団地
三歳から八歳まで団地で暮らした。
土地全体が薄暗い印象の街で、晴れていたことも、夏もあったのに、思い出すといつもどこか薄暗い。
小学校もどこか薄暗くて、怪談ばかりがささやかれていた。校舎はとても巨大で、それはわたしが小さかったからだけではないと思う。人数のわりに広い学校だった。
敷地の一角が削れて墓地になっていて、とにかく子どもたちが根も葉もない噂をするには充分だった。
団地も薄暗かったし、隣の公営団地も薄暗かった。
写真では、みんな笑っているし、楽しい思い出もたくさんあるのに、全体が薄暗い。コンクリートとアスファルトのせいなのか、別の理由なのかは分からない。
次に住むことになった地区は、とにかく明るくて、ぽかぽかした印象がある。ここだって、雨も降れば雪も積もったのに、すごく朗らかで陽気だ。同じ市内でさほど離れているわけでもないのに、真逆の印象なのだ。
薄暗い団地は、引っ越した当時、八十年代にはすでに古びていた。とは言っても、建てられたのは戦後のはずだから、さほど古くはないはずなのに、ひどくくたびれて見えた。
すぐそばを国道だか県道だかが通っていて、空気が恐ろしいまでに汚れていた。薄暗い理由の半分は、この道をゆく車の排気ガスのせいだったのかもしれない。車は二十四時間ひっきりなしに走り、近くのセメント工場では、昼夜問わずコンクリート車の番号が大声で読み上げられていた。
わたしの夢は、いつも薄暗い。
陽の光がさすことは稀で、たいていが、たそがれ時か曇天だ。その輪郭はぼんやりとしていて、はっきりしない。
わたしの夢が薄暗くなってしまったのは、幼少期に過ごしたこの土地のせいかもしれない。
中でも、印象的な夢がある。
桜の夢だ。
水墨画のように全体がうっすらとした白黒の濃淡の桜が、家の壁に描かれている。この「家の壁」というのは、当時住んでいた団地のものではない。それよりも前に住んでいた家に似ている。
わたしたちの二段ベッドがあって、姉の机が壁に向かって置いてある。その横の壁に桜は描かれていた。
絵だ。
だが、桜は風にそよぎ、花びらを落としている。桜は枝をだらりと地面に垂れていた。そのそばに、白い着物を着た髪の長い女が立っている。
彼女もまた、白黒で、何をするでもなく立っている。こちらを向いているが、顔は覚えていない。これは、顔が見えなかったのではなく、単にわたしが人の顔を覚えていられないだけだ。
怖くはなかった。
美しくはあったが、そのときはまだ、哀しいという感情を知らなかった。悲しいのではなく哀しいのだ。
彼女がわたしに何かを言っていたということもない。
ただこの夢を何度も見た。
冷静に考えれば、よくある構図ではあるから、昼間にどこかで見た同じような図式が印象に残っていて、夢に見たのだともいえる。特に子どもならありそうなことだ。
しかし、夢を見ていた当時は、全く気にならなかった。というか、そんな夢を見ることに、なんの疑問も抱いていなかった。
怖いわけでもないから、それを見て目が覚めるようなものでもない。
夢、といっても、断片的なイメージのようなもので、何かの折に、サブリミナル的に挟み込まれていた印象だ。
わたしはこの女性が、すでに死んでいること、それは自ら望んだからだということ、を知っていた。
小学校は高台の上にあって、ある一方に坂を下っていくと、雑木林があってそこには戦時中の防空壕があるという話だった。わたしはまだ小さな女の子だったから、そんなところへは行かなかったが、学校では、その辺りで遊んではいけない、と注意されていた。
女性が死を選んだのも、そこだった。
桜はない、と思う。昔はあったのかもしれない。
もっと後になってから、わたしはこの夢に気がついた。明るい土地に引っ越してからのことだ。気がついたのは、この夢を見なくなったからだった。
大人になってから、姉が言うには、あの団地にはいろいろなものがいた、のだそうだ。突然、タンスがガタガタと動き始めたり、足を引っ張られたり、耳元で何かを叫ばれたりと、姉は酷い目にあったり、ヘンなものを見たらしい。
姉は当時、中学生という多感な年ごろだったから、そのせいもあるのかもしれない。
いい加減、不安になった姉は、母に事の次第を相談したのだという。そんなバカなことがあるものか、と怒ってもらうためだったという。
母は、真剣な顔でこう答えた。
「その話、直ちゃんには、言ったらいかんよ」

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