「いつも読んでるよ」と言う友人の、スキを一度も見たことがない
朝、noteに記事を投稿する。しばらくして通知を開くと、スキをくれた人のアイコンが並んでいる。順番まで、だいたい同じだ。
noteを始めて、もうすぐ11ヶ月になる。始めた頃の僕は今よりテンションが高く、下ネタも多かった。その後、文章のトーンを落とし、題材も変えた。四ヶ月前からは、ほぼ毎日投稿するようになった。通知の先頭あたりに並ぶ人たちは、下ネタの頃からいる。書いている本人が方向転換したのに、同じアイコンが、同じあたりに並び続けている。
押したり押さなかったりする人もいる。読むタイミングが合わなかったのか、その記事が好みじゃなかったのか。通知には理由が表示されない。ただ、その人が押した記事と押さなかった記事を頭の中で並べると、うっすら線が見える。選んでいる、と思う。通知が来なかった日は、その記事のどこかを疑う。
一度もスキを押したことがない人が、いる。
先日、飲みの席で友人に言われた。
「いつも読んでるよ」
いつも。その友人は、noteのアカウントも持っている。なのに、通知でそのアイコンを見たことは、一度もない。
いつも読んでくれている人には、またその話かと思われるかもしれない。伊集院光のラジオを聴き始めて、35年になる。『Oh!デカナイト』の頃からだ。平日は毎晩、10時からラジオの前にかじりついていた。テスト期間も関係なかった。勉強はそっちのけだった。
一度だけ、ハガキを出したことがある。「ザ・ベースボールクイズ」。夜11時からの名物コーナーで、リスナーが電話で挑戦する。ヒットからホームランまで難易度の違う問題を選んで、正解すれば塁が進む。1点につき賞金5千円。挑戦者は、応募ハガキの中から選ばれた。僕は志望動機のようなものを何度も書き直して、出した。動機ははっきりしていて、賞金だった。
選ばれなかった。
それ以外は、一度も出していない。
ネタが思いつかなかった、というのが表向きの理由だ。実際、思いつかなかった。ただ、思いつかなかった理由のほうに、たぶん本音がある。
自分の書いたものを、伊集院光に評価されたくなかった。面白いか面白くないか、あの人に決められる側に回りたくなかった。ネタのハガキは、面白くなければ読まれない。ラジオの前で何日待っても、何も起きない。読まれないことが、そのまま判定だ。それが嫌だった。
クイズのハガキだけは出せた。挑戦者に選ばれるかどうかは、面白さでは決まらない。なぜ参加したいか、を書けばいい。あれなら、落ちても面白くないという判定にはならない。そこに、言い訳を持てた。
聴いて笑っている側でいたかった。ラジオの前にいるかぎり、判定は来ない。心地よかった。
番組の側からは、僕は一度も見えなかった。それでも、必ずそこにいた。
その僕が、去年の夏から書く側に立っている。35年かけて避けてきた場所に、理由らしい理由もなく立って、毎朝通知を数えている。評価されたくなかった人間の、なれの果てだ。
あの友人が、なぜスキを押さないのかはわからない。
ただ、読んでいても、何も残さない読み方がある。押せば自分の反応が相手に届く。届いた瞬間、読むだけの席から半歩出ることになる。その半歩を出ないまま、長くそこにいる人がいる。
その読み方を、僕は知っている。35年やってきたのだから。
僕も、いまだに押さないことがある。夜、他の人のnoteを読んで、いいなと思って、そのまま閉じる。書く側に回って11ヶ月経っても、読む側の癖は35年分のほうが強い。
この記事も、これから投稿する。しばらくして通知を開けば、いつものアイコンが並ぶ。
並ばない場所で、誰かが読んでいる。ハガキを書かないまま、35年聴き続けるみたいに。
