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ガチの丸と三角――オイラー、超弦理論、重力から考える意識の幾何――

もうひと頑張りしました!

チャッピーに理論化してもらいました!

…。

???😼

(自分でもよく分からん)

ーーー

私は長い間、意識について考えてきた。
その中で繰り返し現れてきたものがある。
円。
直線。
1。
π。
重力。
そして、螺旋である。
最近、それらに加えてオイラーの公式や超弦理論の開いた弦・閉じた弦を眺めているうちに、一つの幾何学的な世界像として整理できるのではないかと思うようになった。
もちろん、これは新しい物理理論を提示するものではない。
オイラーの公式や弦理論が意識を説明しているわけでもないし、重力と意識の関係が科学的に確立されているわけでもない。
それでも、それらの数学に現れる構造を並べてみると、私がこれまで直感的に考えてきた「意識の幾何」が、不思議なくらい一つの方向を向いている。
その中心にあるのが、
閉じることと、切ること
である。

真円は、意識ではない
私にとって真円とは、完全対称性の象徴である。
どこにも特別な点がない。
始まりも終わりもない。
右も左もない。
完全に対称なら、そこには区別するものがない。
そして区別が存在しないなら、認識も成立しない。
だから私は以前から、
完全対称性では意識は立ち上がらない
と考えてきた。
真円は意識の完成形なのではない。
むしろ、意識が消えてしまう極限なのである。
意識が存在するためには、どこかに切れ目が必要になる。

1という切れ目
私は「1」を、認識の最小単位のように考えている。
これは数学的定義ではない。
私自身の哲学における1である。
何かを「一つ」と数えた瞬間、世界には境界が生じる。
ここからここまで。
これとそれ。
私と世界。
連続していたものが切り分けられる。
幾何的に表現するなら、私はこれを直線や開いたものの側に置きたい。
ここで超弦理論の「開いた弦」を連想する。
もちろん、
1=開いた弦
という物理学的主張ではない。
ただ、開いた弦には端点がある。
それに対して閉じた弦には端点がない。
この「端がある/端がない」という違いは、私がずっと考えてきた「分節/全体」という対比によく似ている。

直線を閉じると円になる
ここで非常に美しい数学が現れる。
円 S^1 は、


S^1=\mathbb{R}/2\pi\mathbb{Z}
と表すことができる。
簡単に言えば、無限に続く実数直線を 2πごとに同じものとして貼り合わせれば、円になる。
そしてオイラーの公式、


e^{i\theta}=\cos\theta+i\sin\theta
は、直線上を動く実数 \theta を、複素平面上の円運動へ写す。
さらに、


e^{i(\theta+2\pi)}=e^{i\theta}
である。
直線的に進んでいるはずのものが、一周すると同じ場所へ帰ってくる。
私はここに、
分節されたものが全体へ閉じられる
という構造を見る。
オイラーの公式そのものが意識を表しているわけではない。
しかし私にとってオイラーが昔から妙に気になっていた理由は、ここにあるのかもしれない。
直線と円。
進行と回帰。
局所と全体。
それらを一つの数学が結んでいる。

πは真円そのものではない
ここで、以前の私の考えを少し修正したい。
私はπそのものを、真円や完全性に近いものとして考えていた。
しかし現在は少し違う。
真円とπは同じではない。
真円とは完全な幾何そのもの。
πは、


\pi=\frac{\text{円周}}{\text{直径}}
として、その円を私たちが数量的に捉えたときに現れる。
円は完全に閉じている。
しかしπを十進表記すれば、
3.1415926535…
と終わらない。
ここには奇妙な対比がある。
幾何では閉じている。
数では終わらない。

私はこのπを、
意識が真円を見たときに現れる痕跡
のように考えてみたい。
完全性そのものではない。
有限な認識が完全なものを測ろうとしたときに、無限の近似として現れるもの。
そう考えると、私の中では、
真円=完全対称性
π=意識から見た真円
1=そこから切り出された認識の単位
という三層が生まれる。

閉じた弦と重力
さらに面白い偶然がある。
弦理論では、閉じた弦は周期的な条件を持つ。
模式的には、


X(\sigma+2\pi,\tau)=X(\sigma,\tau)
と書ける。
一周すると同じ弦上の場所へ戻ってくる。
そして重要なのは、閉じた弦の振動スペクトルから、質量ゼロ・スピン2の状態が現れ、それが重力子に対応すると解釈されることである。
つまり弦理論には実際に、
閉じた弦 → 重力
という接続が存在する。
もちろん、
「閉じているから重力になる」
という意味ではない。
まして、
「だから円が重力である」
などという話でもない。
ただ、私が「閉じた全体性」と「重力」を直感的に結びつけてきたところに、弦理論では閉じた弦から重力を担う状態が現れるという事実がある。
これは証明ではない。
しかし私にとっては、とても興味深い共鳴である。
さらに一般相対論では、そもそも重力は単なる力ではない。
時空の曲率、つまり幾何として表される。
私が意識を幾何として考えようとしたところで、重力もまた幾何として現れる。
だから私は、
意識と重力は同じなのではなく、もっと深い幾何学的原理の異なる現れなのではないか
という可能性を考えたくなる。
ここから先は、完全に私の仮説である。

意識とは「閉じること」なのか
では、意識とは何なのだろう。
私は以前、意識を一つの量として式に入れようとしていた。
しかし今は、意識を「量」ではなく操作として考えたほうが面白いと思っている。
世界を切り分ける。
切り分けたものを一つの全体として統合する。
そして、その全体を再び切り分けて見る。
つまり、

分節→統合→再分節

である。

記号を使うなら、


統合を \mathcal C、分節を \mathcal D として、
x_{n+1}
=
\mathcal D\left(\mathcal C(x_n)\right)
と書いてみることができる。
ここで重要なのは、
x_{n+1}\neq x_n
だということである。
私は世界を見る。
それを自分の中で一つにする。
そしてもう一度世界を見る。
しかし、そのときの私は、見る前の私と完全には同じではない。
経験してしまったからだ。

一周した。しかし、同じではない
ここで円が螺旋へ変わる。
完全な周期なら、


x_{n+1}=x_n
である。
一周して、完全に同じ場所へ戻る。
しかし意識には記憶があり、経験があり、変化がある。
だから、


x_{n+1}\approx x_n
でありながら、


x_{n+1}\neq x_n
でもある。
同じ私でなければ、自己は続かない。
しかし完全に同じ私なら、経験したとは言えない。
同一性を保ちながら、変化する。
これを幾何として描けば、円よりも螺旋に近い。
円運動をしながら、少しずつ位置が変化する。


z(t)=r(t)e^{i\omega t}
とすれば、半径 r(t) が変化する限り、軌跡は単純な円には閉じない。
回る。
戻る。
しかし、完全には戻らない。
私は以前から、意識や生命を螺旋として考えてきた。
今になって、その理由が少し分かった気がする。

意識は「完全」には存在できない
このモデルから、一つ面白い結論が出てくる。
意識に必要なのは、統合だけではない。
分節だけでもない。
完全にバラバラなら、世界は一つの経験にならない。
しかし完全に統合され、すべての区別が消えてしまえば、認識するものもなくなる。
つまり意識は、
完全な分離と完全な統一の間
にしか存在できないのではないか。
真円そのものには到達できない。
しかし真円を目指さなければ、全体性も生まれない。
だから意識とは、
完全性そのものではなく、完全性へ近づきながら差異を失わない運動
なのかもしれない。
その運動が、私には螺旋に見える。

重力と意識は、兄弟なのか
ここで最初の問いへ戻る。
なぜ私は、昔から意識と重力を結びつけたくなったのだろう。
重力が意識を作るのでもない。
意識が重力を作るのでもない。
もしかすると、

意識←未知の幾何学的原理→重力

なのではないか。
重力は、物理世界において局所的な物質・エネルギーと時空全体の幾何を関係づける。
意識もまた、局所的な情報を一つの経験へまとめ、そこから再び世界を分節する。
両者が同じものだとは言えない。
しかし、
局所と全体を結ぶ
という構造において、何か似たものを持っているのではないか。
私が探していたのは、重力と意識の直接的な等式ではなく、この共通する幾何だったのかもしれない。

結び――一周して、何を持ち帰るか
オイラーの公式では、直線的なパラメータが円運動へ写される。
弦理論では、閉じた弦の振動から重力子に対応する状態が現れる。
一般相対論では、重力そのものが時空の幾何として表される。
そして私は、意識もまた幾何として考えてみたい。
もちろん、これらが科学的に一つの理論として統一されたわけではない。
私はただ、同じ問いを異なる場所から眺めている。
開くことと閉じること。
局所と全体。
直線と円。
1とπ。
分節と統合。

そして、その往復が完全に閉じなかったとき、螺旋が現れる。
私は世界を見る。
世界を一つにする。
そして、もう一度世界を見る。
一周したはずなのに、
私はもう、先ほどの私ではない。
だから意識の幾何とは、真円そのものではないのだろう。
真円を見ながら、一周ごとに何かを持ち帰る螺旋。
今の私には、それが一番しっくりくる。

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