小さな違和感が私を追い越した日
日常の中でふいに、
説明のつかない違和感が胸の奥をかすめることがある。
反応の薄い夫と、
感情の深さに揺れる私。
その“わずかな差”は、
いつも静かに横たわっていた。
ただの一場面のはずなのに、
そのきしみが、自分という存在の“位置”を
思いがけない形で浮かび上がらせた。
これは、
そんな小さな出来事に
自分の居場所の輪郭をそっと照らされてしまった日の話。
気づいたのは、
音のない瞬間だった。
なにかが起きたわけじゃない。
ただ、ふいに呼吸の深さだけが変わった。
痛みと呼ぶには曖昧で、
悲しみと呼ぶには乾きすぎていた。
けれど、身体の内側のどこかで
ひそやかな重さが沈んでいくのを
確かに感じていた。
その静けさのまま、
彼が美術番組を眺めていた日の光景が
ゆっくり浮かんだ。
画面に映る作品の前で
彼の表情がほんのわずかに緩んだ。
「きれいだな」
「落ち着くな」
ただそれだけの言葉なのに、
そこには“反応の温度”があった。
その一瞬で、
自分の中心にひそんでいた重さが
かたちを変えるのが分かった。
作品には触れられて、
私には触れられなかった——
その差だけが、
痛みの輪郭を決めていた。
彼には、
描ける世界があった。
若いころ、
自分の手で線を引き、
コマを割り、
その中に“扱える深さ”の感情だけを
並べていた世界。
揺れても逸れず、
沈んでも戻ってくる。
痛んでも暴れない。
その世界の感情は、
必ず戻る場所を持っていた。
私は、その外側にいた。
生身の感情は、
沈む速度も、揺れる角度も、
日によって変わってしまう。
ページの枠の中に
収まらない深さを抱えていた。
だから彼は、
私の感情に触れようとしなかった。
触れた瞬間、
彼自身の静けさが乱れると
どこかで知っていたのだと思う。
私はずっと、
気づかないふりをしていた。
彼の“扱える深さ”に触れてしまうと、
自分の感情の落ち着く場所が
どこにもなくなると分かっていたから。
けれど、
作品には反応して
私には反応しなかった
あのわずかな差だけは
どうしても見逃せなかった。
その差が、
自分の居場所の輪郭を
じわりと浮かび上がらせた。
そこで、止まった。
触れられなかったのは、
私の感情ではなく、
私という存在そのものだった。
その事実だけが、
私の内側の深いところへ
音もなく落ちていった。
いいなと思ったら応援しよう!
あの頃の体験を、誰かと分かち合いたくて書いています。読んでいただけるだけで十分ですが、もし応援までいただけたら感謝でいっぱいです💌
