主人公の請願 ― 人は何によって生きるのか
「何のために僧侶になったのだろう。」
そう自分に問いかけた夜がありました。寺を守りたいと思って来たはずなのに、「どうせ私はここに最後までいない」という思いが心をよぎることがありました。❇️
「初心を忘れるな」
禅ではよく耳にする言葉です。
しかし私は、最近になってようやく、その本当の意味が少し見えてきたように思います。
初心とは、僧侶になった日の決意ではありません。
もっと古く、もっと深いところにあるものです。
私はそれを**「主人公の請願」**と呼んでいます。
禅には「主人公」「本来の自己」「無位の真人」「心牛」など、さまざまな言葉があります。
どれも、肩書きや損得、世間の評価とは関係のない、本来の自分を指しています。
では、その主人公は何を願っているのでしょうか。
私は、それは子どもの頃の、まだ世間の価値観に染まる前の、けがれのない願いではないかと思うのです。
私は時々、自分に問いかけます。
「何のために僧侶になったのだろう。」
「私の本当の希望は何だろう。」
そう問い続けると、不思議なことに答えはいつも同じ場所へ帰ってきます。
人の役に立ちたい。
それが私の主人公の請願でした。
ところが大人になると、その願いは少しずつ別のものへと姿を変えていきます。
生活のため。
家族のため。
家を建てるため。
子どもを育てるため。
老後のため。
どれも人生には欠かせない大切なことです。
けれど、それは人生の目的ではなく、人生を支えるための手段です。
手段が目的になると、人はどこかで道を見失います。
「どうせ人は死ぬ。」
「どうせここには最後までいられない。」
そんな思いが心を覆うことがあります。
私自身も何度もそう思いました。
だからこそ、何度でも主人公に帰るのです。
若い頃、私は交流分析という心理学を学びました。
そこでは、人は幼い頃につくられた「人生脚本」に沿って生きると言われています。
とても興味深い考え方です。
しかし禅を学んだ今、私はもう一つの見方があるのではないかと思うようになりました。
人生を変えるのは、脚本ではなく、
主人公の請願なのではないか。
本来の願いがはっきりすると、人は日々の選択が変わります。
選択が変われば行動が変わる。
行動が変われば人生が変わる。
私はこれを「人生のプログラムが変わる」と感じています。
人は誰でも迷います。
弱くもなります。
それでも主人公の請願が心の奥で生き続けているなら、何度でも立ち上がることができます。
だから私にとって希望とは、願いが叶うことではありません。
主人公の請願を思い出し、その願いに従って今日を生きること。
それこそが、本当の希望なのです。
あなたの主人公は、何を願っていますか。
その声に静かに耳を澄ませたとき、人生は誰かに与えられたものではなく、自らの願いによって歩む道へと変わり始めるのだと、私は信じています。
8月13日より8回連続記事「主人公の請願」を公開します。
「言葉の寺❇️定法院」の根底をお見せします。
お楽しみに!!
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