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大雪の夜、タクシー乗り場で。

  10年に一度という大雪が東京を見舞った1月の夜、私は東京近郊のターミナル駅近くの居酒屋で、深夜まで知人とお酒を飲んでいました。
  後先を考えずに終電を逃したため、知人と別れ駅前のタクシー乗り場に向かうと長蛇の列でした。想定しておくべきでした。
  列を辿ってみると、歩道に沿って角を曲がり、駅前にドンと構える大きな百貨店の壁に沿って延び、その先で再び曲がり、ビルの裏側まで延びていました。
  ふわふわとした粉雪ではなく、水分を含んだ重たい雪が降り続いています。舗道の上に10〜15cmの積雪、たっぷりと水を含んだ雑巾のようです。大雪の備えなどしていない私の革靴には容赦なく水が浸入し、既に足先の感覚がなくなりかけています。傘を持つ手も同様です。
  駅前の交差点を走る車はまばらです。車道には濡れ雑巾の轍が交差し、時折、ガラガラとチェーンを鳴らす音や、雪に車輪を取られ空回りするエンジン音。 
  こんな夜はタクシーも早々と引き揚げるのでしょうか。列には並ばず、百貨店の庇の下でしばらく様子を見ていましたが、タクシーは一向に現れません。
  5分以上経ってようやく1台現れました。こんなときのタクシーは救助隊のように見えてきます。ところが乗り込んだのは若いサラリーマンひとり。これでは列はほとんど動きません。
  これから最後尾に並んだとして、一体いつ自分の番が来るのか、私はざっと目算しました。ふたり組や3人グループもいるでしょうがおひとり様が大半を占めていそうです。仮に5分に1台来るとして、1時間で12人、ちょうど、舗道の端のところまでです。そこを折れて舗道を横切り百貨店の壁際までにさらに10人以上いますからここで2時間。百貨店の壁に沿って並ぶ人は優に30人はいます。角で折れて百貨店の裏側に並ぶ人の番が来るまでには4時間以上かかるかも知れません。
  時刻は1時を回っていますから朝の5時過ぎ!あり得ません。凍え死んでしまいます。
  他に何か方法はないものだろうか。ひとり暮らしの私には迎えに来る家族はいません。先ほど別れた知人宅に泊めてもらう?いやいや、それ程の仲ではありません。そうなるともう歩くしかないか。歩いたことはないけどタクシーでは約3000円ですから、1時間以上はかかりそうです。泣きたくなりました。

  ふと、妙案を思いつきました。先頭付近の人に同乗させてもらえばいいのです。こちらがその人の分まで料金を払うことにして乗せてもらうのです。かなり遠回りをして帰宅することになるし、何倍かの料金になるかも知れませんが、4時間待つよりはマシです。背に腹は代えられない、というやつです。我ながらのナイスアイデアです。
  早速、先頭付近で勇気を出して声をかけました。「〇〇方面の方、いらっしゃいませんか?どなたか、同乗させていただけませんか?料金は全額、こちらで払います。」
  先頭から、へんな人には関わりたくないと言うように目を伏せる人をふたり置いて、次の人が手を上げました。私と同年代のサラリーマンふたり組でした。「〇〇方面なんですけど、ふたりでもいいですか?払ってもらえるんですか?」
  「いいですよ。全部払います。ありがとうございます。助かりました。」交渉成立です。いくらかかるのか全く分かりませんが、この日は、お金はありました。
  
  ふたり組のプライバシーを侵さないように、特に会話には加わらずに、ふたりの横でタクシーを待ちました。予想通り、10分以上待ちましたが、3台目のタクシーがやって来ました。なんと、4時間の待ち時間を10分強に短縮しました。
  ふたりが後部シートに、私は助手席に乗り込み、運転手さんには最後の私がすべて支払うことを告げました。幸いにも最遠方は私で、そこまでを大きくジグザグを描く形で進みます。
  ふたりとも、軽く礼を言いながら順に降りていきました。
  私の家に到着したのは2時近く。時間も料金も通常の2倍近くかかりましたが、この時間に帰宅できたわけですから安い買い物だった、と風呂に浸かりながら満足しました。

  それにしても⋯、と考えます。
  そうそう、「乗り合いタクシー」です。別に斬新な方法ではありません。(かつて、最終列車の終着駅前には、終点まで乗り過ごしてしまった酔客に声をかけ、乗り合いを促す不良っぽいタクシー運転手が何人もいました。行き先を告げると、「ちょっと待っててくださいねぇ。」と言い置き、同じ方面に帰る数人を上手に集めてきました。客に手早く特別料金を提案し承諾を得ると、メーターを倒さずに発車です。こちらもひとりで乗るよりは格安ですし、あちらも荒稼ぎです。)
  あの雪の日の状況なら誰でも考えつきそうな方法です。見ている限り、私に続いて乗り合いを募る人は現れませんでした。列の後方に並ぶ人たちは、なぜこの方法を採用せず、何時間も静かに並ぶことを選んだのでしょうか。不思議ではありませんか。

  上手く表現できないのですが、私たち現代の日本人にとって、他人との距離感はとても大きく、そのため様式化されていないコミュニケーションに尻込みする傾向があるのではないでしょうか。(アジアの国々を旅すると、どこへ行ってもいろんな人に声をかけられます。あるとき、インドの街で試しに数えたことがありますが、1日に47人に話しかけられました。そのうちの何人が旅人を騙そうと近づいてきたのかは不明です。)「冠婚葬祭」のマニュアルにあるような場面でのコミュニケーションには用意周到に取り組み、卒なくこなそうとするわけですが、突発的な場面では意欲的ではないように感じます。
  この場合は、見知らぬ人への呼びかけ〜交渉という、価格交渉の習慣のない日本では、飛び込みの営業マン以外には馴染みのない場面です。見ず知らずの他人への呼びかけには不安感も大きく、腰が重くなり、自らのコミュニケーションスキルを発揮しようという気にもならないのではないか、これが私の推測です。
  見知らぬ他者への働きかけ、コミュニケーションは、大災害のような突発的で切羽詰まった場面では、いきなり必要に迫られることになるように思います。
  的外れかも知れません。みなさんはどう思われますか。(2026年、3月)
  
  
  
  
  


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