【提言】「みのミュージック」ではなく「みのロック」みたいなチャンネル名であればまだ、問題無かったのだろうに。
みのミュージックの話題に関してここまで6本もの記事を書いてしまいました。流石にこれは自分でも執着しすぎな気がしています。苦笑
音楽系のYouTuberやブロガー、評論家で、みの氏と同等かそれ以上に偏った発信をしている者も他に多く居るはずなのに、何故、とりわけみの氏がここまで悪目立ちしているように見えてしまったのか、考えてみました。
一連の記事の中で僕は、比較的厳しい論調でみの氏を批判してしまいましたが、僕は単なる全否定をしたいわけではなく、しばしば書いてきたように、とりわけ以下のような評価を抱いているということを、まず前提とさせてください。
・僕はみの氏の提示する問題意識には共感するが、肝心の中身に関しては、その問題意識を達成できているとは言い難いクオリティに留まってしまっていると感じている。
・みの氏の発信は一貫して、素晴らしい導入に対して中身が伴わない。
・みの氏の著書は、その野心的な導入にかかわらず、本編の内容はただ従来のロック史をなぞっただけの残念な内容だった。
・みの氏の著書は、「はじめに」「まえがき」を読むと支持したくなるが、本文を読むと違和感を抱いてしまう。
・みの氏の取り組みは、入り口の着想そのものは悪くないことが多いのに、肝心の実践段階になると、的外れな方向に進んでしまう傾向がある。
今まで僕は、この「問題意識自体は悪くない」という部分を、フォロー的要素・擁護できる部分だと捉えており、「中身が的外れ」という部分のほうが批判されるべき点だと考えていました。
しかし、実は逆だったのかもしれない、と、ふと思ったのです。
この「“議題設定” と“議論内容” のギャップ」という現象をもう少し具体的に説明してみようとすると、みの氏の繰り出す表面上のテーマ設定 ——「音楽批評」「タイアップ論」「AI音楽」「邦楽通史」などなど —— これらはすべて、ジャンル関係なく越境的・普遍的な「音楽」を主語にした言論として成り立つテーマ選びであるといえます。にもかかわらず、その中身に目を向けると、それは客観的な音楽論ではなく、単なる「ロック好き」の文章のような偏った視点が見て取れる、ということが指摘できます。客観的で公平な分析を装う彼の文章や動画の節々からは、「本来、音楽とはこうあるべきだ」という、純血主義的・反商業主義的な、特定の時代の「ロックの美学」に根ざしたバイアスが強烈に滲み出ています。論理の骨格を支えているのは紛れもなく「ロック至上主義」的な価値観です。
つまり、みの氏はロックという特定分野の視座にのみ立っていながら、「音楽評論家」として、ロックを超えた越境的・普遍的な「音楽論」を展開しようとしている。その越権的な問題設定にこそ無理があり、それが反感を買いやすい一番の原因になっているのではないのでしょうか。
みの氏に対しては「音楽を純粋視し過ぎている」「音楽そのものを神格化し、周辺の付随要素を邪魔者扱いする」といった批判がしばしば寄せられますが、これは単なる「音楽至上主義」というよりも、「ロック的価値観の発露」と呼ぶべきものだと僕は思っています。また、彼に対しては「実力不足」という言葉を投げかけられているのも見かけますが、それは単なる力量の問題というよりも、僕は根本的に「お門違い」ということではないのかな、と思うんです。
ロック的な価値観という限定されたフィルターを通してしか世界を解釈できないにもかかわらず、「みのミュージック」という看板を掲げ、あたかも「音楽」という広大な世界を等しく俯瞰しているかのように、ロックの枠を超えたテーマを選び取り、専門外の分野においてまで、さも中立的な専門家のような顔をして語りたがる。本来であれば、自身のホームグラウンドであるロックの文脈の中で完結すべき基準を、その物差しに適さない領域にまで無理やり持ち込み、しかも挑発的な言葉選びで批評してしまう。この点が、特定層のロックファンからは支持を集める一方で、一定数の視聴者や読者に違和感も抱かせてしまう最大の要因であり、議論の歪みの元凶なのではないでしょうか。
もし、彼の活動が「みのミュージック」ではなく「みのロック」という名前であれば、ここまでの反発は起きていないはずです。最初から「一人のロック愛好家が、ロックの物差しで音楽を斬るチャンネル」というスタンスを明確に自覚して表明していれば、それは一つの芸風として成立するでしょう。しかし、彼はあくまで音楽全般に関わる一般論的な土俵で言論を行ってしまっています。非常にスケールの大きな器を自ら用意しながら、その中身を自身の狭いロック観だけで満たそうとしてしまっているというギャップがあるのです。
一連の流れの中で、みの氏はXで以下のような投稿もしています。
俺はいつかロックを玉座に還す
— みの (@lucaspoulshock) April 6, 2026
この発言は、今回の記事で示した仮説を端的に裏付ける投稿だと思います。
もっとも、これは彼が一人の「アーティスト」「ロックミュージシャン」としての発言なのであれば、立派な宣言となるでしょう。しかし、彼は「音楽評論家」として「音楽批評」の活性化を志向している中で、このような発言をしてしまった以上、どうしても苦笑せざるをえませんでした。
本来、多ジャンルの批評をフェアな立場で遂行することを求められている立場を標榜しながら、公然と特定ジャンルの特権化を宣言してしまう。その姿勢は、「音楽評論家」ではなく単なる「ロックの伝道師」です。
こうした限定的な思想が「音楽」という大きな主語の裏側に潜んでいる限り、いくら先見的な議題設定を選び取ろうとも、彼の発信が真に説得力のある批評として機能することはないでしょう。
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