「誰だって無価値な自分と闘っている」—パク・ヘヨン監督作品と『フーテンの寅』が響き合う理由—

2026年、パク・ヘヨン監督の最新作『誰だって無価値な自分と闘っている』を観て、思いがけず日本映画の古典『男はつらいよ』の寅さんを思い出した。 年齢も境遇もまったく違う二人なのに、どこかで響き合うものがある。そんな不思議な感覚を抱かせる作品だった。

■20年間売れない映画監督、ファン・ドンマンという男

主人公ファン・ドンマンは、20年間「売れない自称映画監督」としてくすぶり続けてきた男だ。 オーディションには落ち続け、仲間の作品には辛辣な批評を浴びせ、特に親友の作品には容赦がない。 その裏には、いつかは認められたいというかすかな希望と、叶わぬ現実への苛立ちが渦巻いている。

大学時代のサークル仲間8人でつくる「8人会」は、今も酒場「アジト」で集まり続ける。 しかし、そこで唯一“認められていない”のがドンマンだ。 上昇志向の強さゆえに空回りし、乱暴な言動で周囲を振り回す。 それでも、仲間たちも、恋人ウナも、なぜか彼を見捨てず、温かく支え続ける。

やがてドンマンは新人賞を受賞し、長い不遇から抜け出す。 ここで物語は一見ハッピーエンドを迎える。 「これからは仲間ともウナとも、うまくやっていけるだろう」 そう思わせる幕切れだ。

■なぜ寅さんを思い出したのか

この韓国ドラマを観ながら、どういうわけか山田洋次監督の「フーテンの寅」が脳裏に浮かんだ。

寅さんもまた、社会の“落ちこぼれ”として、周囲に悪態をつきながら生きる男だ。 しかし、彼の周りにはいつも暖かい家族がいて、妹のさくらがいる。 その構図は、ドンマンと8人会、そしてウナとの関係にどこか重なる。

ただし、二人には決定的な違いがある。

  • ドンマン:学歴があり、映画監督として成功したいという強烈な上昇志向を持つ

  • 寅さん:無学で、名誉や成功には興味がなく、美しい女性に惚れては振られる人生をひょうひょうと生きる

寅さんは自分を「無価値」だと悩むことすらない。 一方ドンマンは、自尊心の高さと劣等感の深さが同居する、現代的な“自己肯定の病”を抱えている。

■現実にいたら迷惑な男たち、それでも応援したくなる理由

正直に言えば、現実の世界にドンマンや寅さんのような人物がいたら、かなり厄介だ。 周囲を振り回し、自己中心的で、時に暴走する。 「一日も早く距離を置きたい」と思う人もいるだろう。

しかし、映画の中では不思議と彼らを応援したくなる。 観客は、現実を忘れ、主人公の不器用な生き方に自分を重ね、 一瞬のカタルシスを求めて物語に身を委ねる。 映画とは、そういう“夢の装置”なのだと思う。

■ドンマンは本当に幸せになれるのか

ただ、野暮を承知で言えば、ドンマンの未来は決して明るいとは限らない。

彼は一種の性格破綻者でもある。 異常な自尊心、激しい気性、そして20年間売れなかった凡庸さ。 新人賞という一瞬の成功の後、 また新たな「無価値な自分」を見つけて苦しむのではないか という不安が拭えない。

8人会の仲間やウナを巻き込み、再び問題を起こす可能性もある。 成功が彼を救うとは限らないのだ。

■寅さんとドンマンの決定的な差

寅さんは、社会秩序から外れた生き方をしながらも、上昇志向とは無縁だ。 自分の生き方を深刻に悩むこともなく、家族に甘えながら自由に生きる。

対してドンマンは、 「もっと上へ行きたい」という欲望に突き動かされ続ける現代人だ。 その欲望こそが彼を苦しめ、同時に彼を前へ進ませる。

この対照性が、二人のキャラクターをより鮮明に浮かび上がらせる。

■まとめ:現代のドンマン、昭和の寅さん

寅さんは「社会の外側」で自由に生きる男。 ドンマンは「社会の内側」で必死にもがく男。

時代も国も違う二人だが、 不器用で、愛されて、どこか憎めない存在という点では共通している。

そして観客は、そんな彼らの姿に、 自分自身の「無価値さ」との闘いを重ねてしまうのだろう。

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