【終戦の日】司馬遼太郎の原点は8月15日にあり
今日8月15日は終戦の日。
81年前の8月15日は
様々な立場の人がいたでしょう。
漫画家・手塚治虫は、
これからは思う存分に
漫画が書けると喜んだ。
作家・山田風太郎は
20歳のころでしたが、
これからの天皇陛下が
進駐軍によって
どんな処遇になるのか
心配していました。
こうした気持ちになった人は
予想以上に多かったらしい。
無邪気な軍国主義の子供だった
人たちはがっかりしたとも。
これが一番多かったんじゃないかしら。
戦後、「民主教育」が過剰に広まり、
日本は戦時下、みんな反戦だった
という小説やエッセイが多いけど、
実際は、それとはちがって
子供や青年は軍国主義で
天皇万歳を信じていた人が
多かったことが、
最近はやっと定着してきましたね。
だからこそ、
戦後は、大人たちを盲信せず、
自分たちで戦争や国家について
調べていく人が出ていきました。
あの歴史研究家・半藤一利さんが
まさにそうした人で、
実際の戦時下の話を
定着させてくれました。
だからこそ、戦争はやっちゃいかんと
書き続けてくれたんですね。
司馬遼太郎は
敗戦を千葉の戦車部隊で
軍人として迎えた一人でした。
なんで、日本という国は
こんなバカげた、
愚かな戦争をしたんだろう?
なぜだろうか?と彼は怒りに震えながら
考えたといいます。
なぜ?なぜ?なぜ?
そこに司馬遼太郎という作家の
原点があるわけですね?
寺山修司は、8月15日は、
広場に集まって、
正午にラジオで戦争の終わりを知り、
手に持っていた蝉の抜け殻を
思わずギュッと握りしめ、
抜け殻を潰してしまったと、
短歌に詠んでいた(気がします)。
ちがったかなあ。
寺山修司らしい虚構の詩ですね。
8月15日は特別な日です。
今日は
81年前の様々な立場の人が
老若男女がどんな感慨であったか?
想像を膨らませてみたいですね。
ちなみに、
私の祖父は職業軍人でしたが、
肺結核を病み、
終戦前に、一時的に、
広島の呉港から
故郷に移っていたらしい。
どんな気持だったんでしょうね?
不甲斐ないと自分を責めたかな?
ホッとしたかな?
もう孫の世代になると、
すでに分からないことだらけ。
体験者に体験を聞いたり
インタビューすることも大事ですが、
残された人間が
積極的に関心をもって調べていく時代に
なってくる、と、
ノンフィクション作家・
堀川惠子さんは
数日前の新聞で答えていました。
まさにそうかもしれません。
