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今の思想

善だけが真実だとか、
虚無だけが真実だとか、
人間は美しいとか、
人間は醜いとか。

どうしても、そうは思えない。

世界はもっと矛盾している。

愛は本物だ。
だが、欲望も本物だ。

善は確かにある。
だが、人間は簡単にそれを裏切る。

人は優しい。
だが、残酷でもある。

意味はある。
だが、虚無もまた存在する。

私はこれを「真矛盾」と呼んでいる。

矛盾しているから偽物なのではない。
むしろ、矛盾していることこそが世界の本質なのではないか。

ここで私は、ニーチェに少し共感し、少し違和感を覚える。

フリードリヒ・ニーチェ は、深淵から目を背けなかった。

神も絶対も崩壊した世界で、それでも生きろと言った。

その誠実さは凄まじい。

だが、彼は少し苦しみ過ぎたようにも見える。

なぜなら彼は、本当は絶対を求める魂だったのではないか。

だからこそ、絶対を信じ切れなくなった時、精神が裂けるほど苦しんだ。

一方で私は、最初から「未完成が世界の構造」だと思っている。

真円はある。
だが、完全到達はできない。

だから世界は螺旋になる。

非対称のまま、真円へ近づこうとし続ける。

丸と三角の相互依存である。

私はソフィスト的な思想も苦手だ。

「真理なんて相対的。上手くやればいい。」

確かに、それも現実だろう。

だが、それだけでは魂が空洞化する。

私は結局、人間を信じたい。

だから私は、虚無だけでは生きられない。

だが同時に、綺麗事だけでも生きられない。

私の思想の「無」は「何もない」という意味ではない。

私にとっての無とは、

「思考のノイズを静め、真矛盾をそのまま保持する状態」

ただ静かに、

丸とギザギザの両方を観る。

対称性と、非対称性の両方を観る。

そのための静けさ。

それが私にとっての無だ。

世界は最初から、真矛盾でできているのだから。

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