀な人でも落ちるような難関の試験に、どうしてコハルが受かったのか、それは確かに謎だった。
かろうじて引っ掛かっても、続くわけがなかったのだ。下層で割り振られた仕事でさえ、満足にできないのだから。
「……頭、痛い」
コハルは、酷使した目を擦りながら、ぼやいた。横を歩いていた勇鈴がため息をつく。
「俺もだよ……お前がそんなに……って、ホントに?」
彼は頭を押さえるコハルを不安げに覗きこんだ。
「大丈夫? アレじゃないだろうな」
「……頭、痛くなるの?」
「ってやつもいた。ちょっとずつ頭がイカレちまって死ぬんだ」
コハルは嫌な気持ちを払うように、小さく頭を振った。口に出してしまうと、痛みが激しくなったように思える。
「……目が、疲れただけ、だと思う」
「昔もそんなこと言ってたな。目なんてどこで使った?」
どこって、とコハルは口ごもった。同じことを課長にも言われた気がする。勇鈴は、心配と困惑が混ざったような変な顔でこちらを見ていた。
「お前さ……もう、誰かの嫁にでもなれよ」
「……ヨメ?」
まさか彼の口から出るとは思わなかった単語に、コハルは改めて横を歩く勇鈴を見上げた。彼の黒い瞳とぶつかる。
「え、だ、誰の?」
見る間に勇鈴の顔が赤くなった。彼はさっと顔を背ける。
「……た、例えば、」
「あ、あれ、何?」
コハルは彼が皆まで言わないうちに、声を上げた。ちょうど、エッグ専用通路との分岐点に差し掛かったところだった。
「な、何だよ……」
あれ、と彼女は通路の先を指差した。専用通路を塞ぐように巨大な繭が下がっている。大人でも体を丸めれば入れそうな大きさだった。
「あれが弾けたら、大変だよ」
「あれって何?」
勇鈴は怪訝そうな声でコハルの指差す方を見た。
「あれだよ、大きいのがあるでしょ」
「はあ? 何が、どこに」
彼女は近寄ろうとして、たたらを踏んだ。
また、中からあの靄が出てきたらどうすればいいのだろう。近くで破裂したら、逃げられないに違いない。
このまま立ち去れば、自分と勇鈴は助かる。
(でも、そのとき、近くに誰かいたら……?)
見過ごしてしまっていいのだろうか。誰かに言うべきではないか――でも、誰に?
そう考えて、コハルは何かが変だと気がついた。
勇鈴は首を傾げたまま、コハルの指差す方へ歩いて行こうとしている。彼女は慌てて彼の袖を引いた。
上層にも繭はあったのに、誰も気にしていないようだった。勇鈴が言うように、皆、仕方のないことだと思っているのだろうか。
(人が、死ぬのに……?)
通報しても、取り合ってもらえないかもしれない。だが、放ってはおけない。コハルが決意を固めたときだった。
右手から、エッグの作る風が見えた。繭が揺れる。現れたエッグは、巨大な繭に勢いよくぶつかった。
ツリーの電力が落ちたのは、繭が弾けるのとほぼ同時だった。
コハルは、目を見開いたまま、立ち尽くしていた。
空は夕暮れ、上層に灯った明かりが森の木々を幻想的に浮かび上がらせる。反対に、ツリーの下層は暗い色に沈んでいた。
少なくとも、コハルが住む地域一帯が停電しているようだ。
「今の……見た?」
彼女はまだ、繭があった場所を見ていた。あちこちで、騒ぎが起きているのが聞こえる。多くは、ドアが開かない、という切羽詰った声だった。
「何が?」
「……誰か、上層の人に言わないと」
「停電したから?
隔離されてっからだろ。ついに電気も止めるとはね……オレらに死ねってか?」
「ち、違うよ!」
コハルは大きく首を振った。驚きで忘れていた痛みが戻ってきて、彼女は小さく呻いてこめかみを押さえた。
勇鈴は見ていなかったのだろうか。
弾けた繭からは、大量の靄が滑り出た。あまりの濃さに、向こうの景色が見えなくなったほどだった。コハルは死を覚悟した。
だが、靄は初めから行先を決めていたかのようだった。瞬時に通路の壁や床、天井に吸い込まれたのだ。そして――電気が消えた。
「どうしたんだよ。コハルのくせに、何怒ってんだよ?」
「お、怒ってるんじゃないよ、早く、上層の……そうだ、松葉さんとか」
コハルは左腕を見て、そこにいつもの端末がないことに気がついた。解雇されたのだ、当然である。
「ど、どうしたら……通信……でも、ID知らないし……」
「ちょっと待てよ、どうしたんだよ」
早足で歩き始めたコハルを、勇鈴が慌てたように追いかけてきた。
「どこ行くんだよ?」
「……どこ? え、ええと、ゲート……?」
コハルは足を止めた。
電力はまだ回復していない。
本部で起きたときも、しばらくは復旧しなかった。下層で、しかも隔離された今では、もっと長い時間このままかもしれない。
「……エッグ、動かないかな」
「と、思うけど」
勇鈴は別の通路を示した。少し奥でエッグが立ち往生している。
「上層に何を言うんだよ。電気を戻してくださいって? 無駄だろ」
「そ、そうじゃないったら。今の、あの病気の……ええと……ウイルス! そう、ウイルスでしょ?」
「は?」
「あれのせいで、えっと、この前、本部の電気も消えたし、人も死ぬし、今も電気が消えちゃったんだって」
コハルは指折り数えながら、懸命に言った。しかし、勇鈴はますます困惑した顔になるばかりだ。
「大丈夫か? ホントに頭、イカレたのか?」
「違うよう」
彼女は泣きたくなった。頭が痛い上に、ただでさえ、人に何かを説明するのは苦手なのだ。
「繭の中から、えっと、ウイルスが出るでしょ、だから、下層を……えーっと、隔離しても、ダメなんだって。上層にも、繭はあったもん。も、もしかしたら……」
上層の誰もこのことを知らないのかもしれない。
そう続けようとして、コハルは奇妙な気分になった。あんなに優秀な人たちが揃っていて、自分のような人間だけが気がつくなんてことが、あるだろうか。
(けど、ホントに、知らないんだったら……)
「と、とにかく、言いに行かなきゃ。ええっと、そうする、べき、義務があるんだよ」
義務、と勇鈴は眉を顰めて、ため息をついた。
「どうやってどこに言うんだよ。上層に連絡なんて、知り合いでもいなきゃ……」
「い、一応……いるから……でも、連絡先は知らなくって……とにかく、だから、上層まで……ゲートまで行かないと」
コハルは再び歩き始めた。エッグが動かないのなら、自分の足で行くしかない。
地区が違うかもしれないが、ひたすら上へ進めば、ゲートにはたどり着くだろう。
少し後ろから、大きなため息が聞こえて、駆け寄る足音が続いた。
「ついて来て、くれるの?」
「どうせ、止めたって無駄なんだろ。迷子になられちゃ困るし……途中でエッグが動いたら、オレがいた方がいいかと思ってさ」
半分ほど上ったところでは、一部だけ電力が戻っていた。
その後はエッグに乗ることができたが、二人が上層との境に辿り着いた時には、もう夜中に近くなっていた。
薄々、コハルにも分かっていたことだったが、上層に知り合いがいると言っても、IDを見せても、ゲートに詰めた男には相手にしてもらえなかった。電力が落ちて以降、苦情や嘆願に訪れる者は多かったらしい。
コハルはなんとか粘って、紙とペンを借り、松葉に届けてくれるようメモを渡した。
連絡先が分からないのだから、仕方がない。
彼なら、コハルの言うことを聞いてくれるはずだ。だが、鼻で笑って受け取った男が、きちんと届けてくれるとは思えなかった。
ちゃんと続きます

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