免許取って最初の車は某大学の自動車部の中古車だった。
サニーVR、ラリーのベース車両ってグレードだ。
このグレードは1~4速までクロスミッション、5速がノーマル、
したがって、引っ張って4速から5速に入れると凄くのぺーっとなる。
でも免許取りたての小僧にはこの上ない喜びだった。
ましてや中古が故に最初から後席にロールバー、運転席にはケーニッヒのリクライニングバケットシートが付いていた。
勿論レギュレータハンドル。
後に廃車のカラーバンパー貰って自分で付け替えた。
CA16DE、S13シルビアに最初積まれてたやつの1.6リッター版。

まわりはS13シルビアとかR32スカイライン、FC3SのRX-7なんて猛者もいた。
インターネットなんてない時代、雑誌プレイドライブの「売りたし」のコーナーで見て嬉々として購入したのを今でも覚えている。
当時は自動車メーカーの工場勤務だった僕は、当時の先輩と夜勤明けに名阪スポーツランドに行ったり、ジムカーナに夢中だった。
ある走行会、先輩はA31セフィーロ、僕はB12サニー、それに運転歴の差、それは結果としておのずとだった。
クロスミッションとはいえこちらは若輩、あちらは6気筒ターボで暦もそこそこ、そりゃ結果は当然ですね。
どれだけ通ったか・・・。
ある時は、よたってボディーシルをタイヤバリアにヒットさせたり、新車ではなかなかできない経験ってか新車じゃ無理はできないな。
同僚たちがあまりしないのは、こういったことがあるのとタイムが出るからって言ってたっけ。
一般道で事故るよりかはいいと思う、そりゃ嬉しがって峠に行ったこともあったが攻めたりはない。
たまたま走行会を企画運営しているショップにお邪魔していると、地方選手権のラリーで横転した”おこし”のパルサーGTI-Rがあった。
丁度売り出しのとても良い個体。
値段も手ごろ、すぐに飛びついた。
親からしたら免許持って半年程の若輩者にターボ車は心配だっただろう。
この頃のターボ車はドッカンターボばかり、このパルサーGTI-RはNISMOでフルクロスミッション、、、ロールバーも入っているし、競技車両だからスパルタン剝き出しだ。
もう虜。
自分が若輩なのに現役車両に乗っているなんて夢のよう。
しかも競技車両。
しかしこのパルサーGTI-Rに乗るにはそれなりの覚悟がいった。
この時の競技車両って基本内装は一番安いグレード、当然レギュレータハンドル、室内のマットは無い、オーディオレス。
レギュレータハンドルにマットは前に乗っていたサニーもそうだし理解はしていた。
問題はオーディオ、当然音楽は車内で聴きたい。
オーディオがついていなくて、元々は無線か何かがついてあったらしくそのスペースは空いていた。
取りあえず一番安い4スピーカーのカセットデッキを用意して取り付けた、
全て配線をつなげたのに鳴らない。
うんともすんとも・・・。
何が原因か調べていった。
すると、意外なことがわかった!。
なんとベース車両はオーディオレス、それは正にレス、スピーカーまでが無かったのである!。
前のサニーはベース車両なれど学生車両だからカセットデッキがついていたけど、これは本格的な競技車両でそんなものは必要なかったのだ。
この車には様々なことを教えられた。
まず、クラッチが重い。
競技車両アルアルなのだがクラッチは当然に強化クラッチ。
前のサニーにも入れたが今回はもう入ってて、しかもNISMOの圧着力1000kg、1tの踏襲力。
メッチャ重い・・・。
サニーは700kgくらいだったか。
それに加えてパルサーアルアルかもしれない、ハンドルがパワハンなのに重い、容量が小さいみたい、小型車だから・・・。
競技車両だからカーペットもない=ミッションの熱がもろに来る。
エアコンはとりあえず付いているが効きは最悪だった。
当時は勤務が宇治だった、通勤は車でだったが、ある時に道中で駆動が無くなる。
当時はまだ携帯電話も普及していない頃、公衆電話でJAF呼んで、会社に電話して。
今なら携帯で連絡できるからいいけど。
バイパスの途中で止まったもんだから大変、ニュートラル状態だったしまだ動いたけど、4WDってこともあり何台か止まってくれた人と路肩に押しても滅茶苦茶重かったのを覚えてる。
もしかしたらどっかのギアが入ってるんじゃないかってぐらい。
これも後からわかったんだが、JAFを呼ぶときに「パルサー」とだけ伝えてはならない、「パルサーGTI-Rで4WD」と伝えなければ最初は牽引が来て、「これではだめだ積車じゃないと」って感じで無駄足だったもの。
たまたま親戚の兄にうまく連絡が取れて迎えに来てもらって会社に送ってもらった。
原因はクラッチペダルがフロアパネルを突き破って抜けて、その勢いでクラッチのマスターシリンダーを破裂させていたことが判明。
後日NISMOに確認したら実際の競技車両は対策のブラケットを着けているそう、そりゃ抜けるわな。
そんなこんなでこのパルサーGTI-Rにはまだまだ色んな話がある。
NISMOのドライビングスクールを受けるとき、まだ高速スピードを経験していないし、父と試しに名神高速を走ってみようということになった。
ドッカンターボもあり気持ちよく回転が上がる。
栗東辺りで折り返して帰ろうとして、帰る時3速からシフトが抜けない・・・。
焼き付き。
3速でシフト固定。
からがら駐車場に帰ってきたけど3速固定だからバックができない。
この時一緒にいたのが父でサービス勤務に加えて協議車両にも知識があったので、僕がクラッチペダルを踏んでニュートラル、父が後ろに押す、こうしてなんとか駐車場に納めた。
これもNISMOに確認、やはり前期モデルは3速ギアにミッションオイルがチャンと浸かっていないらしい。
とりあえず直してもらいもらいドライビングスクール受講。
場所は鈴鹿サーキット、影山兄弟とか当時の有名どころのドライバーが講師。
午前は鈴鹿サーキットの教習所みたいなところでジムカーナレッスン。
午後はサーキットの東コースを周回。

この時、ジムカーナを既にしていたからサーキット走行のためにジムカーナでも使用するSタイヤっていう一般道では使ってはいけないタイヤも用意していた。
フロントハード、リアソフトって出で立ち、これが後に効いてくる・・・。
3周くらいかな?、このパルサーGTI-Rはクロスミッションだから5速7400rpmで180km/hくらい、マックスまで攻めてもココまで、
他の車はリミッター解除してる人が大半かな?。
Z32、R32の人なんかはこちらが180km/hなのにストレートで抜かしていく。
それを繰り返していくと、FR車のような挙動が出てきた。
タイヤがずるずるになってきた、特にリアが酷く緊急ピットイン。
メッチャ発熱してタイヤが溶けてた。
後にわかるが、フロントヘビーのGTI-Rなのだから、フロントにソフト、リアにハードが理想的。
もともとプッシュアンダーが凄い車両だったから。
でも二十歳前後でのこの経験は素晴らしい、このおかげで色んなスキルが学べた。
このパルサーGTI-Rはかなり長く乗った。
7,8年くらいかな?。
いろんなタイヤを装着した、Sタイヤ、ダートタイヤ、普通では履かないようなタイヤばかり。
この時タイヤサイズも規定でそんなにサイズがなかったから14インチのままだった。
195/55-14、めっちゃ無いサイズ。
この時ってダンロップにべったりでフォーミュラW1とかのストリートタイヤだった。
車検時に一度エンジンのオーバーホールをしたってのもあった。
今思えば凄いことをディーラーでしてもらったものだ。
パルサーでは京都市内もよく出かけた。
色目が黄色の車体で派手だから、よく母を迎えに行くときなんかは恥ずかしいって言ってたっけ。
改造登録で2人乗りで不便であったけど、親の車がR32のタイプMだったからそう不便でもなかった。
時は過ぎ去り、僕も何だか乗り換えたくなってきた。
周りも乗り換えが出てきて僕もそんな気持ちになってきた。
ちょうどディーラーでプリメーラがモデルチェンジし、ワゴンが追加になったタイミングで、普及させたいようで値引きが良かったのもそうだ。
この頃はパルサーもプリメーラ同様にモデルチェンジして、オーテックバージョンのターボ車ではないけどホンダのVテックみたいなNA1.6で可変バルブなのが出ていたが、オーテック扱いなので値引きが渋いこともあり、CVTながら仮想6速で2.0M6に落ち着いた。

始めて快適な装備の車。
泥臭くない、一般車。
当時はまだSUVやワゴン全盛期ではなかった為に母などからはバン的な扱いを余儀なくされた。
ちょっと出てくるのが早かったのかな・・・。
でもかなり満足をしていた。
CDチェンジャーをオプション装備、液晶ナビも付いてる、何よりフロアマットがついていてエアコンが効く、それにパワーウインドゥまで。
快適そのもの。
でも何か物足りなさを感じていたのかもしれない。
CVTながらM6モードっていってマニュアルモードがあるがオートマのマニュアルモードと一緒でタイムラグがある。
自分のテクも無かったのもあるが事故った・・・。
この車に乗って1年程で、新車で乗って事故るとこんなにもガッカリ感が大きいのかと思ったものだ、それまではラリーカーの中古でキズはもとより修理なんかは気にしなかったもの。
この修理で僕のタガが外れた、フードはカミノのものからプリメーラに、足回りはブリヂストンのダウンサスにショック、何より一番大きかったのはアペックスのN1マフラーではなかろうか。
当時はまだワゴンにいわゆる”かちあげマフラー”ってそんなになかったし、音もそれなりだった。
またしても恥ずかしい車になってしまった。
車高を下げたせいで車輪止めにコンビニに頭から入るとバンパーがめくれる。
結局フェンダーとバンパーに穴をあけてタイラップで留める、走り屋状態だ(笑)。
そうこうしているうちにタイヤ交換時期、後輪はR32ノンターボのホイール・タイヤ、pcdが114だったから、廃車のタイヤをもらい受けた。
当然FR車からの流用でオフセットが変わるから車がフルボトムすると後輪がリアフェンダーと擦れ「モギュ」っと音がした。
ホントに擦れるくらいなのだが車内に聞こえる音は大きかった、フェンダーの爪を折ろうかとまで考えたほどだ。
車体色はシルバーで普通なれどただ物ならぬ雰囲気、パッと見たら普通なんだけどね〜。
ここまでしたら次はインテリアが寂しい。
一番やりたかったってかパルサーの時は赤いフルバケ、ステアリングもナルディークラシック、スパルタン剝き出し。
その感じが欲しくなってきた。
・・・変えちゃった、ワゴンに赤いスパルコのフルバケ、ステアリングもナルディークラシック、ステアリングもボスで手前に延長。
運転席の目線がこの当時にレースであったJTCCみたいになった(笑)。
県境でのシートベルト検問なんかではシートベルトしてるけど座面が低くてしてないように見えてよく止められた(笑)。
ワゴンだけど変な走り屋仕様、これがコンセプトだった。
CVTもマニュアルモード使いまくり、当時のレース車両よろしくシーケンシャルミッションのつもりで操作していた(±逆だけど)。
この頃に勤務していた自動車工場が湘南と一緒になるってのがあり転職を決意する。
この頃って関東の雰囲気にもあまりなじめず、忙しいから応援ってのがあったり、応援に行っても土曜出勤もあってあまり堪能できなかったから・・・、今とは大違い。
勿論湘南にもプリメーラは持って行ったし、江の島も行った。
このプリメーラも結構乗った。
転職して実家出て、滋賀から京都の実家に向かう時に悲劇は起こった。
県境でいつものようにマニュアルモードで実家に向かっていた僕。
京都に入った途端に駆動を失った。
エンジンは回るようである、タラタラーっと路肩に寄せる。
フードを開けるが見渡しても原因がわからない、JAFに電話して積車してもらう。
ディーラーに持って行ってもらう道中に実家があるので乗せてもらい実家で報告を聞く。
CVTのスチールベルトが切れたみたい、そりゃ駆動がなくなるわけだ。
また修理か・・・。
幾らくらいするのだろう?。
聞くとこのCVT,M6って言うマニュアルモード付いてる奴は工賃も含めて50万くらい、どうするか・・・。
それから結構悩むことになる。
修理に50万は今で思うとそれなりの金額だが有り得ない金額でもない、ただそれなりに乗ってきたし(距離も伸びてたかな)乗り換えも視野に入ってた。
この頃実家はM35 V6 2,5のステージア、母のバンっていう視線もこの頃にはワゴンが世間にも熟知され、普通の車となっていた。
この頃には僕も自転車を買い、車に乗せることも多少あった。
乗り換えに実家と同じステージアも視野に入っていた、それも何故か3,5リッターで(笑)。
だがここで問題、当時の駐車場は僕がそれほどSUVに興味がなくマンションの立体駐車場も地下二階で全高が1550mmだったが為に3,5の4WDがよぎった脳裏も流れ去った。
結構悩みもした、ずっと同じメーカーだったし好きだったから。
で、悩んで出た答えがZ33、フェアレディZだった。
出て1年少し、これがいい、でも新車で色々と付けたら500くらいいきそう・・・。
そんなの無理だ。
そこに今までの考え方が出てきた、中古でいいやん。
それからは車がないってのもあり速かった。
中古車でも保証が充実しているディーラーに。
色々と手が使えるから。
横浜の方に僕の欲しい状態の車がある。
パールホワイトにオレンジタンの皮シート、ブレンボキャリパー。
マニュアル、オートマは関係なかった。
陸送費を払って持ってきてもらう、現車確認はディーラーに任せる感じ。
晴れて現車確認、ピカピカ。
これも国内のレースで走ってる現役車両、心躍る。
でも1つ問題、車幅。
実家の車がステージアになり、幅はあったが車高の為に自分の家の立体駐車場にこの幅を入れたことがなかった。
駐車場は1850mm、Zの幅は1815mm、ちょっとしか余裕がない。
それにZの後方視界である、慣れればなんてことないがパルサー、プリメーラワゴンと後ろがハッチバックタイプで感覚がわかりやすい車だったのが、急にクーペスタイルになってリアエンドがわかりずらいのである。
入庫にのちごちした。

優越感は凄かった。
3,5リッターの図太いトルク、V6の咆哮、本革シート。
全てがスペシャリティ、それまでの自分の方向とは全く違いラグジュアリーな雰囲気もあった。
上品に振る舞う。
そんな気にさせてくれる。
このZ33には荷物はそんなに積めない、たまたまネスレのネスプレッソマシンを買ったときなんかは、ラゲッジスペースに積むことが荷物高さの問題から助手席に座っている人が抱える。
ゴルフバッグが積めるとは言うものの高さのあるものは使えない。
こういう車には仕方ない。
この時自転車遠征も出てくるが、基本は連れて行ってもらう、乗せてもらうのが多く、不便さもさほど感じていなかった。
プリメーラワゴンの時にバックドアに付けるタイプのキャリアを買って着けていたのがありZにも付けたが、バンパーやリアゲートが歪むので着けるのは激減した。
以降は積んでも行くとしても自分の分だけ1台積み込み、バラバラにしないとつめないから苦労したっていうかめんどくさかった。





段々と自分でも自転車イベントに参加することが多くなり、実家のステージアを借りてイベントに行くことになる。
自然と仲間内で行くようになり、ステージアのルーフにキャリアを2つ着ける。

遠征時は実家のステージア、サイクルキャリア着けて車高問題があるけどその時は僕が実家に行けば問題ない。
そうして自分の所有は1台なれど2台使いの生活が日常生活になっていった。
この時、実家にはかなりポンコツなミニカもあった、これに背面キャリアを着けて、一応これでも自転車が積めるようにもした。

この実家にあったミニカ、3速AT、凄かった。
生活の足感がハンパなかった。
でも何かと重宝する。
そんなミニカもかなりくたびれ、乗り換え(実家の車なんですけど)。
何故か乗り換えは僕が出すこととなり、近所のスズキ自販へ。

すると初代ラパンが目に留まった。
水色メタで内装オレンジ。
ターボではないけど日常の足だから関係ない、実家の車・・・。
自分の家ではもうZが登録してあるし、自分名義でも無いのに・・・。
それでもたまには借りて自転車積んでってこともあった、近場ではあったけど。

小さいながらもキビキビ走る。
両親も乗って3名乗車ともなると非力なれど、1人で乗るには十分だ。
結構好みでよく乗った。
近場の自転車レースの時はこれで事足りる。
非力でもボーイズレーサー風。
実家の車も含めて良いラインナップ。
自分はZ、実家にトランスポーターにできるステージア、軽でキビキビな初代ラパン。
申し分ない。
自分がZに割り切れたのは実家の車がステージアだったからこそ。
SUGOの長距離も親子で旅行気分で実家の車で行った。
自転車レースはほぼ実家の車を使った。
シクロクロスシーズンは週末は必ずと言っていいほどステージアだった。





何年続いただろう、このM35 ステージアは結構好み、積載量も申し分なく、長距離移動もシンドクない。
着座位置も乗用車ライクで疲れ方も普通車と変わらない。
大概家族と一緒に地方遠征など行ったときはラゲージがお土産でいっぱいだった。
ルーフキャリアのおかげでそこそこ臨機応変に積載量は変えれたのが利点。
雨が降ってるときは自転車は中積、2台くらいまでだけどね。
キャリアも使い中積まですると4名に4台の自転車が飲み込める、
富士見パノラマに愛知で友達たちピックアップしていったとか、色々と融通がきく使い方ができた。
自転車イベントにはこういった使い方ができる車がいいと感じた。自分の車とは大違いである。
ほぼ自分の車の様に使った(笑)。
結構距離も伸びてきた、あるレースの帰宅時、ちょっと出だしがモッサリした感じが・・・。
帰宅時はほぼ高速であったから分かりにくかったけど、高速を降りて一般道を走ると一目瞭然。
明らかに出だしがスロー。
スピードに乗ってくると問題ないが、信号待ちからの再スタートでこれは起こる。
可変バルブ不調によるものっぽかった、それとオートマ、3速ぐらいに固定してる感じ。
油圧ラインは個人では治しにくい。
この頃には既に17万㎞は走っていたから修理は微妙な感じだった。
リビルド使って修理するにも距離がいってるし、違うところの不具合がまた出てきそうだ。
いっそのこと乗り換えも視野に入れる。
幸い春になりシクロクロスシーズンも終わり遠征事も減っていったので再考。
ワゴンの恩恵をひしひしと受けていた僕はこの手の車しか眼中になかった。
家族で話しているとどうやらこのステージアの代わりの車は僕が出すことが前提の話になっていた。
えっ!。
そうなんですか?。
それなら候補は幅が広がる。
なにしろワゴンがいい。
色々と調べた、さすがに新車は甲斐性がない。
中古車で距離が少ないのがいいや。
趣味に走れるから当然国産車は候補から外れた。
最初観てたのはアウディーのオールロードクアトロ、ベンツのE500ワゴン、ボルボのV70って感じ。
できれば4WDがいい、冬場のシクロクロスシーズンなどは雪道などもあるから。
この時点でE500ワゴンは消えた、アウディ、ボルボの一騎打ち。
排気量の関係でアウディは消えた、3,2は実家の車、トランポにはちょっと・・・ってなった。
ボルボか・・・。
ボルボの70シリーズなど4WDはたしか高さ1550㎜超えてたんじゃないかな?。
この時点で名義は確実に実家確定である。
自分の駐車場は機械式駐車場で高さ1550㎜、どう考えても登録もできない。
実家登録でベンツのML350もよぎったが排気量の関係上候補から自然となくなった。
とりあえず愛知の一宮にあるボルボの中古専門店に行った。
V70じゃなくともXC70でいいじゃん!、ってかV40も良いな〜ってなってたけど、当時はまだ新しいし、中古車でも高かった。
実家登録って段階で車の全高は問題なかった。
選り取り見取り。
さすが専門店である、240からV40(この当時新しい)、あれこれ見て回るとさすがにスタッフさんが寄ってきた。
事情を説明して色々と見せてもらう。
段々とグレードが上がっていきそう。
V50〜70、XC60・70と見る車が変わっていく、そして・・・。
XC90!、さすがに無いわ〜ってなった。
なにしろ大きいしボルボのフラッグシップである、これは無理。
すると「これは、まだネットに出す前なんですけど」、お決まりのセールストークにあるやつ。
めちゃくちゃ程度の良い個体のXC90を見せられた。
クラッとする(笑)。
フラッグシップの綺麗な個体、距離も値段も手ごろ。
まさか70クラス見に来てこんな展開になるとは。
1度帰宅して考える🤔。
色々と家族会議。
2度目は購入する気マンマンで訪問、購入決定となった。
XC90。
登録が完了し、一宮から乗って帰る、もちろん駐車場のこともあるし、ステージアの代わりだから実家登録。
乗って帰るはいいけど、Zの時と同じでデカいな〜。
高速は良いとして、実家の辺では苦労しそう。
大きいなりにもそれなりに使いこなしていき、キャリアも移植した。

このXC90は乗り倒した、遠征事はもちろん観光も。
まぁほとんど自転車イベントでの出動が多いけど。

3列シートが生み出すラゲッジスペースが秀逸だった、シクロクロスシーズンは友人の2台も十分積めるし言うことは無い、4WDの燃費と2.1tという車重以外は・・・。
それなりの燃費だった、ハイオクだし。
それでもパルサーの時を思うと良い。
パルサーの最悪時は3km/lだった・・・。
オーバーホールして良くなったけど。

このXC90は乗り倒す。
ひたすらに。
今でも現役である。
もうかなり乗って何年目かの暑い季節がやってきた頃。
空が落ちてきた(笑)。
外国車あるあるでヘッドライニングが剝がれて垂れ下がってきた。
修理代は結構なものっぽい。
でも親子でそういったのにはある程度詳しいから、DIY的な修理。







親子で色々な技術や手法を持っていたから、ホームセンターでカーテンを購入、スプレー糊で貼り付け。
治しちゃった。
暑い時期だったので、ライニングが無い時は無茶苦茶暑い!。
天井貼り付け時も汗だくだった。
普通はASSY交換するよな〜。
交換したらいくらかかるだろ?。
こうして修理して、段々と愛着も付いた。
XC90では宇都宮から広島まで、だいぶ遠征した。
これに関しては今でも現役だ。
ただ僕が脳幹出血で倒れた以外は・・・。
脳幹出血の後遺症で左半身麻痺が残り、今現在も運転はしておらず今日に至る。

Zも売り払った。
一つ問題があるとしたらXC90のウインカーがISO規格で左なこと。
改造して入れ替えても乗るかどうかである。





こんな感じで僕の30年くらいに渡る愛車遍歴。
この先どうなっていくかまだわからないけど・・・。
