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雨音 上

 車道とは別に裏口がある。隣地に挟まれた、二十メートルほど続く人が一人通れるだけの細い路地だ。下は砂利敷きになっているが、ところどころ剥げていて、草がすぐに伸びてきてしまう。隣地の片方は生垣で、定期的に刈られているものの、ぎゅうぎゅうとこちら側に迫ってきているから、さらに狭い。雨が降っていると傘をさして通るのが難儀だ。反対側は焼杉の板塀で、この色がまた濃いものだから、路地は晴れていてもどこか薄暗かった。
 この町には雨が多い。だから俄然この道は常に暗く通りにくいはずなのに、いつもついこちら側ばかりを通ってしまう。車道からだと職場へ行くのに遠回りだからだ。表に車通りがあったとしても、うちには車がない。客が来る以外では表玄関は利用しないし、客は来ないから表玄関はほとんど使われない。表から見たら人によっては無人に思うかもしれない。庭木はだいたいが好きに伸びてもらっている。これは非常識なことなのだそうで、なんども他人からとやかく言われるのだが、なぜ他人が自分の家の庭木に口を挟むのかよく分からない。常識というのは誰の頭にも存在しているものなのか、それならなぜ自分はその常識が頭の中に存在していないのか、さておき、本当に空き家だと思われて家を売らないかとチラシを入れられていたり、子どもが勝手に遊び場にしようとしていたりするから困る。
 常識というのは、集団が形成した勝手な幻想である。自分から見れば自分の中で常識だろうと思うことがあって、それを知らない人間のことをなんて非常識な残念なやつなんだろうと考えたりもする。お互い様である。常識がどこから生まれてどこへ行くのかは知らないが、少なくとも彼らが常識となすものと自分が常識となすものの間には大いなる隔たりがあって、どうにも擦り合わせられないでいる。擦り合わせようと思ったこともないのだから無理もないのだが。
 そういうわけで、表の庭も裏の庭も、中庭であっても、うちの庭には草木が生い茂っている。生えるに任せているから、小鳥が種を運んで勝手に木々が芽吹き、淘汰されて行く。生存競争に負けた木は、それがどんなに育っていたとしても朽ちて倒れてしまう。倒れれば日が差すから、新しくまた芽が出始める。雨の季節に差し掛かるころには、落葉樹の葉もある程度大きく開いて、だんだんと庭全体が鬱蒼としている。昨年積もった落ち葉は春の間に飴色になって、いまではもう土と見分けがつかないほどになった。
 そう。家の中も外も薄暗い。雨が降ればさらに薄暗い。
 近所の田んぼから上がってきた蛙があちこちで鳴く。こちらが何か用事があってリズミカルな音を出そうものなら、ライバルと認定されてあっという間に四方八方から騒ぎ出す。それにつられるように屋根に雨音が響きだして、今日も夕方から雨脚が強くなった。
 雨は水の膜と音の膜を作って、この森はさらに世間の常識から切り取られていく。例えば今、表の道を誰かが歩いて悪口を叫んでいても決して聞こえない。隣で火事があって誰かが叫んでも、人殺しが起こっていても分からないのに違いない。もうここは、常識の範囲外でそれは最初からそうだったのだけれども、いよいよもって、雨に覆われて水がすべてを遮断してしまう。
 一人でいるということを寂しく思ったことはない。それも常識的に考えると異常なことなのだそうで、周りからはあれやこれやと余計な口出しをされる。毎日せっせと会社に通っているのだから、世捨て人でもあるまいに、どうも、裏口から出ているのがいけないのか、近所の人は一日中家の中に閉じこもっていると勘違いしている節がある。
 最近、便利になったことといえば、戸口まで宅配便を呼びつけなくてもすむようになったことだ。あれほど面倒なこともない。買い物に行くのが面倒だからという理由で、何から何まで持ってこさせていたら、その一つひとつを近所の目がしっかり見ていて、派手な生活をしていると勘違いされた。常識。常識。常識である。どこかで荷物を受け取って、こっそり裏口から持って帰ればそれを突っ込まれることもない。
 裏口から出た先も、広いとは言えない路地だ。人はほとんど通らない。これもこのあたりの「常識」なのだが、徒歩で生活することがみじめたらしく貧相なことの象徴だと考える節がある。だから自分も車を持っていないというと、驚き呆れられる。買えばいいのに、運転できないの、車がないと不便でしょうと誰もが自分たちの常識をこちらにぐいぐいと押し付けてくるが、別に不便ではない。便が少ないうえに高額だがバスだって走っているし、バスに乗っていればそのうち電車の駅にたどり着く。しかし、車を持っていることとその車に乗って遊びに出かけることがステータスである人々にとっては、とかくあり得ないことらしい。だから、裏道に人は通らない。彼らの面白いところは、すぐ近所のコンビニにさえ車で出かけるところで、そこまでして二本足で歩くのが嫌なのか、こちらにしてみれば全く理解しがたい。
 裏道はいつでも静かだ。家の裏側というものも、彼らにとっては非常識な場所なのかもしれない。道は舗装こそされているものの、もう二度と舗装のために重機が入れそうにもない細さで、家々の裏口ばかりが並ぶ。出て右手はほんの五メートルほど先でどん詰まりになっていて、ブロック塀で塞がれていて、ところがこの裏側であっても常識が大事な彼らはきっちりしていないといけないらしく、木々はきちんと刈り込まれ、いつのまに掃除をするのか道はいつでもきれいに保たれていた。ある意味でうすら寒い。草が伸びているのは自分の裏口くらいのものである。

 その、路地を曲がったところで、人が立っているのが見えた。時刻は午後六時半。夏至を過ぎたばかりだからまだ日が落ちるには早いのだが、今日も雨だから薄暗い。これまで一度だって、自分がここを通ったときに人が立っていたことなんてなかったものだから、息をのんで立ち止まった。人に会うのは嫌だ。また何かよからぬ常識をかざして布教されでもしたら面倒だ。最近ではできるだけ人の姿を見ても無視することにしているのだが、さすがにこの細い路地ではすれ違うのに距離が近すぎる。
 どの裏口から出てきた人なのか、かの人物が立ち去るまで時間をつぶすことにした。道を間違えたようなふりをして引き返す。とはいえこの辺りに時間をつぶせるような場所は無いから、ただ歩くしかない。


#なんのはなしですか


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 終わらんかったから上にしました。



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