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38emon
今の思想
善だけが真実だとか、
虚無だけが真実だとか、
人間は美しいとか、
人間は醜いとか。
どうしても、そうは思えない。
世界はもっと矛盾している。
愛は本物だ。
だが、欲望も本物だ。
善は確かにある。
だが、人間は簡単にそれを裏切る。
人は優しい。
だが、残酷でもある。
意味はある。
だが、虚無もまた存在する。
私はこれを「真矛盾」と呼んでいる。
矛盾しているから偽物なのではない。
むしろ、矛盾していることこそが世界の本質なのではないか。
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ここで私は、ニーチェに少し共感し、少し違和感を覚える。
フリードリヒ・ニーチェ は、深淵から目を背けなかった。
神も絶対も崩壊した世界で、それでも生きろと言った。
その誠実さは凄まじい。
だが、彼は少し苦しみ過ぎたようにも見える。
なぜなら彼は、本当は絶対を求める魂だったのではないか。
だからこそ、絶対を信じ切れなくなった時、精神が裂けるほど苦しんだ。
一方で私は、最初から「未完成が世界の構造」だと思っている。
真円はある。
だが、完全到達はできない。
だから世界は螺旋になる。
非対称のまま、真円へ近づこうとし続ける。
丸と三角の相互依存である。
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私はソフィスト的な思想も苦手だ。
「真理なんて相対的。上手くやればいい。」
確かに、それも現実だろう。
だが、それだけでは魂が空洞化する。
私は結局、人間を信じたい。
だから私は、虚無だけでは生きられない。
だが同時に、綺麗事だけでも生きられない。
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私の思想の「無」は「何もない」という意味ではない。
私にとっての無とは、
「思考のノイズを静め、真矛盾をそのまま保持する状態」
ただ静かに、
丸とギザギザの両方を観る。
対称性と、非対称性の両方を観る。
そのための静けさ。
それが私にとっての無だ。
世界は最初から、真矛盾でできているのだから。
