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バンドと楽器への執着半世紀         1.メンバー紹介

筆者も高齢者の仲間に入りました。団塊世代や昭和高度成長期やDXが残したものとライフスタイルに、筆者がどのように影響を受けたのか音楽活動を通してふりかえってみました。

おどるポンポコリン

ちびまる子ちゃんエンディングテーマに、「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」という阿波踊りを連想しました。現世利益とかではなく、踊る阿呆は筆者にとっては重要な信条です。

小学校時代に町内野球チームで、毎年町対抗市対抗試合があり猛練習に明け暮れていました。5年生の時、町対抗試合で町内会長が「もっと走らんか!何しとるんじゃボケ!」とか身内チームに酷いヤジとばしていました。メンバーはみんな委縮し実力が発揮できませんでした。6年生の先輩が「うるさいぞ!ハゲ!」と逆ヤジを飛ばしてチームをリラックスさせてくれましたが、結局負けてしまいました。町内会長は戦中派の人で、叱って育てる?(ただ見に来ただけ?)タイプだったのだと思います。翌年、先輩たちの悔しさをバネに勝ち進んで市対抗戦までいきました。

もうひとつ、少年時代は日曜夕方のテレビアニメが楽しみでした。7時を過ぎて「どろろ」や「メルモちゃん」を見ている途中で、いつも父が「おまえたちは明日学校だし勉強があるんだろ。」と言ってチャンネルを野球中継に切替えるのです。筆者と双子の兄は「またか!残念。」と思っていました。


以上の2つのできごとから、兄弟でひとつの教訓を身につけました。
「野球を観戦する人間」と「実際に野球をする人間」とは別で、「前者は実際に野球というものを汗水たらしてやらずにただ見て楽しんでいる卑怯な生き方をしている。そんなの嫌だ。どうせなら後者の生き方で、しかも楽しくやろう。」と。

この教訓が冒頭の「おどるポンポコリン」です。音楽についても同じで、誰かの作ったコンテンツを評論家のようにどうのこうの言うよりは自分たちで音楽そのものを楽しもうと思ってきました。


メンバー紹介


音楽を一緒にやってきた仲間を紹介します。筆者の双子(一卵性双生児)の兄(写真のB1)と、筆者の妻(写真のM5)と、その他(写真の埴輪)です。筆者は(写真のB2)です。いろいろなシーンで登場すると思います。

バンド活動のメンバー B1,M5,B2,その他

B1は、「ツィンクルテック」というホームページを持っています。


幼稚園から大学院までいつも一緒で、就職した会社も一緒(事業所は違いますが)でした。自称音痴のためドラムを担当してきました。一時期エレキギターに挑戦しましたがすぐに断念しました。左利きなので正確にリズムを刻み(特にバスドラム)、楽譜も初見で正確に叩けます。



M5は、B2の奥さんです。結婚してから35年以上一緒に音楽を演奏して
    きました。(数少ない夫婦の絆と思っています。) 

ピアノ歴7年で勉強が忙しくなり中学生でやめたそうです。初見で中級レベル楽譜を正確に弾きますが、ピアノの先生には一本調子で感情移入が足りないと言われたそうです。またバンドの経験がないためロック系リズムに弱いです。一人息子NY1は幼稚園からバイオリンを習い始め、彼女がピアノ伴奏で特訓をしていました。勉強が忙しくなり中学生でやめました。早く習い事を始めたせいか、彼は楽譜が読めません。10分程度の長い曲でも耳で聞いたものを覚えてすぐに弾きます。最近エレキギターに挑戦しましたがすぐに諦めました。残念です。


B2(筆者)は、ベースギターから始めキーボードに転向しました。

小学生時代に音楽教室へB1と一緒に2年通いました。野球や勉強が忙しくなりやめました。「楽譜が読める。両手で弾ける。和音を当てることができる。」程度で終わりました。電子回路(真空管アンプやトランジスタラジオ)の工作を経てオーディオに関心を持ち最終的にはテープデッキで録音することに興味を持ちました。FMラジオ放送も始まり「FM Fan」という雑誌で良い音を追求するようになりました。

中学生時代は、フォークギターを弾く友達の演奏をカセットデッキで録音し臨場感に目覚めました。レコードやFMラジオのような作られた音でなく、生録音の凄さに感動しました。

余談ですが、戦中世代の音楽は演歌・歌謡曲が主流で、一部インテリ層はクラッシックを聞いていたようです。クラッシックは階級闘争音楽だったというエッセイを読んだことがあります。英語の教科書でも「Jazz is inferior to classical music.」という例文があり偏見が渦を巻いていた時代でした。古典音楽にはテンションコードなど出てこないし、今からみるとあべこべのように思います。(固定観念の恐ろしさを実感しています。)
団塊世代に流行った音楽はビートルズ,グループサウンズ,フォークソングが主流と思いますが、他にもいろいろなジャンルの音楽をセンスの良い先輩(黎明期の開拓者)は聴きはじめていたようです。

中学生時代は、団塊世代が淘汰した質の良い音楽を選べる幸運な時代でした。音楽好きの友達(後のK1)の影響で、大瀧詠一,ハッピーエンド,赤い鳥、かまやつひろし、岡林信康、チューリップなどのコンサートやレコードを聴いていました。

高校生時代は、好きな音楽をバンドで演奏することをはじめました。B1はドラムス,B2はベースのリズムセクションからスタートしました。

大学生時代は、バンドメンバーがばらばらになり集まって演奏できないことからキーボードを始め、多重録音,シンセサイザー,DTMの技術を身に着けて作曲・編曲を始めました。


学生時代バンド活動            学業とは両立しませんでした。

高校生時代は、進学校だったのでバンド活動をする時間はあまりありませんでした。それでもハッピーエンドやサンタナなど演奏するバンドグループが文化祭やラジオ放送出演で活躍していて憧れていました。

B1とB2はクリームとクィーンなどレコードを聴きながらバンドスコアで練習していました。中学時代からの友人K1(フォークギター)の影響で岡林信康や赤い鳥も練習していました。2年生になり新メンバーK2(エレキギター)が加わり、チューリップ「青春の影」で夏休みコンクールを目指そうとのことで3か月練習しました。しかしK2の成績がガタ落ちになりバンドを抜けてしまいました。期待していたエレキギターがいなくなり「クレイジーキャッツ,ドリフターズ,ずーとるび,横山ホットブラザーズのようなコミックバンドを目指すしかないね。名前もK1一座にしよう。」みたいなことを言っていました。

しばらくしてB1が新メンバーH1を連れてきました。H1は純粋なクラッシックの人で、後に東京芸大のピアノ科に進学しました。ピアノが必要なので近所の中学校体育館や小学校音楽室を借りて演奏(録音)しました。H1の影響で「荒井由実」の曲をやることになりました。松任谷正隆先生率いるティンパンアレイのバンドスコアはとても勉強になりました。

高校時代のバンドメンバー 小学校の音楽教室で

3年生になり大学受験時期になりました。K2,H1,B2は志望大学に合格したのですが、B1とK1は見事に落ちてしましました。「バンド活動ばかりやっていると学業が疎かになる。」というのは事実でした。B2は連帯責任を感じて九州の大学入学を辞退してB1,K1と一緒に浪人しました。親にすれば双子の両方が浪人することはショックだったかもしれません。


大学生になるとバンドメンバーがばらばらになり夏休みに顔を合わせる程度になりました。すぐに演奏できるユーミンの曲を選んで短期のバンド活動をしていました。バンド活動におさななじみT1(ボーカル)が加わりました。彼女はミッション系女学校時代の友達も集めてくれました。自分よりもきれいな人も呼んでくるので「T1は偉い!」とみんなに言われていました。

大学生時代のバンド活動 ユーミンの曲をやってました。

大学4年生になるとB1,B2,K1以外のメンバーは社会人となり学生バンド活動から離れていきました。当時関西ではプログレッシブロックが流行っておりELP,イエス,ジェネシスなどをレコードを聴きながらバンドスコアで練習しました。ジェネシスにはついていけるのですが、イエスは歯が立ちませんでした。

この時期にキーボードを本格的に始めることにしました。またH1のアドバイスでオリジナルを20曲とりあえず作ってみて才能があるかどうか見極わめることにしました。


その後B1,B2は大学院へ進学し、K1も留年して卒業のタイミングを合わせてくれました。なので3年間はオリジナル曲を3人+αで演奏し録音することと柳ジョージとレイニーウッドの演奏に集中していました。K1はのちにサクソホンにはまり、社会人になってからはJazzのアマチュアビッグバンドで活躍しています。


社会人時代バンド活動            仕事と両立しませんでした。

社会人になり、もうバンド活動はできないと諦めていたのですが意外にも会社の同僚で音楽好きな仲間が集まり社会人バンドを組むことになりました。

社会人1年目のバンドメンバー S1(トランペット),N1(EG),B2(KB),B1(Dr.)

社会人2年目の独身寮夏祭りで、柳ジョージとレイニーウッドのナンバーを演奏しました。横浜からB1とN2(B1の後輩)が駆けつけて参加しました。

社会人2年目 独身寮夏祭 S1(EG),N2(KB),S1(Vocal),B2(Bass),B1(Dr.)

社会人3年目は仕事も忙しくなりバンド活動もほとんどしなくなりました。独身寮夏祭りが最後の活動になりました。入社1年目の音楽好き新人を即席メンバーにして舞台に上がってもらうことにしました。B1の日程が取れないこともありK3(先輩ベーシスト)とB1(Dr.)とB2(EP)でリズムセクションを前もってテープにカラオケ録音しておきました。
理系女子M2(ボーカル),トランペット2名,コーラス3名,EGとKBと司会で、柳ジョージのナンバーと松田聖子の「赤いスィートピー」を演奏しました。大盛況でした。

社会人3年目 独身寮夏祭 新人+OB即席メンバー

社会人バンド活動は3年で終わりました。「仕事とバンド活動の両立は難しかった。」と思います。


家族での音楽活動             長続きしました。

バンド活動も終わり音楽活動を卒業することを考えましたが、諦めがつきませんでした。

後先のことは何も考えず、住宅ローンを組んでスタジオ付一軒家を建てることにしました。軽量鉄骨で防音室(2階床補強)と気楽に寝泊りできる家を目指しました。ドラムなど楽器機材をスタジオに詰め込み、中古アップライトピアノを購入し2階のスタジオに搬入しました。

余談ですが、建築最中に実家の両親と住職から家相が悪いから変更するように細かく指示があり、結局1階生活スペースの住み心地が悪くなった上に建築費も大幅にオーバーしてしましました。
教訓として、家を建てる時は将来のライフスタイルを見通した上で親族とよく相談したほうが良いと思います。幸いなことにM5(B2の奥さん)は音楽好きなのでスタジオを喜んでくれました。しかし1階の造りにはいつも文句を言ってました。


学生バンド時代の楽器をなかなか手放せず、スタジオは物置部屋のようになってしまいました。写真左は学生時代にアルバイトをして購入した想い出のあるキーボードです。今でも手放せず困っています。

スタジオにて M5とB1の子供たち(NS1,NA2)

結局スタジオは、バンド活動で使うことはほとんどなくオーディオルーム,DTM作業場所,NY1とM5のバイオリン練習,B2の学会発表練習場として使われました。


家族を持つと時間の流れが急に速くなったように思います。出産育児,病気入院,仕事の悩み,子供の教育,両親の介護などいろいろなことが次から次にやってきて生活に余裕や潤いが少なくなったことにも気が付きました。
音楽も聴く側になりCDを集めたりコンサートにもいくようになりました。「これって、昔の父と同じ見る側の人間じゃないか?」と気が付きました。家庭を持つことでかつての父の気持ちが少し理解できました。

しかし、どうせ生きていくなら「踊らにゃ損々」だと思います。

縄文時代の女性像 くよくよせずもっとおおらかに生きよう!

B2とM5は家庭でできるもっとカジュアルな音楽ライフを見つけました。軽くて持ち運び便利な60鍵キーボードと小型のベースギター(Zo-3ベース)とMIDIミニキーボードで、ポピュラー音楽,フォークソング,演歌,Jazz,クラッシク,ニューミュージック(J-Pop?),オールデイズ,シネマミュージックなど手当たり次第に演奏(練習)してきました。30年以上になります。

最近M5が緑内障を患いロービジョンになってしまい楽譜が読めなくなりました。しかし楽譜がなくても笛やハーモニカでメロディは自在に演奏できることに気づきました。それでB2がピアノ伴奏しM5がキーボードでメロディ演奏するようになりました。5年目です。現時点でレパートリー(保有楽譜数)は460曲あります。

いつまで続くかわかりませんが、パパ友ママ友と即席バンドを組んで老人施設の慰問演奏などを計画しています。

夏休み学童保育 アニメソングの演奏


バンド活動の話でしたが、諺通り「芸は身を助く」を実感しました。


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デクノスティック これからも応援しています。