見出し画像

ロシアのウクライナ侵略、イスラエルのパレスチナ人絶滅戦を、どうするのか?



1、はじめに


  解決の困難な、人類史的な課題が山積みになっていると感じますが、どうでしょう。トランプ大統領が主張するように、「それは何らかの意図に基づいたデマによって信じ込まされているだけであり、実際にはそんな課題など存在しない」、と感じますか。
  X上に根拠もなく言い放たれるトランプ大統領の短文よりも、大新聞の論説を、まだ信じるに値すると感じる私にとっては、その筆頭は、①温室効果ガスによる地球温暖化とそれに伴う気候変動。次に続くのは、②分解されないプラスチック素材に依存する文化と、その結果としての廃棄物問題(途上国へのしわ寄せ、海洋汚染…)。③原発から生み出されている、プルトニウムを含む「高レベル放射性廃棄物」の処理の問題。④人口の増加と食料供給の問題、です。
  人によって(どんなソースでどんなニュースを見ているかによって)、世界の見え方は全く異なりますので、どんな問題がどの程度深刻なのか、についてはさまざまな感じ方があると思います。
  また、コロナ禍や不況、物価高などによる生活不安が高まると、今日、明日の生活のことで精一杯となり、気持ちに余裕はなくなり、「人類史的な課題」の優先順位は下がります。   
  生活不安を高めるもの、その筆頭は戦争です。現在進行中の殺戮、ロシアによるウクライナ侵略やイスラエルによるパレスチナ人絶滅戦、これらは、地球温暖化対策や放射性廃棄物の処理方法云々より先に解決すべき課題ではないでしょうか。

  こうしている間にも、殺戮が続いています。兵士だけでなく、多くの市民が犠牲になっています。遠く離れた異国の出来事とはいえ、何をしていても、のど元に引っかかった魚の骨のようで落ち着きません。
  しかし、それだけではありません。この、ふたつの軍事行動が、世界を大きく変えているように思えます。世界を、100年前に押し戻しているように見えます。


2、不都合な事態


  ①世界戦争が終結して80年。この間にもいくつもの戦争、紛争がありました。いつの時代にも、争いはやみません。ロシアによるウクライナ侵略も、大戦後、幾度も周辺国との戦争の原因となってきたイスラエル建国とパレスチナへの侵略も、そういうもののひとつとは言えます。 
  しかし、これまで戦争の原因となってきたイデオロギー対立、覇権争い、市場の争奪、領土の拡大欲求、人種・民族差別などは、ここまでの歴史の教訓からほぼ相対化されてきたのではないか。誰の目からもこれらは戦争を始める大義にはならないと広く認識されてきたように感じます。先進国や多国籍巨大企業による途上国の収奪は今も巧みに続いているとはいえ、表向きには、一国主義を克服して市場の開放、相互主義、国際協調が普遍的な理念だと広く共有されてきたと思っていました。
  それが、とても陳腐な動機(領土拡大、民族のエゴ)から始まった大規模な武力行使が長く続いている、この事実に戸惑います。

  各国は、「力による現状変更は許されない」と合意してきたはずです。
  イスラエルとパレスチナを巡っては、紀元前に遡るユダヤ人始祖の歴史、ホロコーストの苦難、イスラエルの強引な建国と占領地拡大、ハマスによる武力行使などさまざまな歴史が横たわります。ウクライナとロシアを巡っても、ポーランドやロシア、ソ連といった大国との関係、その中での苦難、ロシアとの民族的な近似性や独自性など、さまざまな事情があるでしょう。ついでに言えば、中国と台湾を巡っても、民族的な近似性と独自性、共産党と国民党の因縁の歴史などがあるのでしょうが、それらは一旦置き、異なる見解はあろうとも、とりあえず現在の状態を前提にしましょう、という戦争回避の工夫でしょう。
  国際協調の中心、国連の中核にあるロシアが、それを反故にしました。もうひとつの主犯イスラエルは、建国以来一貫して「力による現在変更」を続けてきたエキセントリックな宗教国家ですが、これをあからさまに支えるアメリカはこれまで世界の警察を標榜してきた国連の中核です。世界の普遍的な価値観を、先頭に立って形成してきたはずの大国が自らそれを破壊しようとしていることに戸惑います。
  
  それともあなたは、「いやいや、そんなとらえ方は甘過ぎる。昔も今も世界は弱肉強食。戦国時代と何ら変わらないよ。」と返しますか?
  いずれにせよ、国連を中心にした価値観の共有と国際協調などというものは単なる理想、幻に過ぎなかったということでしょうか。
  そうなると、世界中のどの国も、それぞれ、軍隊と軍備を充実させ、常に他国の侵攻に備えなければならない、ということになります。私たちの文明の進歩の段階は、そのレベルなのでしょうか。

  ②本格的な軍事侵攻、民間人を標的にした爆撃、殺戮を前に、人権擁護と人道主義の理念を共有しているはずの国際社会は、しかし、これを止めるための有効な手立てをもっていないことが明らかになりました。
  不当な武力行使に対しては、それを上回る武力で対抗し問題を解決すればよい、という考え方は、今日、あまり首肯されません。それでは報復の連鎖となり、犠牲が拡大してしまう。これは、数千万人という夥しい犠牲をもって学んできたことです。紛争解決の手段は、まずは外交交渉であり、それとともに国際社会の経済制裁による経済的な孤立化を図る政策です。経済が自国の中では完結せず、国際的な相互関係ではじめて成り立つ現代では、かつての大戦時に比べて格段に、孤立することは致命的なはずでした。
  しかし、現在、この手立てが効いていません。(日本のロシア産天然ガス輸入継続のような例外があちこちに見受けられます。相互依存の必須性は経済制裁を不可能にしています。)こうなると、やはり、国際紛争を解決するならば、その方法は武力しかない、ということになるでしょうか。
  ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が不当だして、これを阻止しようとするなら、国際社会は共同してロシアと戦う必要がある、ということでしょうか。かつて米、英、ソ、仏などが、日本やドイツの侵略と戦ったように。
 
  ③ソ連邦崩壊の後、連邦内でロシアに次ぐ大国であったウクライナは、自国内にあったソ連保有の核兵器を放棄し、核拡散防止条約に加盟しました。これを受けて、核保有国である米、露、英、仏、中がウクライナの主権や領土の安全を保障しました(「ブダペスト宣言」など。ロシアはこの時の約束を反故にして侵攻を始め、英仏はこの時の約束があるから、何としてもウクライナを守る責任があると考えます)。
  しかし、ウクライナには、あのとき核ミサイルを放棄していなかったら、それが抑止力となりロシアの侵略を免れたのではないか、という議論がついて回ります。
  一方のロシアは、核兵器の使用を仄めかしています。仮にNATO軍が、ウクライナに地上部隊を派兵しロシアを決定的な守勢に立たせるようなことになれば、追い詰められたロシアはなりふり構わず核兵器を使うかも知れない、という危惧が拭えません。
  この状況は、核抑止力の有効性を実証しているかのようです。ロシアが好き勝手なことをできるのは、核兵器を所有しているから、ウクライナがロシアに軽々しく侵略されるのは核兵器を所有していないから、というわけです。
  ここから導かれる結論は、どんな国も、経済と技術の力量さえあれば、チャンスを見つけて核武装への道を模索するのが正しい選択ということになります。 

  「考える」という行為は、そもそも「論理的に」という意味をもちますが、①〜③を総じて考えれば、わかりやすいのは次のような結論です。  
  「隣国は、領土の拡大や資源の獲得、民族の宿願達成を目論んで、いつ攻め込んでくるかわからない。それに備えて最大限の軍備と兵力を、常に備えておく必要がある。さらに、可能ならば核兵器も備えるべきだ。
  実際に、最近は国内でもこのような主張があちこちで見受けられます。軍隊を位置づけ直すための改憲への動き、極右政党の躍進、タカ派政権の登場、核武装の提案…、これらは現下の国際環境を踏まえて出現した事態です。自然な帰結と言っていいかも知れません。

3、こんな結論でいいのか


  半年以上、下書きのまま本稿をまとめあぐねている間に、今度は、米国がベネズエラへの軍事介入を始めました。麻薬を輸出しているからと言って、「力による現在変更は…」のはずです。ましてや、「石油利権の奪回」など言語道断です。さらには、トランプ大統領はグリーンランドの併合をも宣言しています。(とんでもない大統領を選んだアメリカ国民にはその責任を取ってもらいたいものです。)
  こうなってくると、台湾を軍事行動で包囲する中国を含め、絶大な軍事力をもつ大国が好き勝手に振る舞う弱肉強食の世界がいよいよ出現したようです。
  こんな結論でいいのでしょうか。

  ところで、「日本は…、」「我が国は…、」といった主語で考え出すと、上で見たような結論が出てくるのですが、主語を「人類は…、」としたらどうでしょう

  「世界中の国々が互いを敵視し戦争を想定し、国家予算を割いて軍備増強に凌ぎを削り、少しでも危険な兵器を競って開発している」という状態は、地球の外、他の惑星から、つまり客観的に見れば、とても非生産的な、愚かで滑稽で悲惨な状態に違いありません。
  つまり、自らの振る舞いを客観的に見ることさえできれば、人類は、この状態から抜け出すことができるのではないでしょうか。
  まずは私たちが、他に先駆けて自国中心主義をやめ、人類史的な見地へ、見方の転換を、世界へ唱えるべきだと思います。それこそが人間的な成熟です。
  「何たるおとぎ話!」と思われるかも知れません。しかし、どう考えても人類は、遅かれ早かれこの境地に到達せざるを得ません。1、で挙げたような「人類史的な課題」は、早晩、人間の存在を不可能たらしめるほどに深刻化するはずです。100年後か200年後か、狭まったヒトの生息可能域と残された資源を取り合っていても展望がないことに気づくときが来るはずです。そういう事態が訪れることには、あなたも薄々気づいている、のではないでしょうか。
  何よりも、「日本人だけが豊かになればよい」「日本だけが安全であればよい」ではなく、飛来するミサイルの脅威に怯えながら暮らしているウクライナの人々、銃を携えて我が物顔で入植地を広げてくるイスラエルに故郷と生活の場、糧を奪われつつあるパレスチナの人々の現実に心を痛めている人々がいることが、希望ではないでしょうか。

4、おわりに


  さて、遠からず自分の存在が消滅した後、世界はどうなっていくのだろう。地球温暖化が緩和される気配は一向なく、この後も気候変動は加速し、ヒトが生息できない地帯が広がり、多くの人々に移住が強いられる事態になる。格差がさらに拡大し、空調の効いた快適な環境で豊かに暮らせる一部の人がいる一方で、大半の人々は飢えと渇きに苦しむことになるのか…。
 
  どのみち私たちの文明は、未来永劫に続くものではありません。数千年、下手をすると数百年のうちに人類は消え失せるか、大きく形を変えます。高レベル放射性廃棄物は、その危険性が減じるまで10万年に亘って厳重に保管しなければなりませんが、10万年後までには氷河期や間氷期も挟み、「現在の文明は終わっている」というのが学術的な定説だそうです。その後の地球上で繁栄するのは虫の類なのか、他の惑星から飛来した生物なのか、それとも、生き物は絶えるのか、それは万物を創造したという神々にも見通せないことでしょう。
  早晩、滅んでしまうのならば、気候変動も飢饉も放射性廃棄物の処理や核戦争の可能性も、心配する必要などないではないか、若い頃、そんなふうに感じていたこともありました。先のことは考えずに、刹那を楽しめばよいと。
  しかし、今は違います。何とかして、これらの人類史的な、地球大の課題に解決の道筋をつけ、私たちの文明が永く続いていく方途を追求しなくてはならない、そのための営為に自分も関わらなくてはならないと考えるようになりました。それは、自分に子どもができたからです。子どもをもつことによって初めて、自分の命を超えた遠い未来に思いを馳せることができるようになりました。
  わが子や孫たちに、幸せに暮らせる豊かな地球環境を残したい、誰もが願うはずです。

  「左翼が危機を煽っている」などとも言われます。私の問題意識が的外れな杞憂であれば、それはそれで喜ばしいことです。(2026年1月)

 

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集