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日本消滅から復活への処方箋⓶      労働争議から抜け出して西宮に移住

僕が守口市梅町に住んでいて西宮に移住する寸前の母との写真

三洋電機は僕と同じ昭和24年に大阪府守口市で産声を上げた。当初は幽霊工場と言われた兵庫県北条でナショナルの発電ランプという、自転車の照明器具製造を手掛けていた。守口市に本社を置き三洋電機製作所という看板を掲げてスタートしたが資金繰りに窮していたが本社で大火事が起き復活した。

この火災で保険金が入ると同時に、労働争議に加担していた社員達を大量解雇した。松下電器創業者である松下幸之助の妻むめの の弟である僕の父、歳男は病弱な幸之助に代わって、その奔放な性格と営業力を駆使して、日本中を駆け回り全国に『ナショナルのお店』として販売網を構築して行った。

艶福家の歳男は本妻以外にも数名の妾や愛人を全国持ち、享楽的な人生を送って居た。解雇された守口製作所の元社員達は歳男の乱れた生活を許せず、守口の妾宅に毎日押しかけてきて、まともな生活が出来なくなり石モテ終われる様に西宮に、母キヨ子、姉寿子、そして僕茂と共に移住する事になる。

母キヨ子は戦争中に徴用逃れのために、松下電器本社の枚方で勤務した事が井植歳男の餌食になる原因となった。キヨ子の叔父が枚方市長という事もあり松下電器に勤めた事が仇になった。宮城まり子のファンだった幸之助と艶福家の歳男がキヨ子争奪戦を行って歳男が松下電器を退職したと噂された。

幸之助の娘婿に元子爵の出自の正治を養子に貰い、次期松下電器の社長にすると言う構想もあり、当時専務だった幸之助の義弟の父 歳男は社長の眼が無くなり退職したとか、松下電器が財閥解体となり歳男が退職したとか、諸説があるが、全ての要素が絡み合って井植歳男が松下電器を飛び出した。

歳男は得意の口八丁手八丁を生かして、キヨ子の持つ係累を三洋電機の成長に利用した。親戚の社長が関西配電(関西電力)であることから当時配給制であった電力を優先的に利用した。叔父が同和鉱業の最高顧問である事でコネを作り藤田男爵所有の雲雀ケ丘の別宅(井植山荘)を安価で譲り受けた。

キヨ子の叔父の湯川秀樹がノーベル賞受賞者である事から、係争中の噴流式の洗濯機特許について政府に働きかけたりした。三洋電機はベンチャー企業として注目を浴び始め、僕が幼稚園から小学校に通う頃には、『アイツは井植歳男の妾の子供だ』とか、『悪党の血を引いている』とか噂され続けた。


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