知らないうちに比べてしまう
こんなに暑いのに、またモクレンが咲いている。葉っぱの陰から顔を覗かせている花は十輪くらいあるようだ。この暑さの中、「ご苦労様ね」とねぎらいの声をかけたくなる。
夏の花は少しくたびれたような気配をまとう。花弁は開く前に少し茶色を帯びていたし、枯れた花びらもあった。うだるような暑さとこの湿っぽさの中、「休養しても良いのよ」とモクレンに以心伝心で伝えている。
普通のモクレンは三月ごろに花が咲き、年に一度の開花、もしくは返り咲くと聞く。が、我が家のモクレンはどうしたことか、春に、夏に、秋に、律儀に花をつけ、それはちょうど「こんにちは~」の挨拶のようにも思える。この風土がさぞ気に入っているのだろう。
その上年々元気になっているようにも見える。枝の張りが増し、葉にも勢いがある。40年以上も前に庭に植えたヒョロヒョロとした小さな苗木。それが今ここまで立派に育った姿に、嬉しさと同じくらいの戸惑いも感じてしまう。
”こちらは”と言えば、衰えを感じる昨今、モクレンを羨ましいと思いながら、触れば元気を貰えるかもしれないと幹をなでたりもする。枝を切るときには「ごめんなさいね」と言いながらノコギリを引いている。切らなければこの庭に収まり切れないのである。
木は自然の大きさをそのまま体現している。そのような木と人間では生命の周期が違うのだから、単純に比べても意味がないとわかっているのに、ついこの40年を思い出して知らないうちに比べてしまう。
モクレンと私を?
笑ってしまいますね。
先日買い物をして、カートを返しに行くときに、今は速足で歩けるのでサッササッサと調子よく歩いていた。若い女性がこちらの方に走って来るのが視野に入ったけれど、知らない人だったのでそのまま歩いていた。
カートを返却して引き返そうとしたとき、そこにいた年配の女性が「誰か、トマトの箱を忘れているわよ~」と大きな声で叫んでいる。そうだった。それは私よ。カートの下段にトマトの大箱を置いたまま返却したのだ。
「それ、私です。本当にしょうがないわね。最近忘れることが多くて困ってしまうの。」と私も大きな声でその人に言っていると、駆けてきた若い女性もそこにいて、「トマトごと返却していますよ」と私に言う。駐車場のあそこから走ってきたのだと思うと申し訳なくて、こちらにも頭を下げてお礼を言った。
気を付けよう。人を巻き込むことなく楚々と生きるのが私流だったはず。それにしても最近、周囲には親切な人が多い。おかげで助かっている。
私もその親切な人の一人でいよう。
さて、何ができるだろう。
ちょっとした小さなことでいい。
エレベーターボタンを押すよりほかに。
