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「昔は良かった」で自己防衛する【亡霊ファン】の成仏論

SNSで「昔の方が良かった」って言っている人を見るたびに、
なんか、少しだけ哀しくなったんですよね。

たぶん、あれは怒っているんじゃなくて、
過去の自分という【亡霊】に縋ってしまっているだけなのではないかと。


■思い出に縋るという事

僕はディズニーが好きなのですが、
「昔の方が良かった」をすごく強い論調で語っている人がいたので、ちょっと思うことを。

懐かしい気持ちはわかる。わかります。
あの匂い、あの時の輝き、あの日の音。思い出は優しいですよね。

過去の魔法は、いつ思い出してもキラキラと輝いています。
でも、過去の魔法を盾にいまの魔法を殴り続けるのは、ちょっと違う気がするんですよね。

SNSを開けば、ショーが劣化したとか、構成が安っぽいとか、
キャラ出しとけば満足なんだろ的な風潮になったとか、そういう嘆きが流れてくる。

ときどき思います。

世界を止めて評価軸を過去に固定するって、自分を苦しめるだけじゃない?
ブランドも、世界も、自分自身も変わっていくものですよ。

■ブランドは【いまの客】のためにある

マーケティングの世界では、想定顧客は常に更新されると言われています。

昔、自分がど真ん中だったとしても、いつの間にか端っこへ寄っていることは普通にあります。

イメージとしては、年取ったら昔使っていた化粧品が肌に合わないとか、
いかついドラゴンが描かれたデザインはちょっと気恥ずかしいとか。
そんな感じ。

実際は、公式が変わったのではなく公式が向いている方向にもう自分が立っていないだけ。
想定されるメインの顧客層では無くなった。
それだけなのだと思います。

残酷な言い方なので、なかなか認めにくい話しかもですけどね〜。

■愛が深いほど、成仏できない

人は、投資したものを失えないんです。
心理学にはコンコルド効果というものがあります。

お金を投じた、時間をかけた、思い出が詰まっている。
思いが詰まったものは減価償却したとしても、自分の一部になってしまっています。

思いが詰まってとっても重〜い。ってやつ。

そんな、コストのかかったコンテンツを「もう自分の場所じゃない」と認めるのは辛いんですよ。
わかりやすく言うと、自己アイデンティティの否定につながるって訳だ。

僕もソシャゲをすぐにやめろと言われたら「まぁまぁ金かけたしな〜」とか考えちゃいますね。
愛してきた側のプライドが邪魔をします。

その結果、ファンだったのに批評家へと変わっていくんですよ。

いわゆる懐古厨って呼ばれる人たちも、この構造の中にいるんだと思います。
昔はよかった!!とか言いまくって、「〇〇を知らないのは今のオタクはかわいそう」とか言いだす。
その〇〇はもうないんだから語られても、ねぇ?

これの厄介なのは、自覚ないパターンや親切心、マウントなど様々な要因の複合形態ってことです。

■「自分の批評は正義」になる恐怖

SNSには「自由に言える場所」という看板が掲げられています。
だもんで、こう思う方もいるかも知れません。

批判も自由。でも、自分の好きなものに批判しないでほしい!

ダブルスタンダードすぎてびっくりっちゃう。

『批判も自由』という建前で自分の正義を振りかざしながら、
自分の愛した対象への批判には『許せない』とブチ切れる。

自分には自由を求める。
他人には規律を強いる。

これ、シンプルに論理的横暴です。

愛が深いほど、視野は論理的な水平線を失っていくんですね。

こうはなりたくないな〜。

僕は、自分が何言っても他人は変えることができないってスタンスなので、
自分の評価軸を更新した方が建設的だと思いますけどね。

■昔の正義を守るのは、いまの自分を守ること

昔のショーの構成力を絶賛し、最近のショーはキャラに頼りすぎだと嘆く。

この心理を紐解くと、こんな声が隠れていると推察します。

「かつての僕は正しかった」
「だから今の僕も正しいはず」
「今のこれは間違ってる」

……亡霊かな?

言うてしまえば、アイデンティティの防衛とでも名付けましょうか。
こうしないと、昔、自分が得たモノの否定になってしまうと本能的に避けているのかもしれません。

そんなことないのにね。
その時の「素敵」は、今も息づいているはずなのに。

楽しめない自分を肯定するために、楽しむ誰かの笑顔を攻撃する。
これは悲しい構造ですが、僕たちはそれを変えることはできない。

できるのは、『自分の評価軸を、過去ではなく、いまの自分のために更新する』という、建設的な自己責任だけです。

そして、今、昔と全く同じ内容で再演されたとして、
同じ感動値があるかと言われれば、恐らくNoです。

変わったのは作品ではなく、僕たちの方です。

若さって、速度なんですよね。
若い子は世界を飲み込むテンポが速んですよ、ファストフードもファストファッションも、ちゃんと似合う。
年取るとファストフードが思うように食べれなくなるみたいな感じ。

あの頃のディズニーが鮮やかだったのは、
世界の変化と自分の速度が釣り合っていたから。

でも、年齢を重ねると、世界は加速し続けるのに、自分の速度は少しずつ落ちていく。
同じ作品を見ても、もう【同じ速度】で感動できない。

それは劣化でも衰えでもなく、
感情の波長が変わっただけなんですよ。

人間の感性は年齢と共に変わるし、若いころとものの考え方も違う。

なので、この【昔の正義】にしがみつく事は、僕の中ではあまり推奨しません。
人間は、思い出を勝手にキレイにしてしまう生き物ですから。

■卒業は敗北じゃない

ならばどうしろって?

提供価値と期待がズレてしまったなら、それは【潮時のサイン】です。

なにも完全に離れる必要はありません。
距離感の見直しってやつです。

離れることは、負けでも裏切りでもない。
思い出を否定することでもない。

ただ、家族でも関係性や距離感が変わる事ってありますよね。
年齢とかライフステージとか。

たまたま少し、距離をとってもいいかもねってタイミング。

思い出は消えませんので、それを胸に新しい【楽しい】に出会ってもいいかもって話。

でも、それができずに、過去に縋ってしまう人もいます。
批判や講評ばっかだと疲れちゃいますよ?

作品への愛を語っていたはずが、
いつの間にか「愛を語る自分」を守る戦いに変わってしまったのかもしれません。

■亡霊のまま楽しめなくなる前に

愛したコンテンツが歩き出したとき、
一緒に歩けなかった人は、その場所に固まってしまう。

席が移動したのに、その場に立ち続けている観客。

楽しんでいる他人の『いまの幸福』が、自分たちが失った『過去の正しさ』を否定するかのように見える。
彼らは、楽しんでいる誰かの前にわざわざ立ち塞がり、過去の亡霊として呪詛を唱えます。

「昔の方が良かったのにこれで感動してるの?」ってね

実写版ホーンテッド・マンションかな?
でも、実際にこう言う人はいるんですよ。

亡霊のまま楽しめなくなる前に、
一度【愛の終わり方】を考えてみてもいいのかもしれません。

■愛を終えられる人が、次を愛せる

僕はこう思います。
何かを深く愛せた人は、必ず何かをまた愛せるはず。

ディズニーでもそれ以外でも、
【楽しい】や【キラキラした思い】の残滓は体のどこかに残っているはず。

ピーターパンで空を飛んだウェンディは、
『ピーターパン2』で母になり、戦時下になっても、
ピーターパンに再び会ったら、空を少し飛べるんですよ?

人生には無駄なもんなんてないです。
それが、次を楽しむための力になるはずです。

もし、違うコンテンツでも「ディズニーなら〜」って言うのはやめときましょう。
郷に入っては郷に従えってやつ。

過去を置いていくんじゃなくて、過去が背中を押してくれますって。

世界は止まらない。
ブランドも止まらない。

特にコロナ後と前では、世界の速度は一段ギアが上がっています。
情報と価値観には、常にアンテナを張っていたいものです。

いま、夢や魔法、冒険とイマジネーションを楽しんでいる誰かがいます。
その笑顔を、昔の僕らは羨む必要なんてないはずです。

あの頃の魔法をもらった僕たちは、
もう見守る側に立っているんです。

それでいいんじゃないかな?

……あくまで僕は、そう思うよって話でした。

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