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上手く言葉にできなかったから、私は音楽を続けてきた。|私と音楽の話

私が音楽を始めたきっかけは、楽器ではありませんでした。歌詞でした。

中学生の頃。
人に想いを伝えるということは、思っていたより難しいのだと、少しずつ感じるようになりました。別に、誰かに何かを伝えようと強く意識していたわけではありません。

ただ、面と向かうと言えない。
上手く言葉にならない。
でも不思議なことに、歌詞にすると書けました。

誰かに聴かせたかったのか。
自分の気持ちを整理したかったのか。
今となっては、よく覚えていません。

ただ、あの頃から私は、言えなかった言葉を、歌にするようになりました。

振り返ってみれば、私と音楽の長い付き合いは、そこから始まったのだと思います。

そして私は、かなりの「妄想族」でした。私の歌詞の原点には、もうひとつあります。それが、妄想です。

人の恋愛を勝手に想像して、
勝手に恋をして、
勝手に傷ついて、
勝手に喜ぶ。

今考えるとなかなか忙しい人です(笑)。たくさん異性の友人からも相談を受け、友達以上恋人未満という変なレッテルも私を表す代名詞だったように思います。

だからでしょうか。昔から私が書く歌詞には、切ないものがたくさんありました。

恋をしている歌よりも、届かない恋。
幸せな二人よりも、すれ違ってしまった二人。
「好き」と言えた瞬間より、言えなかった言葉。
そんなところに、なぜか心が向いていました。

そして高校生になる頃には、ひたすら歌詞を書くようになります。

高校3年間で、おそらく200曲くらい。大学4年間では、500曲くらい。もちろん、全部が完成したわけではありません。1番までは書けたけれど、2番が書けなかった。数行だけ書いて、そのまま眠ってしまった。そんな作品まで含めれば、おそらく倍以上あると思います。

今考えると、よくそんなに書くことがあったなと思います。だけど、その時の感情や思いを感じたことをカタチにしたかったのだと思います。その感情は今がそう思うのでそうだと思っています。

でも、当時の私にはひとつだけ意識していたことがありました。

世界に同じ愛がないなら、同じ歌もいらない。

だからできるだけ、同じ作品にしないこと。同じニュアンスを使わないこと。同じ世界を描かないこと。

恋愛というテーマだけを考えれば、いつか書くことがなくなりそうにも思えます。でも私は、そうは思いませんでした。書くことがないというより書けないだけ。そんなときは書かない方がいい。必要なら伝えたいこと、書きたいことはまた現れると思っていたからです。

世界には、たくさんの人がいます。

その数だけ恋があり、
その数だけ別れがあり、
その数だけ愛し方があります。

それならば、愛を表現する言葉だって、無数にあるはずです。

同じ「好き」でも、会いたい好きがある。離れた方がいい好きもある。一緒にいたい好きもあれば、自分ではない誰かと幸せになってほしいと願う好きもある。

同じ愛なんて、きっとひとつもない。だから私は、どうすれば昨日とは違う恋を書けるのか。そんなことを考えながら、歌詞を書いていました。

なので、私にとって楽器は、あとからやってきたものでした。

私の場合、ギターを弾きたくて音楽を始めたわけではありません。ベースを弾きたくて始めたわけでもありません。もしかしたら皆さんと順番が逆かもしれませんね。

自分が書いた言葉を、音楽にしたかった。
自分の中にあるものを、もっと表現したかった。

そのために覚えたものが、楽器でした。
ギターを弾き、ベースを弾き、ピアノを弾き、バンドで音を鳴らすようになっても、私の音楽の中心には、ずっと歌詞がありました。

楽器は私にとって、言葉だけでは届けられないものを届けてくれる存在だったのだと思います。そして、私が書いた作品のBGMとしていつも音楽を作っている感覚です。

そして、あるとき書けなくなりました。ずっと同じペースで歌詞を書いてきたわけではありません。スランプというものなのか、考えすぎて何が何かわからなくなってたのか。書きたいと思えば思うほど、書けなくなったという症状です。

社会人になってからは、作品を作る時間が少しずつ減っていきました。もちろん、1日の中で歌詞を考える時間が減ったことは要因ですが。20代の頃には、一年で25曲くらい書ければいいかな。それくらいの感覚になりました。そして30代に入ると、さらに書けなくなりました。どんどん仕事に追われて、音楽が、歌詞を書くことが自分の唯一の時間として存在してくれてるから仕事が頑張れるといった立ち位置になっていました。その中で、作れる作品は一年で4曲くらい。季節が変わるワンクール毎に、1曲は作っている感じでしたね。高校時代に3年間で200曲を書いていた人間が、です。書きたい気持ちがなくなったわけではありません。音楽が嫌いになったわけでもありません。

ただ、書けない。

そんな時期もありました。

それでも不思議なもので、完全にやめようとは思いませんでした。その作業をしているときが私自身が1番自分で入れる時間だったからです。

春が来れば何かを書きたくなり、夏になれば夏の言葉を探し、秋になれば少し切ない歌を書きたくなる。そして冬が来る。気づけばまた一年が過ぎていました。

細くなっても、私と音楽をつないでいる糸だけは、切れなかったのだと思います。

それから私も歳をとり、時代は進んだ現在。今は、少し変わった「相棒」もいます。現在、私はSuno AIを使って音楽を作っています。「AIで音楽を作っている」と書くと、歌詞も曲もAIに作ってもらっているように思われるかもしれません。

でも、私の作り方は少し違います。歌詞は、基本的に自分で書きます。メロディも、頭の中に浮かんだものを鼻歌で録音します。そして、それをSuno AIに渡して、アレンジや構成を手伝ってもらっています。

だから私にとってAIは、音楽を代わりに作ってくれる存在というより、一緒に音楽を形にしてくれる、新しい相棒。そんな感覚に近いのかもしれません。

ギターやベースとはまったく違う相棒ですが、自分の中にあるものを音楽にしてくれるという意味では、どこか似ています。

私にとって、歌詞は「生まれてくるもの」です。私は昔から、歌詞を書くことを、「子どもが生まれるようなもの」と表現することがあります。

何もなかったところに、昨日までは存在しなかったものが生まれる。生まれたばかりの歌詞は、まだ何も着ていない、まっさらな状態です。

私はその子の、骨格を作り、性格を作る。
そこにメロディがつき、歌い手が声を与え、演奏する人たちが音を与えてくれる。

そうやって、少しずつ服を着せてもらいながら、一つの「歌」になっていく。

そして、完成したら終わりではありません。
聴いてくれた人が、自分自身の思い出や経験と重ねてくれる。

私が想像もしなかった意味を見つけてくれることもある。

そうやって歌は、生まれたあとも、誰かの中で育っていく。私はそんなふうに音楽を考えています。

私と音楽。

楽器が変わっても、音楽の作り方が変わっても、私が最初にすることは、音楽、歌詞を書き始めたあの中学生の頃からほとんど変わっていません。

言葉を書くことです。

言えなかったことを、言葉にする。その言葉にメロディを与える。そして誰かに届く形になるまで、少しずつ育てていく。

ギターを持つようになっても。
ベースを弾くようになっても。
バンドをするようになっても。
そして、AIを使うようになった今も。
そこだけは変わっていません。

きっとこれから、音楽を作る方法はもっと変わっていくのでしょう。数年後には、今では想像もできない方法で音楽を作っているかもしれません。

それでも私は、言葉を書いているような気がします。

上手く言葉にできないから、歌詞を書く。そして、その言葉に音を与える。それが、昔も今も変わらない、私と音楽なのだと思います。


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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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