闇の子どもたち 断片1
とりわけ寒い日だった。
寝静まった町は静かで、建物の中からぼそぼそと大人たちが話し合う声が、裏口に佇む彼のもとまで聞こえてきた。
話し合ったところで、結論はもう揺るがないのに、最後の時間を伸ばすように、小さな声が続いた。
寒さには慣れていたから、彼はただぼんやりと立っていたように記憶している。事実、思い出す姿は、何をするでもなくそこに立っているところだ。
詳しい経緯もまた、ぼんやりとしている。彼がここに連れてこられたのは、目当てのものを見つけ、任務を遂行するためであり、にも関わらず外で待っているのは、まだ見た目が子どもで、あの話し合いには不釣り合いだったからだ、と思う。
幼い見た目をしていても、すでに彼は、大人と子どもの線引きについて諦めていた。とくにこのときに限っては、それよりも重要な任務があったというのもある。
雪が降り出した。
狭い裏庭には、雑多に木々が生えている。庭というよりは、単にその先の林なのだろう。
もしかしたら、春になれば、それらしい飛び石だとか花だとか、そんなものが現れるのかもしれないが、なにしろ、すべてはまるく雪で覆われていた。
吐く息は凍りつくように雪の色に染まる。
二階にあった気配が移動するのに気がついて、彼は姿勢を正した。
そうだった、と思い出す。
二階へ行くように言われていたのだった。それなのに裏口にいたのは、これからしなければならないことを、ほんの少し憂えていたからだ。
自信がなかったわけではない。
ただ、こればかりは結果がどう出るか、彼にも分からなかった。
雪の庭に、小さな影が現れた。
踊ってでもいるのか、飛び跳ねながらくるくると向きを変える。木々の向こうを見え隠れしながら移動する。そのまわりを、淡くまるい光の粒が、色を変え、大きさを変えながら、同じように飛び跳ねる。
音は聞こえない。雪を踏み締める音も、本人が小さすぎるのか、彼のいるところまでは聞こえなかった。
真向かいまで来て、目があった。
りすか、うさぎのようだ、と彼は思った。
小さいころ、家の裏庭を駆けていたやつに似ている。
その通り、彼女は飛び上がって、目と口をまんまるにして――ただし、突進してきた。
てっきり、逃げられると思っていた彼は、思わず背後の扉を振り返った。
りすやうさぎ、ではない。
学舎にいる者たちに比べれば、まだ小さく幼かったが、面倒なことになる予感がした。
女の子は苦手だった。
すぐに騒ぎ立てて、そのうえ泣き出す。こちらが丁寧に道筋立てて話しているのに、途中で訳の分からない結論に飛びついて全てを台無しにしてくる。
彼の振り返った仕草に、人を呼ばれるとでも思ったのか、文字通り飛んできた彼女は、片方の小さな手で彼のローブの胸ぐらを、そう、冗談のようだが本当に胸ぐらを掴んで、顔をこれでもかとしかめながら、自分の口の前でもう片方の手で人差し指をたてた。
元より余計な口をきく気はなかった上に、むしろ、叫ぶなら相手の方だと思っていた。彼女は全くの無言で、そのくせ、信じられないほどに騒がしかった。
どう抗議しようか考える間もなく、彼女は彼が口を開かなかったことに満足してくれたらしい。にっこり笑って、あやすように、そう、これもふざけた話だが、胸ぐらを掴んでいた手を離して、優しく彼の胸元に触れながら、今度は空の上を示した。
つられて、目線を上げたのはどうしてだったのだろう。
雪雲に覆われているはずの空には、小さな光が無数に瞬いていた。雪片は変わらず落ちてくる。その中に、色とりどりの花びらが混ざり始めた。
美しかった。
こんなに美しい魔術の使い道を、彼は見たことがなかった。
彼の故郷はここよりも雪が深い。どんなに家の中を温めていても、人の心が凍てついていくことを彼は知っている。長い夜は、暗い闇は、暮らしを命を蝕んでいく。
いつだって、そう、なぜかもうすでにこのとき、全てを諦めていた彼でさえも、どこかで春を待ちわびている。
花はあとからあとから舞い降りる。
そのうち、花びらの中に、透明な羽のある小さな魔ノ物まで現れて、これにはさすがに彼も苦笑した。これは確かに「看過できるものではない」だろう、「国」にとって。
彼が向き直ると、彼女は自慢げな笑顔を見せた。顔いっぱいで、褒めてほしがっている。
だから彼も、優しく微笑んだ。手を挙げたことを、撫でてもらえると思ったらしい。その仕草は、実家で姉が飼っていた猫に似ていた。
頭に手を当てると、不思議そうな顔をしたまま、彼女は動きを止めた。彼は少しほっとした。まず一つ目の懸念点、対象者が騒ぎ立てる、もしくは逃げる、は解消された。
「奪うのか?」
彼が低く言葉を紡ぎ始めたところで、声が聞こえる。二つ目の懸念点は、邪魔が入ることだった。
「彼」が近くにいることは分かっていた。少し前から、二人が空を見上げるのを、じっと見ていたことも。
ああ、違うな、と「彼」は鼻で笑うような声を出す。今は彼と変わらない少年の姿をしているから、人のように振る舞うのだろう。
「封じるのか」
邪魔がしたいだけで、阻止する気はないらしい。
「お前のようなものに、奪えるわけもないか」
花びらは止んでいた。雪片だけが舞う中で、彼女はゆっくりとまぶたを閉じていく。彼女の持つ力が、彼女の中で小さく微かになっていくのが分かった。
いつの間にかそばまで来ていた「彼」が、彼女の体を支える。彼の最後の言葉が口を離れると同時に、「彼」は慣れた手つきで彼女を抱き上げた。
人の姿をしているくせに、その輪郭が危うい。わざわざ彼の前に姿を現して見せたのは、嫌がらせか、それとも試されていたのか。
「よくて10年だな」
三つ目の懸念点は、これは非常に由々しき事態だが、彼の力が及ばないことだった。そうなれば、もう誰の手にも負えない。
「彼」の言う通りなら、無駄ではなかった。
これからのことと、その先のことを、託そうとしてしまったのは、力を使い切って疲れていたからかもしれない。余計なことを考えたせいで、目の前の少年の鋭い眼光を受ける。
「巻き込むな。阻止しろ」
もちろん、分かっている。もとより、そのつもりだった。こんな思いをするのは自分だけでいい。
「彼」は、もう一度鼻で笑う真似をして、向きを変えた。彼女を抱えたまま、静かに歩み去る。
また裏庭にひとりきりになった。それまでそうしていたように、裏口に立ったまま、彼は庭をただ見ていた。
雪も止んでいる。
夜は暗く、そして冷たかった。
とりあえず
断片だけを
集めるよ
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