三洋電機消滅⑮ 僕は三洋電機本社近くで三洋電機創業時に生まれた
僕は妾腹の子供とはいえ井植歳男の最後の子供だ。三洋電機は消滅したが僕は逞しく生きている。 写真は僕の母と守口市梅町の家で撮ったものだ。三洋電機消滅に伴い、守口の本社は取り壊された。大日工場はイオンモールになった。残って居るのは保険会社に買い取られた三洋電機貿易ビルだけだ。
野田阪神駅の近くに松下電器創業の地がある。2階建ての長屋がそこだ。僕の従弟T一族は明治時代から、その辺りの大地主で今も創業の地のオーナーである。パナソニックが買いに来ても頑として売らない。松下幸之助の嫁むめのさんが着物を質草に金を借りに来た相手も従弟Tの一族だと自慢する。
その長屋には今も、小さな旋盤会社や電機のパーツ工場が細々と零細会社を営んでいる。同じ様な零細会社だった松下電器が、むめの夫人の弟、井植歳男と3人で始めた世界のパナソニック松下電器。時代に乗ったとはいえ、無一文、いやむめの夫人の着物担保の借金からスタートした会社が世界企業。
パナソニックは世界企業として逞しく生きている。しかし三洋電機は見事に消滅した。何故だろうか? 長い歴史から見れば泡沫の夢が50年続いたか、100年続いているかの差という刹那の話かもしれない。しかし冷静に見ればダメになる会社と成長し発展する会社の差は誰の眼にも歴然としている。
阪急グループの創業者、小林一三翁は建物として残すよりも、人の心の中に感動を残そうと努められた。それが少年野球 改め全国高校野球である。三洋電機は果してお客様に感動を与える事が出来たのだろうか? 創業時代の噴流式洗濯機の頃がピークだったのか、後は惰性で走って、そして消滅だ。
僕達の人生も泡沫の様だ。しかし仕事を通じて心に残る感動を積み重ねる事で、人生も楽しく豊かになる。お客様の心と触れ合いながら、自分に厳しくそして新鮮な気持ちを持ち続けたいものだ。Tが創業の地の長屋を値段に拘わらず、パナソニックに売らないのは松下電器創業と関わった誇りを持ち続けたいからだという。消滅三洋電機に対してはその誇りを持つ人すら無い。
