鬱の時「食べなきゃ」に追い詰められた経験
鬱がひどかった時期、
いちばん苦しかった言葉は「頑張れ」ではありませんでした。
「ちゃんと食べなきゃ」
この言葉でした。
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食べることが“義務”になった瞬間
食欲がない。
お腹が空いている感覚もわからない。
味もよくわからない。
それでも頭ではわかっているんです。
「食べないと悪化する」
「栄養を摂らないと治らない」
「ちゃんと食べるのが回復の第一歩」
だから、無理やり口に入れる。
でも、飲み込むのがしんどい。
途中で気持ち悪くなる。
残してしまう。
そのたびに思う。
「こんなこともできないのか」
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“食べられない自分”を責め続ける
周りは心配して言ってくれます。
「少しでも食べたほうがいいよ」
「何か口に入れなきゃ」
優しさなのはわかっていました。
でも当時の私には、それが
「できていない自分の確認」みたいに聞こえてしまった。
食べられない
↓
自己嫌悪
↓
さらに食欲が落ちる
完全な悪循環でした。
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本当にしんどかったのは“量”ではなかった
今振り返ると、
問題は食事量そのものではありませんでした。
一番つらかったのは、
「普通にできていたことができない」
という事実でした。
今まで当たり前にしていたことが、できない。
それが、自分の価値が落ちた証明のように感じてしまった。
でも実際は違いました。
鬱のとき、脳はエネルギーが落ちています。
消化することさえ負担になることもある。
つまり、
食べられないのは“怠け”ではなく、
脳と体が疲れているサインでした。
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「食べなきゃ」より大事だったこと
ある時、考え方を変えました。
「ちゃんと食べる」ではなく
「少しでも入ればOK」にする。
・ゼリーだけでもいい
・スープだけでもいい
・一口だけでもいい
100点じゃなくて、1点で合格。
すると、不思議と少し楽になりました。
“義務”が“許可”に変わった瞬間でした。
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回復は“ちゃんと”じゃなくていい
鬱のときは、
「ちゃんと食べる」ことすら高いハードルになります。
でも、生き延びるフェーズでは
完璧な栄養バランスよりも、
・口に入れられた
・飲み込めた
・少しエネルギーが入った
それだけで十分です。
「食べなきゃ」に追い詰められていたあの頃の自分に言うなら、
ちゃんとじゃなくていい。
少しでいい。
今日は一口でも、生きている。
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今、食べられなくて苦しいあなたへ
食べられない自分を責めなくて大丈夫です。
あなたが弱いのではありません。
今はエネルギーが足りないだけ。
回復は、
山盛りのごはんから始まるわけではありません。
一口から始まります。
もし今日、何かひとつでも口にできたなら、
それはちゃんと前進です。
「食べなきゃ」ではなく、
「少しでいいよ」と言ってあげられますように。
