【わたしと東京②】コーヒー店事情。喫茶店からスタバへ大転換
上京する時に、最初に
東京の西側に引っ越すか?
東京の東側に引っ越すか?
それは、予想以上に深く長く
その人の東京観に影響を与えますね。
私は田舎にいた時、
山田太一のテレビドラマで
世田谷区とか杉並区という
ロケ地にぼんやり憧れを抱いてました。
だから、つい東京の西側、左側に
住みつくことになりました。
杉並区、
練馬区、
上石神井、
世田谷区、などを転々としました。
一方、友人には、
墨田区や台東区を
転々とする人も多く、
互いに、
東京西半分と
東京東半分の良さや長所を出し合って、
どちらがいいか論争をしましたが、
結局、決着はつきませんね、毎回。
最初にどちら半分に住むかが
どうも東京人生を左右するらしい。
まあ、長い人生、
右半分も左半分も
どちらの東京を味わうのも
良いのでしょうけれど、、、。
そんな、こんな話はまくらで、
今回は喫茶店の話をしたくなりました。
杉並区下井草に長く住みました。
駅前商店街の裏路地に
一軒の、ちょっと暗いけど、
落ち着く喫茶店がありました。
いかにも昭和テイストの古さ、
というよりは
ずっとクラシックがかかり、
色々な人がめいめい
読んだり、書いたり、話したり、
長い時間くつろげる喫茶店でした。
昭和や平成初期には
そんな喫茶店が、
東京にもたくさんありました。
こ暗くて、快適な静けさもあり、
クラシックも選曲がよく、
常連さんは楽しそうにしてました。
時には初対面ながら
話に花を咲かせ、
気がつけば仲良しになることも。
そんな喫茶店も、
スタバ系カフェの出現で瞬く間に
個人経営の喫茶店はめっきり減り、
明るくテキパキしたカフェの出現が
東京の喫茶店事情を
いっぺんさせた気がします。
まあ、今は私も
すっかりスタバ好きですが。
こ暗くて、カウンターだけで、
常連さんがいるお店というのは
悪くいうと、閉鎖的だったんですね。
そんな閉鎖的な喫茶店は、
新しいお客さん獲得、
回転率の速さでは
スタバやタリーズには
不利だった気がします。
時代の潮目だった気がします。
さあ、そんなスタバですが、
私が行きつけにしてるのは、
仙川駅前店のスタバでした。
20年は通っています。
そこには
目が醒めるような美しい顔立ちで、
素晴らしい神対応ができる
天使みたいな店長がいました。
その店長めあてで、
夜になっても、
仙川駅前といった
郊外店でしたが、
とにかく繁盛していました。
私も店長とひと言ふた言、
会話を交わすことを悲願に
毎日通ったものでした(笑)。
でも、行列に並び、
いざ自分の番になると
頭が真っ白になり、
すっかりあがって、
毎回なにも話せないのが常でした。
考えたら、今も全く同じというか(笑)、
人間は恐ろしい位、成長しませんね(汗)。
そんなスタバ仙川駅前店には
開店当初に通っていたユニークな人がいて
後に猿田彦コーヒーを創業しました。
自分が通っていたスタバ仙川店のような
カフェを自分でも作りたいと
思ったからだそうです。
大塚さんといったでしょうか。
私は毎回、店長のオーラにドギマギして
会話も何も出来ずにいましたが、
別の人はそんな味わい深いカフェを
自分でもやりたいと一念発起する、、、
人間はなんと不思議な生き物か。
私にはそんな、
カフェを創業するような
チカラはありませんし、
今もありませんが、
まあ、あの頃のスタバの店長には
もう一度お会いしたいな。
でも、きっとお会いした途端に
頭が真っ白になり、
アワアワすることになりそうです(笑)。
