AIが「考える」時代に、私たちは何を学ぶべきか:知識マネジメントの危機とSECIモデルの再構築
プロンプトとともにGitHubとAWSにアクセス権を渡すだけで、AIがコードを自動生成し、即座にWebサービスとして世界に公開する――そんな未来がもう実現しつつあります。そしてその未来は、単なる技術の進化ではなく、私たちが「知識」を捉え、「価値」を創造する根幹を揺るがすものです。
今回は、この生成AIの波をKnowledge Management(KM:知識経営)の視点から観察し、知識の創造、共有、活用のあり方がいかに劇的に変化しつつあるのかを考えます。組織的知識創造のフレームワークであるSECIモデルをふまえ、AI時代において、なぜ「考えることの価値」と「教養」が組織と個人の最後の防波堤となるのかを探ります。
知識の自動形式知化とデプロイの連鎖
AmebloやExciteブログ、はてな、WordPress、最近だとnote。2000年代前半に登場した、いわゆるブログサービス/エンジンが可能にしたのは、個人の暗黙知(Tacit Knowledge)(思考、経験、ノウハウ)を「表出(Externalization)」させ、形式知(Explicit Knowledge)、つまり文章へと変換し、共有するプロセスの簡略化でした。しかし、このプロセスには「人が考え、言葉を綴る」という、人間による意図的な解釈と文脈化のステップが不可欠でした。
対して、現在の生成AIの進化は「知識の生成」と「知識のデプロイ」の完全な一体化を意味します。AIがコードという形式知を吐き出し、それが瞬時にWebサービスとして結合(Combination)され、世界に活用されます。これは、人間の思索を経ることなく、暗黙知の表出と形式知の結合が自動的に行われる、新たな知識創造サイクルです。
補足:デプロイとは
開発したソフトウェアやアプリケーションを、実際にユーザーが利用できる状態にするための「配置・展開」作業を意味するIT用語。具体的には、開発環境で作成されたプログラムをサーバーにアップロードし、設定を行って、ユーザーがアクセスできる本番環境に公開する一連のプロセスを指します。
形式知の洪水による信頼性の希薄化とSECIモデルの「内面化」危機
この新しい知識サイクルは、ブログ時代の比ではない加速度で無数の形式知の塊(アプリケーションやコンテンツ)を生み出し、ネット上に溢れさせます。その世界では「創造(Know-How)」と「公開/活用(Know-What)」の境界は消滅し、クリックひとつで形式知が爆発的に増殖するようになります。
KMにおける重大な課題は、そのような爆発的な形式知の増加が、知識の信頼性を希薄化させると同時に、SECIモデルのサイクル、特に「内面化(Internalization)」のフェーズを機能不全に陥らせるリスクがあることだと考えます。
まず知識の信頼性(Trust)の希薄化について。
AIが自動生成した形式知は、人間が意図的に文脈化し、検証した知識と区別なく流通します。情報の受け手は、その知識源(Source)や生成プロセス(Process)を判断できず、膨大な形式知を前に知識の判断麻痺を起こしかねません。結果、判断ではなく反射(の応酬)が横行するようになってしまいます。
補足:知識の「信頼性(Trust)」の希薄化とその問題について
従来の知識は、専門家が研究し、編集者が校正し、組織が承認するといった、いわば信頼性を担保するプロセス(検証や文脈化)を経て公開されていました。一方でAI生成の知識は、その生成過程(学習データ、アルゴリズムのバイアスなど)が不透明なままで、瞬時に完璧に見える形式知を生成・公開します。
信頼できる知識とは、単なる事実の羅列ではなく「なぜそれが重要なのか」「どのような状況で使えるのか」「誰が責任を持つのか」という文脈(Context)が付与され、さらに検証(Verification)された知識のことです。ここで言う文脈化(Contextualization)とは、知識に意味や価値を与える人間の営みであり、例えば「このコードはセキュリティ上問題ない」「この論説は特定の倫理観に基づいている」といった判断を伴います。
AIが生成する知識には、この人間の「意図」と「責任」を伴う文脈化と検証が欠けている、あるいは見えにくいという問題があります。結果として、知識を受け取る側(情報の受け手)が、情報過多と信頼性の不明確さによって、適切な意思決定ができなくなる状態=「知識の判断麻痺」が発生します。目の前のWebサービスや論説が「信頼できる専門家が検証したもの」なのか「AIがネットの情報を雑多に集めて自動生成したもの」なのかを区別できないがために、膨大な情報があっても、どれを信じて行動に移せばいいか分からず、意思決定の遅延や放棄が起こります。
では内面化(Internalization)の阻害リスクとはなんでしょうか。
内面化とは、形式知を実践を通じて自身の暗黙知(ノウハウ、スキル)として落とし込むプロセスです。
しかし、AIが「簡略化された結論」や「バズる答え」を即座に提示する環境では、人々は「試行錯誤すること」「深く考えること」という内面化に必要な実践を避け、知識を「所有」ではなく「消費」する習慣を強めます。
これは、個人や組織が持つべき深い洞察や批判的思考といった重要な暗黙知を保持できなくなる深刻な危機を引き起こす恐れがあります。
教養とリフレクション:知識の質的向上という戦略
生成と公開が一体化し、法や倫理のグレーゾーンを高速で走り抜け形式知を量産する世界では、責任の所在や創作性の判断基準は曖昧化し(あるいは判断する時間≒余裕がないまま公開され)、社会の複雑さは増幅します。
この状況下で、私たちが持つべき「人間の能力」は、知識の量産化に対抗する知識の質的向上です。
①教養とリベラルアーツの再定義
KMの観点で言えば「教養」とは単なる知識の蓄積ではなく、情報の洪水の中で、自らの価値観と文脈で世界を意味づけ、批判的に知識を評価する力です。これは、AIが提示した形式知(コード、ニュース、論説)を盲目的に活用するのではなく、真の知識として選択・再構築するための土台となるものです。
②「思索(Reflection)」の価値の回復
AIが作り出した形式知の塊に対し、意図的に立ち止まり内省(リフレクション)を行うことも大切です。リフレクションは、AIが処理できない倫理的判断や未だ言語化されていない課題といった新たな暗黙知を生み出すからです。リフレクションによる「共同化(Socialization)」と「表出(Externalization)」への回帰こそが、知識創造のサイクルを再び人間主導に戻すための、重要な「人間的能力」だと考えます。
考えることの価値を取り戻し、知識の航路を定める
生成と公開が一体化する未来は、恐ろしいほどに創造的であると同時に、知識の信頼性を巡る大きな課題を突きつけます。
この速度に飲み込まれないために、私たちは立ち止まり「人間の知恵」を知識創造のサイクルに再配置する必要があります。

そのための具体的な第一歩は、前述のリフレクション(内省)を習慣化することです。
立ち止まる習慣:AIの成果物(形式知)を盲目的にデプロイする前に「なぜこの結論に至ったのか?」「この知識が組織の倫理観に反しないか?」と問いかける一拍置く時間を意図的に設ける。
「問い」の共有:AIが提供した答えそのものではなく、その答えを導き出したプロセスや背後にあるべき人間の意図について、組織内で議論し、暗黙知の対話を促してみる。
Knowledge Associates Japanからの提言
先に述べた「知識の質的向上」と「リフレクションの習慣化」を組織的に実現するためには、体系的なKMフレームワークをベースにした「しくみ」の設計・導入が有効です。
私たちKAJは、AI時代における知識の信頼性と活用力を高めるための、以下のサービスを設計・提供することを計画しています。
知識信頼性評価コンサルティング
AI生成物を含む組織内の形式知に対し、文脈化のレベルと信頼性の指標を付与し、知識の判断麻痺を防ぐための評価体制を構築します(AIが生成した知識に「信頼マーク」と「使い方ガイド」を付けて、社員が迷わず知識を最大限に活用できる仕組みを構築するためのコンサルティング)。
戦略的リフレクションワークショップ
SECIモデルに基づき、形式知から新たな暗黙知を生み出すための「問い」の設定と、対話の場を設計。社員一人ひとりの内面化能力を高め、AIに依存しない知識創造サイクルを確立します。
AIの進化は、私たちに「何をつくるか」ではなく、「何を信じ、どう生きるか」を問い直す機会を与えてくれた、とも言えます。考えることの価値を取り戻し、知識の航路を定める旅路を、ぜひご一緒させてください。
<終わり>

