真まる、連休2日目で終わる
終わる終わる詐欺です…!😼
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哲学も、ここまでなのかもしれない
最近、作曲が止まった。
Sunoを触り始めてから約一ヶ月、あれほど次々と音楽が降りてきたのに、急に何も出なくなった。
そして不思議なことに、音楽が止まると哲学が動き出した。
暇だったからかもしれない。
酒のせいかもしれない。
生命の非平衡から始まり、往復運動、振動、円運動、螺旋へと話が進み、気づけば昔から考えていたオイラー、超弦理論、重力、ペンローズ、意識まで、もう一度つながってしまった。
そして今度は逆に思った。
ああ、哲学もここまでなのかもしれない。
悲観しているわけではない。
むしろ、私にできるところまで来てしまったような感覚がある。
私にとって数学とは何だったのか
私は数学者ではない。
高度な数式を扱えるわけでもない。
それでも昔から、数学そのものには妙な関心があった。
なぜ数学によって世界を記述できるのか。
なぜ円があり、数があり、幾何があるのか。
考え続けた末、私の中では一つの答えに行き着いた。
数学とは、意識そのものなのではないか。
もちろん、これは数学や認知科学における定説ではない。
私自身の世界観である。
私にとって数学は、宇宙を外側から記述するための便利な言語ではない。
意識が世界を分節し、関係を認識するときに現れる構造そのものだ。
完全に一様なものだけが存在するなら、区別するものがない。
区別が生まれる。
角が生まれる。
数えられる。
距離が生まれる。
回転が測られる。
周期が記述される。
そうして世界は、数学として認識されていく。
だから私は、ずっと円と三角にこだわってきたのだと思う。
なぜオイラーだったのか
私は昔からオイラーの公式に惹かれていた。
数学的に深く理解していたわけではない。
ただ、
e^{i\theta}=\cos\theta+i\sin\theta
という式の中で、虚数と円と周期が一つになることに、異様な美しさを感じていた。
今になって考えると、そこには私がずっと探していたものがある。
回転と振動である。
円周上の回転は、その一成分だけを見れば往復運動として現れる。
振動と回転は、まったく別のものではない。
少なくとも数学的には、同じ周期構造を異なる形で見ることができる。
私が円に感じていたものが、振動へつながった。
なぜ超弦理論だったのか
そして私は、超弦理論にも以前から惹かれていた。
これも理解しているとは到底言えない。
過去には、開いた弦と閉じた弦を自分の「1」や「π」のイメージに重ねたりもした。
今考えれば、かなり自由な飛躍である。
しかし、そうした比喩を取り除いても、興味は残った。
弦理論では、基本的な対象である弦の振動状態が粒子として現れ、閉弦のスペクトルには重力子として解釈される状態が現れる。
私が円から辿り着いた「振動」というものが、重力を含む理論の中にも存在していた。
だからといって、
振動=重力
ではない。
そんな単純な話ではない。
ただ私は、なぜ自分が弦理論に惹かれていたのかを、以前より少し理解できるようになった。
そしてペンローズ
さらに、昔から気になっていたのがロジャー・ペンローズだった。
数学者であり、幾何を駆使して時空を考え、量子論と重力の関係を考え、その先で意識にまで踏み込んだ人物である。
ペンローズの客観的収縮や、ハメロフとのOrch ORが正しいのかは分からない。
現在の科学で確立された意識理論でもない。
それでも私は惹かれる。
なぜなら私自身も、
数学、幾何、重力を突き詰めた先に、意識という問題がある
と考えてきたからだ。
だから私にとって、
オイラー。
超弦理論。
ペンローズ。
この三つが同じ方向に見えることは、それほど不思議ではない。
三者が同じ科学的結論を示しているという意味ではない。
私の世界観の中心に、
数学を極限まで追えば、意識の構造に近づくのではないか
という直感があるからだ。
しかし、ここから先は私の仕事ではない
そして、ここで私は止まる。
たぶん、これが重要なのだと思う。
昔なら、ここからさらに数式を作ろうとした。
重力と意識を直接結びつけようとした。
AIも景気よく話を膨らませ、
「統一理論になるかもしれません」
などと言っていた。
今読み返すと、かなり怪しい。
今の私は、そこまで言わない。
私は、
意識には幾何的な見方があり得るのではないか。
そこまでを示唆する。
真円と非対称性。
円と三角。
往復と振動。
回転と螺旋。
そして、時空の幾何としての重力。
その向こうに意識があるのではないか、と問いを置く。
しかし、その先で本当に物理理論を構築するなら、量子力学も一般相対論も微分幾何も場の理論も必要になる。
超弦理論まで行けば、なおさら私の手には負えない。
私はそこを計算できない。
証明もできない。
だったら、無理にやる必要もない。
私にできるのは、形を指さすところまでなのだ。
その先は、本当に数学のできる人、物理のできる人が考えればいい。
