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あらゆることに対して素直になれ、心を開き、耳を傾けよ。

東日本大震災から15年を迎える今

 まもなく東日本大震災から15年を迎える。21世紀の忘れてはならない自然災害のひとつだ。追悼行事はもとより、防災意識を高めるイベントなどが全国で行われる。

 統計によれば、世界で発生するマグニチュード6以上の地震の約2割が日本周辺で発生している。日本は、世界の陸地面積のわずか約0.25%しかないにもかかわらずだ。地震大国ニッポン、と評される所以であろう。

 そんなわけで、地震を含めた自然災害時の非常用持ち出し品を用意している家庭は多い。いわゆる防災グッズの中に、生の情報を得るために携帯ラジオを入れているはずだ。

 防災グッズのラジオを使う機会が来ないことを願うが、コロナ禍の時だったか、「ラジオを聞き取れない若者が増えている」という新聞記事か何かを読んだ。

「ラジオを聞き取れない若者が増えている」とは?

 「どういうこと?」と思って記事を読むと、何のことはない、若者の大半がラジオ音声を聞き慣れておらず、何をしゃべっているのか分からない、ということだった。

 ラジオの音声を聞き取れない、ということは、ラジオが生活の一部ではないわけだ。生まれた時から、あるいは10代でネットやスマホが当たり前に存在していた世代をZ世代という。

 残念なことに彼らの眼中にラジオはなく、おそらくテレビも疎遠な対象であろう。高齢者でも、自宅でテレビは見るが、ラジオはほとんど聴かない、という方もいる。

 それでも料理や裁縫など簡単な手作業時に、ラジオを聴きながら行うことはあろう。また、車の運転をする時は、交通情報取得や時間確認を兼ねて、ラジオを聴きながら運転しているに違いない。

かつては多かったラジオ聴取の選択肢だが…

 特に一人で車に乗る時は、自分だけの空間を満喫できるので、お気に入りの音楽が流れてくれば、カラオケばりに唱和して、自慢のノドに酔ったりする。外から誰も見ていないのを確認して。

 かつては自宅の居間に鎮座し、一家でラジオに耳を傾けるという時代もあったが、筆者がティーンエイジャーだったころは、ステレオ放送や短波も含めて、ラジオ聴取の選択肢は多かった。

 日常生活を越えた世界の動きをテレビだけでなく、音声のみで聴けるラジオの音をスピーカーから、あるいはヘッドフォン、イヤホンで聞くことで外の世界を想像し、いつか自分の目で見てみたい、と考えたことを思い出す。

 若かっただけに、単に娯楽が少ない、あるいは経済的に余裕がなかったという理由もあろうが、新聞をはじめ専門誌の音楽ラジオ番組の放送予定を見て、盛んにエアチェック(おそらく死語では)していた時期が懐かしい。

ラジオの映画音楽紹介番組にのめり込んだ10代

 特にNHKで流していた関光夫氏の映画音楽紹介は、タイマーを使ってまで録音するほどのめり込み、見てもいない映画の音楽を聴いてどんな映像なのかを想像したりした。

 そうした音楽だけしか自分の中に取り込めないという反動からか、大学入学後、講義そっちのけで名画座巡りに励んだのは、言い訳だけとは言い切れまい。

 話が脱線したが、ラジオを身近な環境として育ってきただけに、通勤はもとより、週末なども屋内外でのDIYを中心とした様々な作業時に、ラジオは欠かせない存在だ。

 ところが、残念なことにラジオ愛聴者は年々減少しており、今は国民の1割に満たないとか。そんなラジオも生き残りをかけてか、1週間前までの放送を無料で聴けるサイト「ラジコ」があると聞く。

録音してまで繰り返し聞きたい番組があるラジオ

 中には、聞き流すにはもったいないほどの内容がある放送もあり、録音して繰り返し聴く愛好者もいるとか。個人的には、まだまだ無くなってほしくないメディアなのだ。

 「情報化社会」と言われて久しい昨今。名言のように素直になって、あらゆることに耳を傾けるという姿勢、さらにそこからの行動は、常に大事であるに違いない。
 改めて東日本大震災の犠牲者のご冥福をお祈りいたします。

ジャック・ケルアック
【1922~69】アメリカの小説家で詩人。小説「路上」は、ボブ・ディラン、ビートルズ、ジェリー・ガルシア、ドアーズなど、1960年代の多くの文化的アイコンに大きな影響を与えた。自伝的要素を盛り込んだ小説が多い。ビート・ジェネレーションを代表する作家で没後に人気が出て高い評価を得た顕著な作家。47歳没。

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