ステルス 6
これまでのお話は
コハルの行動は、すべてが裏目に出て、下層の住民から、全ての元凶だと決めつけられ捕えられてしまいます。
そんな彼女の元にやってきたのは、松葉ではなく、かつての鬼上司でした。
さらなる悪夢か
それで、とボックスに入るなり橋谷は厳しい声で尋ねた。空き家らしい、コハルのものと同タイプのボックスだ。
橋谷が机の椅子に座り、槇はベッドの縁に腰かけていた。相原は、手元の端末を構えている。
「……え?」
コハルは間抜けた返事をしてしまった。慌てて、正しい受け答えをしなければと頭を働かせる。
「何が起きている。お前、松葉に手紙を書いていたのは間違いないか」
「……う、は、はい」
頷きながら、コハルは混乱した。何が起きているかは松葉に話してある。なぜ橋谷が手紙のことを知っているのか分からないが、手紙にも一部始終を書いたのだ。
「お前の手紙だがな……」
珍しく、橋谷が言いにくそうに息をついた。
「実は……ダストボックスに捨てられていた」
「えっ……?」
コハルは言われた意味が分からず、首を傾げた。
「別件の捜査中、偶然、発見された。一時、課内で特殊な暗号ではないかと騒ぎになり、俺のところまで上がってきたわけだ」
彼は心底嫌そうに顔を歪めた。
「よく見れば、恐ろしく見覚えのある筆跡だ。
俺が読まなければ、今も無駄な解読作業を進めていたところだ。勝手に読ませてもらったが、それでもほとんど解読不能だった。
読み取れたのは、宛名と、何かが危険だと訴えているらしいというそれだけだ! どうしてお前は文字も書けない?」
いや、と橋谷は右手で目を覆った。
「今回ばかりは、何とも言えんな。松葉は誰も読めないと思って、捨てたのだろう。
白岡、本当は何を書いた。
噂では、松葉もここへ来たらしいな。何を話した」
「……何を……? あの……」
「上層では、下層が危険だから封鎖する、としか聞いていない。例の病が蔓延したらしいな。電力の供給まで止まっているようだが」
コハルは下層へ戻ってからのことを、順を追って説明した。途中で頭がこんがらがって、何度も怒られる。
なぜ、松葉は手紙を捨てたのだろう。どうして、下層は切り離されたのだろう。その疑問が彼女の頭をぐるぐると回っていた。
「繭は、上層にもありました。だから、下層を……隔離、しても仕方がない、んです。
そう、松葉さんにも……え、あ、伝達、したのですが」
「揉み消されたな」
橋谷が吐き捨てた。
分かっていた。松葉にとって自分が取るに足らない存在だとは。
それでも、望みを持っていたことが途端に辛くなった。分かっていたのに。
「それで? 何だってお前が捕まった。分かる気はするが」
「それは……繭を、弾けさせてはいけないと思って、保護、したのですが……」
コハルの説明を聞くうち、橋谷の顔が強張っていった。途中から彼が口を挟まなくなったので、彼女は自信無く、ぼそぼそと小さな声で話し終えた。
「お前……白岡……」
「……は、はい」
「目が特殊なのか……」
橋谷は呻くように言って、顔を覆った。どうりで、だから、と彼はぶつぶつと呟く。
「なぜ、それを最初に言わないんだ……」
「自分で気付かなければ無理でしょう」
黙って聞いていた槇が、横から口を挟んだ。
「私が思うに、我々の知る彼女と違う点は、目の特異性だけです。要するに、自分が見えている世界が、他人にも同じように見えていると信じて、今日まで生きてきた」
「……他人と違う、自分は変だと気付くだろう。何年人間やってるんだ」
課長、と槇は涼しい顔で言った。
「そこは、あなたがよく御存じの通り、白岡さんですから」
そうか、と橋谷は納得し、項垂れた。
「……あのう……本当に、繭は見えないのでしょうか。なぜ、わたしには、あれが見えるのですか?」
「簡単に言うと、視力の問題ですね。白岡さんには、生まれつき電子顕微鏡並みの視力が備わっているのではないでしょうか。
普通の人間が見ることのできる物より、もっと小さなものまで肉眼で見えてしまう。
繭は大きさから言って、本来なら見えるべきものですが、空気に擬態しているか、もしくは光の屈折で動物の目には映らないのでしょう。
となると、顕微鏡ではなく、特殊レーダーのような働きもあるのかもしれません」
槇はすらすらと説明してくれたが、コハルは曖昧に頷いた。自分が人と違うという事実は受け入れがたく、未だに信じられない。
それはさておき、と槇は立ち上がった。
「このウイルスは、電気もしくは電波を介して感染するのではないでしょうか」
「話からすると、そう思えるが」
「ええ。あくまで推測です。白岡さんの話を信じるなら、という前提付きになりますが。
ウイルスは単純に電気のある場所を目指いているように思います。感染というよりは、居場所を求めて移動するわけです。
恐らく、彼らは電気が無ければ生きていけないのでしょう」
コハルは、槇の話をぼんやりと聞いた。今度は信じてもらえるのだろうか、という期待が頭をもたげて、それをひたすら押し隠す。
「そう思ったのは、粘着テープです。白岡さんが手に巻かれていたのは、絶縁テープですよね。ウイルスが死滅していたのも、このテープが巻かれた繭だったはずです」
目線で同意を求められたが、残念ながらコハルは首を傾げた。何テープかは分からない。同じものだったのは覚えている。
「ウイルスは繭の中で一定期間、培養される。
その間も、何かしらの電気を補っているのでしょう。それが断たれたことで、ウイルスは死滅した。そう考えるのが妥当のように思います。
それを踏まえると、下層で人の犠牲が多い理由も説明が付くのです」
「上層には……大きなコンピュータが多いからか」
そうです、と槇は言った。
「人と動いている機械があれば、機械の方へ行く傾向があるようですから」
「……あ、あのう……ど、どうして、人にも機械にもうつるのですか……? ウイルスって、ええっと……」
「電気さえあれば、何でもってことだ。そうだろ、槇」
はい、と彼は答えたが、コハルはもう一度首を傾げた。
橋谷が軽く舌打ちをする。彼は自分の頭を指で叩きながら言った。
「人間の頭も電気信号だろうが。
確かにそれが食い尽くされたら、死ぬな。電力が落ちるのもそれでか。
代わりに、やつらは電気が無くなれば、死ぬしかないと」
変な話だ、と橋谷は片頬で笑った。
「白岡。その繭はいつからあった」
「……は、はい、え、ええと、あ、はい、」
「ここ最近か?」
いいえ、とコハルは首を振って考えた。
「増えたのは、ここ最近です。繭そのものは、ずっと……子供のときも、ありました」
「つまり、俺たちは見えない繭と同居していたって訳か……ウイルスが出るようになったのは、いつだ」
「……いつ……」
「子供のころから出てたのか? それはないな。人が死ぬって話が出始めたのは、ここ一年くらいか」
「……わ、分かりません。けど、昔ではないです。行く前も……話を、聞いた、気もしますが……気付いたのは、その……帰ってきてからで……」
橋谷は頷いて槇を見た。槇は視線を受けて首を振る。
「調べてみないことには、原因までは分かりません。出処や時期……生態も含め、調査と研究が必要でしょう。
ただ、白岡さんの言う通りなら、その暇があるかどうか。繭を覆うことが最も安全で確実な方法のようですが、目に見えない以上、対処が困難と言わざるを得ません」
そうだな、と橋谷は顎をさすった。
「つまり……差し当たって、俺がこいつをどう使うかが、切り札ということか」
橋谷はコハルに何とも言えない視線を向けた。コハルは背筋を伸ばす。
「これからは、見えた物を全て報告しろ。今、お前には何が見えている」
全てと言われ、コハルは軽く頭を押さえ、目を細めた。部屋の中に繭は見えない。しかし、通路と同じように空中を漂う物があった。
「……ウイルスが、増えています」
コハルは見たまま言ったのだが、橋谷と槇は怪訝な顔をした。話を記録していたらしい相原も、手元の端末から顔を上げる。
「あっ……いえ、その、少し前から……ウイルスがこんな風に」
コハルは空中を指差し、続いて手で形を作ってみせた。彼女の手の先を三人が強張った顔で見る。
「ウイルスは繭の中にあるのではなかったのか?」
「待ってください。ウイルスは活動を停止しているということですか?」
「……停止……? そ、そうか、でしょうか」
「他には何が見える」
「……変な、虫? がいます」
コハルは半透明の虫を指差した。足や翅はなく、肥えた胴体を丸めて浮かんでいる。
ときどき体を伸ばして辺りを窺う仕草をするものもいた。
「何だそれは」
橋谷はいよいよ気味が悪そうに眉を顰めた。
「形態から考えれば繭を作っている虫の、幼虫ではないですか? とすると……」
槇は顔を曇らせた。
「何だ。どうした」
「彼らは環境に適応したのではないでしょうか。
ここは、繭の中だということです。
幼虫が浮いているのは、彼らの空間だから――ウイルスが増えているのは、培養されているからでしょう。繭の中では共存が成り立つようですね」
コハルは感心して槇を見た。
そういえば、通路に下がった繭は少なくなっていた。歩いてくる間も、彼女はそれに気を取られることなく進めたのだ。
ところが、橋谷はいよいよ険しい顔だ。槇も顔色を失っているのを見て、コハルは首を傾げる。
「完全に隔離されて、半日か……」
「……あ、あのう……?」
「下層は巨大な繭になっている。槇が説明した通りだ。
俺たちには見ることができないが、お前の言うことを信じるなら、そう推測される。それが、どういうことか分かるか」
コハルは目を瞬いた。
「……巨大な、繭……」
彼女の脳裏に、通路で大きな繭が弾けた光景がよみがえった。この地域一帯でツリーの下層部分が繭になったとしたら。
「……弾けたら……」
そういうことだ、と橋谷は低い声で言った。
「ウイルスは、最後はどうなるんだ。人が死んだ後だ。出てくるのか?」
「……いえ……消えたと、思います」
「消える?」
はい、とコハルは頷いた。皆は死んだ人を避けていたが、コハルの知っている限り、そこからさらに感染することはなかった。
「電気を媒介にして進んだ先で、目当ての物を食い尽くすと死ぬのでしょうか」
「電気を食い過ぎると、寿命を全うするということではないか?
食い過ぎても、足らなくても死ぬ」
「しかし……培養されるのが繭の中なら、どういうサイクルで繭に戻るのでしょう。虫の繭を借りているということは……卵にでも寄生するのでしょうか」
「どちらにしても、今あるウイルスの駆逐が先だ。今は動かないなら、電気があっても反応しないのか?」
コハルは、はっとして相原を見た。彼の端末は今も快適に動いている。彼女はそれを指差して言った。
「あ、あのっ、今は、その……無反応です」
「なるほど。この段階で叩くのは無理か。放っておけば鎮静化するが……」
ああ、そうか、とコハルはやっと納得した。体から力が抜けた。ふらりと足元が揺らいで、思わずしゃがみ込みそうになる。
「どうした、大丈夫か?」
「……それが、目的だったんですよね……下層で止めれば、治まるって……上層にある繭は、数も少ないし……そうだとしたって、驚くようなことじゃ、なかったんだ……」
コハルは橋谷を見つめたまま言った。自分も今、先ほど別れた下層の人々と同じ顔をしているに違いない。
「……皆さん、もう帰って下さい。ウイルスの危険がなくても……下層にいて、いいことなんて一つもありません」
コハルは橋谷に頭を下げた。槇が息をのんだのが聞こえる。
「お前が、それを言うのか?」
押し殺した声で問われ、顔を上げかけたコハルは再び深く頭を下げた。今のこの顔を、見られたくはなかった。
仕方がないとは思わないようにしてきた。自分にできることがあるなら。誰かの力になれるなら。
だが下層は、いつでも下層だ。
自分の能力の低さに関係なく、最初から声は上まで届かないのだ。
橋谷が乱暴に立ちあがる音がする。
「無駄なことは分かっていただろうが。
それでも防衛局を受けたのはなぜだ。
嫌味を言われて、馬鹿にされて、閑職に回されて、それでも半年、自分から辞めると言わなかったのはどうしてだ!」
コハルは思わず顔を上げ、橋谷を見た。彼はこれまでに見たことがないほど、憤って見えた。
彼女は目を瞑り、体を強張らせた。なぜ彼がこんなに怒っているのか、分からなかった。
橋谷が、大きく息を吐くのが聞こえた。
「お前は馬鹿だ、白岡。そういうのを、馬鹿というんだ」
彼が、どさりと腰を下ろす音が聞こえて、コハルはゆっくり瞼を動かした。目の前を、靄の塊が通り過ぎる。
息と共に吸い込むのではないかと不安になって、彼女は息を止めた。そんなにもウイルスは増えているのだ。
それに、と橋谷の声が続いた。
「お前の言う通りならどこにいても同じだ。
嫌な言い方だが、下層で鎮静化する前に弾けてみろ、上層も、他の地区まで危険にさらすことになる。
その可能性は高い。
ここの住人も、我慢の限界だろう。暴動でも起きてみろ。ゲートがこじ開けられれば……」
橋谷は、ふと考え込むように言葉を切った。
ちゃんと続きます

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