しちゃうおじさんの記事をご紹介しますが、結局自分の書きたいことをどんどん書いてしまいました。


記事の紹介

私、そういえば、他者の記事を紹介したことってないんですよね。

しちゃうおじさんの記事を読み、思ったことを書きます。
この記事だけではないのですが、共感をしました。

この記事よりも好きな記事があるのですが、とりあえず今回はこれです。
書くときは好きに書いていたのですが、結果として読んでみると、分析癖や解釈癖が出ちゃってますね。

で、ちょっとドスッとなる(重い)言葉がありますので、そういうの苦手な方は読まないようにしてくださいね。

で、最後は宗教についての自分の考えをつらつらと述べています。振り返ってみると、記事の紹介らしいことはしてるぽいですが、結局私が書きたいこと書いているだけです。

相互購入とか相互おススメとか

 相互フォローがあるのはかなり早い時期から知っていました。

 ここで初めて知ったのですが、相互購入とか、相互おススメとかもしているんだなってことに驚きました。いや~、まさかな~って、薄々感じてはいたんですけどね。

これって例えば、100円で売っている記事を、そのコミュニティの人が買う。おススメもする。次は、その買った人が自分の記事を100円で出す。以前自分の記事を買ってくれた人だから、その記事を買う。そしておススメする。ということをやっているわけですか。
 これだと、人数次第では、余裕で万を超えていきますね。

 ってことは、今月の売り上げだけを報告している記事があるとすれば、相互購入の結果であり、自分がそのために支払った金額については報告されていないってことですよね。(あるいは、相互購入を期待して支払われたものなんだけど、本人はそれとはまだ気が付いていない⇒お返しをしない人だと思われる⇒売上減少)という方向に行く可能性も高いわけですか。

 おススメされている記事っていい記事なのかなと思ってました。さすがにここまではしないだろうと。あぶないあぶない。おススメがたくさんついていると、ほんとかな~って、つい買っちゃいそうになりますよね。

オススメっていうのは、その記事自体に価値を見出し、本当にそれを人に知らしめたいから行っていることですよね。で、今はおススメではなく、「高評価」になっているみたいですね。

 で、お勧めの中にビジネス相互オススメがあると・・・。ビジネス相互オススメというのは、別にお勧めでも何でもないんだけど、この人には借りがあるから、それを返すんだ・・・って感じの話なわけですよね。

でも、周りの人からすれば、そんな事情は全くわからないわけです。その記事が売れていると思って、それに期待して記事を購入した人がいたらどうするんだろう。

価値がないのに価値があるように見せること、それにより金銭を交付する意思を形成させ、金銭を支払わせること。この二つがそろえば、詐欺罪になるんですよ。

もしそれが本当だとすれば、詐欺コミュニティや詐欺記事になっちゃいますね。

でもね、そういった「相互オススメ」のための、素敵でもなんでもない記事を頻繁にタイムラインに流されてしまう第三者のフォロワーさんはWinでしょうか? Loseですよね?

ここで同じようなことが言われていますね。

 これも法の穴なんですよね。『いや、自分はおススメって思っているから押したんだよ。この記事を読んで、自分がどう思うかは自分の勝手。君たちがどう思うかは君たちの勝手だよね。』って逃げ切られたらそれまでですよね。本人がその記事についてどう思うかは自由ですし。

ということは?

 ノートで記事が販売できる人って、全ユーザーの2%という話を聞いたことがあります。ですが、このような相互購入をやっている人たちが一定数いるとすれば、もっと少ないということになりそうです。本当は売れるような記事じゃないんでしょって。それでも、自分はこれだけ販売した実績がありますっていうことにつなげるわけですね。

 これは、経歴詐欺ですね。詐欺というのもそうですが、もはや偽装です。商品景示法違反と同じです。ノートというコミュニティ全体の記事の信用を低下させる、社会的法益を侵害する犯罪ですね。ノートさん自身も対処しておいたほうがいいんじゃないですか?でも、その収益からノートさんは利益を得るので、なかなか難しいのかな。ネットサービスにはよくある話ですよね。

 個人的には、記事の売り方を書いた記事が人気だなって思ってます。で、真面目な小説とか、専門的知識とかを書いた記事ってあんまり売れてない印象ですよ。有名な方じゃない限り。売り方を学んで売り方の記事を書いて、売り方の記事を売って、それでぐるぐる回っているような感じさえ受けてしまうのって私だけ?。


ビジネスオススメ取引

 人間関係って取引で成り立っているなって思うことはよくありますね。
自分が『これ』をする代わりに、あなたも『これ』をしてね・・・ってこと。

 この『これ』が、お互いにとって、等価値だとみなされている場合に、取引が成立します。もちろん、どっちかが『これ』を欲しくなることがきっかけです。実際にはしちゃうおじさんにフォローされるのと、その人がフォローしてくるのでは価値も全く違うのでしょうけれども、清き一票と同じように、清きフォローをお願いしますというわけで、どちらも同じ一票の価値を持つとみなされているわけですね。 

 フォローは、フォローをする権利を持つ個人が、主体性を持って、独立して行使できるものです。その人自身がフォローをしたい人を決めます。

 フォロー外しもフォローと同じことです。さらに、フォロワー外されたら外し返す・・・というのも別にルール違反でもなければ何でもないと思います。その人の勝手と言えば勝手です。

 どのような目的であれ、フォローするのも外すのも、外し返すのも自由です。

 全部自由なので、それ自体が問題なわけではないのですが、だからといって、『おススメまでさかのぼって取り消しに行く』というのは、不穏な印象を受けます。

 で、それがなぜかと言うと、おススメっていうのは、その記事に価値を認めたからこそのおススメなので、価値があると認めた以上は、おススメをし続けておくのが筋じゃないかなってことなんですよね。でも、フォローを外されたことをきっかけとして、おススメを消すってことは、価値を認めるとか認めてないとかに関係なくおススメをしていたっていうことの証明だと思うんです。

 この点が、おススメが実はビジネス目的の相互オススメなのでした・・・と言われる心理的証明なんじゃないかなって思うんですよね。私もその通りだと思いました。

 もちろん、後で気が変わったということがあります。よく考えたら、そこまでおススメと思えなくなってきたってことはありますけどね。

 ビジネス相互フォローは、取引フォローであるため、そのフォロー数が自分の記事の権威付け 信用強化へとつなげるための資産みたいに扱われているのでしょう。相互購入や、相互おススメも同じです。それらは、自分の記事に目を向けさせるための道具であり、有料コンテンツを販売している人にとっては、ほしい指標ですね。三ツ星レストランとか、そんな感じ?

 正直、私もおススメなんてされたらすごい嬉しいですよ。でもね、それは私の記事に価値を認めてくれたからこそだと思っているし、だからこそ嬉しいんですよ。スキも、フォローも、おススメも、購入も、自分の記事に価値を感じられる、だから嬉しいっていうのがあるんです。承認欲求ですね。

 人は誰しも欲望を持っているんですが、欲望を悪いものだと考える人もたくさんいますよね。でも、欲望自体が悪いのではなく、悪いのは、ずるい満たし方だと思うんです。欲が完全になくなれば、人間、死あるのみですよ。

 ビジネス目的オススメだと、価値を認めてないのに、よく読んですらいないのにおススメされていることになる(それがかなりはっきりしている)わけですね。そこが変だよ~っていう感じがしましたね。はい。

 それを含めて自由と言えば自由なわけですが、それに対してこっちがどのように感じるかも自由ですよね。

自己中について

 自己中について、私は考えたことがあります。例えば、30人中、29人が、とある物事に賛成していて、1人が反対を言っているとします。すると、29人は1人の人間が従わないので自己中だっていうんですよね。

 でも、世の中って不思議なもので、少数派の方が正しいことってよくあるんですよ。有名なのが、地動説と天動説の話ですよ。コペルニクスだけが、天動説ではなく、地動説を唱えた。

 それが正しかったんですよね。つまり、天動説を信じて、主張して、コペルニクスを批判していた人たちこそが、自己中だったんです。

 自己中の定義は、『世界が自分を中心に回っている人』と言う意味ですよね。
 自己中な人間に賛同する人間も、全員自己中なんですよ。たとえどれだけ人数がいてもね。だって、世界はその人たちの考えとは全く無関係に動いているじゃないですか。主役は「世界」です。私たちの思いとは完全に無関係に、世界は独立して回っているわけです。

 だから、自己中な人間が何人集まって賛同し合おうと、結局その人たちは皆 自己中です。世界はその人たちとは全く無関係に回っています。それにもかかわらず、その人たちが、自分達が正しいと思っているのだとすれば、世界が自分達を中心に回っていると考えている、そういうことになります。

 単に1人だけ反対したから自己中だって言う人がもしいるとすれば、自己中の意味を全然理解していないどころか、非常に危うい存在になり果てていることは間違いないですね。

平和ボケについて

 平和ボケ・・・というと、長らく戦争をしておらず、他国からの侵略に対して危機感が全くないという意味に思います。ここはどういう意味でこの言葉を使われたのでしょうか。

 しちゃおじさんの記事から読み取ると、自分達のノート記事の質が大してよくない人たちは、自分のノート記事の価値自体をよくするより、ビジネス系の行動ばかりを行っている。こういうことを続けていくと、寒いノート記事ばかりが蓄積されていくわけで、それがためにアカウント全体の質がどんどん悪くなっていくわけで、そういうことについての危機感が全くないということ。そして、お互いがお互いをヨイショし合って、自分達はイケイケだぜ!みたいな感覚に陥り、自己陶酔し、自分達の記事の価値を自分達で見誤り始め、すごい記事なのだと勘違いし始める。結果として、いつの間にか中身がスカスカな記事が羅列してしまう幽霊ノートになってしまう。そのことにきがつくことなく、そのまま来るべくして来るNote退場日のXデーが到来する。そうしたことへの危機感がない。Xデー到来予備軍となり果てた方達ということなのでしょう。やがて来る死の時間を、心穏やかに迎える。安楽死みたいですね。(ドスッ!)

 確かに、生きることは痛く、つらく、厳しく、苦しいものです。ノートで稼ぐのもつらい過程があります。数時間かけて書いても全然読まれないことが多いし。
 私たちは皆、死へ向かって生きているわけです。心地のいい嘘に包まれて生き続けていくというのは、生きている間、陶酔状態でいられる安楽死をしているのに等しいのかもしれません。ノートの世界に生まれてからすぐ安楽死モード・・・。辛いのも嫌だけど、これも嫌ですね。

宗教について 特に新興宗教について

 宗教を信じている人、信じる人って、信仰心の強い人だと思っている人は多いのではないでしょうか。何かを信じる気持ちが強いからこそその団体に入っているんだって。私もそう考えていた時期があります。

 でも、それは全くの誤解でした。宗教に入る人って、実際は、『自分達が信じたくないものを信じない気持ち 見つめたくないことを見つめない気持ち』っていうのが、めちゃくちゃ強い人たちなんだと思っています。

 よくあるのは、永遠の命が手に入る、という歌い文句です。これで入信しちゃうのは、死を恐れる人たちがたくさんいるからです。死が怖いから、死から目を背けていたい。そういう人がこうした文句に弱いです。私の家にもよく宗教の勧誘が来ますが、永遠の命の話をする時になると、優しそうな勧誘おばさんや勧誘おじさんも、キラッ!と目が光ったり、どこかしらにやついた顔になっている気がします。

 さすがにこれには騙されないだろ~って私は思うんですけど、(騙されている瞬間を目撃したこともないんですけど、)それで勧誘し続けてるってことは、やっぱりいるんでしょうね。そういう人。だからそういう勧誘してくるんでしょうね。

 これとはちょっと話が違うのですが、私がテレビで見た例を挙げてみます。


 ある夫婦の子が若くして死んじゃいました。母親は悲嘆にくれ、毎日泣きどおしでした。しかし、父親は、母親を残念に思いながらもこのように諭します。「あの子はもういないんだ。いい加減泣くのをやめて、前を向こう。」

 しかし、母親は受け入れません。むしろ、子供が死んだのにも関わらず、割と平気でいるように見える旦那を非難し始めたりもしました。

 ある時、その噂を聞きつけた人がやってきました。「あの施設に入所して一生懸命信仰した人が、自分の子供が生き返ったっていってたよ!」

 それは、天然だったかもしれませんし、サクラだったかもしれません。しかし、その母親はその言葉を聞くなり、迷うことなく入信し、その子の復活を願って活動に没頭していきました。


 このエピソードを聞いて、ああ~。このお母さんは非常に子供思いなんだなぁ。って思う人も、そりゃいるかもしれませんね。私ももっと若いころだとそう思ってたかもしれません。でも、今の私からすれば、子供が亡くなってしまった現実をいつまでも認められない人ですね。

つい先日有名になった旧統一教会で、母親が大金を寄付したがために息子が自殺した人のエピソードも印象深かったです。

よく覚えてはいませんが、母親は、サタンがいることを信じていました。だから子供がよく育たない(物事がうまくいかない?)。とか、そういう話を信じるわけですね。

自分に何らかの原因があると認めたくない。自分に何か問題があると認めたくない。そういう思いを持つと、サタンのせい、という話に挿げ替える。そうして、それを信じてしまう。サタンがいると言うことを積極的に信じるのではなく、認めたくない何かがあるから、それから逃れるために都合のいい考えに嵌ってしまう。

 自分の子供がいじめられている?自分の子供に何か問題があった?いや、彼らは自分の子供に嫉妬しているんだ!とかね。

 人の主観の話なので、推測するしかありません。でも、私は宗教に入信する人って、こういう人が多いと思っています。また、宗教に入ることによって、自分を必死で守ろうとしたり、あるいはそれすらも利用して自分の利益にしようとしたりする。そういう人の寄せ集めなんじゃないかなって思います。
 
 もち、中には信仰心が純粋に厚い人がいて、こういう人が、勧誘役に回されるんじゃないかなと。なぜなら、自分自身を騙せる人間、もとい、本当にそう信じている人は、とても自然にふるまうことが出来るので、人を信用させるのにうってつけだからです。でも、その人自身も、何かから目を背けており、それがその人の元々のスタンダードであり、当然のように宗教に加入するような人なんじゃないかなと。

 私が学生時代の時、勉強とか、運動とかではすぐに疲れて投げ出す人が多かったんですが、自分が信じたくないことを信じないっていう気持ちだけは、異常にすさまじい人たちが多かったように思います。その気持ちの強さには、どれだけ頑張っても覆すことができそうにはなかった。彼らも、彼らの中で自分の宗教に入っていたんですね。

 だから、都合のいい嘘っていうのが宗教の信じる対象になるわけです。別に団体なんてなくっていいんです。個人の頭の中で、勝手に都合のいい考えを持てば、そこで宗教完成です。私は、それが巷で言われている宗教の元なんだと思っています。宗教は勝手に個人の頭の中で捏造され、それを本当のことだと思って信じ続けているわけです。そこに、それを肯定してくれる怪しい宗教団体が手を差し伸べてくることがある、というわけですね。共通の考えを持ったもので集まることもあり、それは宗教団体という形を取っていなかったとしても、やっぱり宗教団体です。

 例えば、この世界はとてつもなく残酷で、人間っていうのはそんないいもんじゃないですよ・・・。ってことを信じない人は、綺麗な心を持ってるな~って思っちゃうこともあるのですが、見方を変えれば、いつまでもそうであることから目を背けている人と見ることもできます。

 確かに、どっちが本当か、と言われると、証明することってなかなか難しいわけですよね。

 神の存在とか、天国とか地獄の存在とか、眼に見えて示すことができるものではない。そういうものをあーだこーだという世界なので、結局その人の認知能力が物を言うのでしょう。

 つまりは、天動説が頭の中で勝手に出来上がっちゃう人がいて、そっちを信じているわけです。すると、当時のカトリックのような宗教団体が素晴らしいと拍手を送ってくれるわけです。自分がそう信じていたいところを、肯定してくれるわけですから、悪い気はしませんよね。

 逆にその人たちに地動説を持ち込むと、激しい拒絶反応が起きるわけですね。後は推して知るべし。

 くどくどと述べてきましたが、この私の文章にはまだまだいいたりないことがかなりあります。例えば拝金主義の方は、金こそが神って感じなんですが、そう言う人は一体何から目を背けているんですか?って聞かれると、私もはっきりとは言えませんからね。その人自体がどうしてそういう人間になってしまったのか、過去を掘り下げなければならない点も多いわけです。パッと考え付くのは、金以外に大切なものがあると認めたくない。→一攫千金や、利ザヤで稼ぐことばかリを考えており、地道に自分の能力を鍛える苦しみ、めんどくささから目を背けているとか?あるいは、金っていうものがない恐怖を経験したことがあるから、そこから逃げたがっているとか。


 じゃあ、私が今書いてきた新興宗教の話をしちゃおじさんの記事にスライドさせると、お互いが記事の購入をしたり、おススメをし合うことで、自分達の記事に価値が無いっていうこと、あるいは、自分の記事の質自体と向き合うことなど、それ自体から目を背けているのだということになりそうです。そして、お互いがヨイショし合って、自分達の記事はいい記事だと勘違いし始めているんだとか。うまくはいえませんが、そういうことになるのかなと。

クリエイターさんの中には、『厳しい現実よりも心地の良い嘘に生きていきたい』と願う方もいるかと思いますが(大抵の宗教がそういった役割を果たしています)、「しちゃおじ」のnoteでは「副業を含めたビジネス全般の成果を上げたい方」に向けて情報発信をしていますので、“こういったある種の異様なコミュニティ” に注意喚起をしているのです。

むむむ。ズバッと言われていますね。

(一言)そんな勧誘をする前に、読む価値のある記事を投稿するのが先ですよ! いや、ホントに。

うんうん。

 ついでに、私自身、おそらく宗教がバックについていると思われるあるコミュニティにリアルで所属したことがあるのですが(最初は全くわかりませんでした)、その中でもカリスマとされる人がいました。この時点で怪しいと思いましたね。

 そのカリスマとされる人を信じる気持ちがいかに強いかで、同じ会の人たちの中で競い合い、認め合い、ほめ合っているようにも見えましたね。そこで、自分達がどれだけ信じる気持ちが強いかを、そのカリスマさんや周囲の宗徒に一生懸命認められたがっている。そのように見えました。これは歪んだ承認欲求や、社会的欲求ですね。他者から自分のしていること自体の価値を認められるのではなくそのカリスマをどれだけ信望しているか、それが自分の価値になってしまっているのですから・・・。こりゃ、カモられますね。

 国や会社なんていうのも、自分達の行動の価値ではなく、いかに国を愛しているかとか、会社を愛しているか上司を尊敬しているか、ということばかりに目が行ってしまう人がいますけれども、それよりはちゃんとした生き方しろよって思うし、それよりはちゃんとした仕事しろよって思うことはありますよね。ちゃんとした行動や仕事の完成のためなら、そんなのあんま関係なくない?って思ったりもします。チームワークって言葉は便利ですけど、ちゃんとした行動や仕事の完成に向けたチームワークを作るのであって、決してお互いがお互いを褒め合ったり貶し合ったり、なんていう関係じゃ、意味がないですよね。

 記事の質が大切だと思うなら、記事の質をよくするための協力体制を整えるが一番いいと思うんです。でもなんだかな、それが金になるんだよ~!って言って、そこで商売が始まっているwそれ教えちゃうと敵に塩送るだけなんだよな~ってなるw

 私がリアルで所属していたそのコミュニティは、表向きはそういうこととは、全く関係のないコミュニティでしたから、本来の目的自体も完全に忘れ去っている印象でした。私は、目的がずれているな~と思って、いそいそと退会していきました。


 しちゃおじさんの記事では、宗教上の教義に反することを行うと、いわゆる『忌避』行為のようなことが行われる。フォロー外し、おススメ外しとか。ブロックとか?アンチ記事作成とか?そういうことが行われ始めることに対する、そういうことに対するちょっとした恐怖があると書かれていましたね。

 その通りですね。私はこの点については、友人関係=家族=会社=宗教団体=国=組織と言ってもよく、この手のことはどこでも起きえると思います。だって、宗教って人がいるところなら、どこにでもありますからね。

 

宗教についての補足

 ここの話は最後にまとめを置いておきます。

 これは補足なんですけど、日本にはあまりにも胡散臭い宗教がはびこっているため、この胡散臭い宗教こそが『宗教』なんだ、という考えになっています。その偏見というか、間違った意味が完全に宗教という2文字に混ざりこんで引きはがせない状態になっています。特に日本の方達は、宗教は悪であり、詐欺である、その可能性が超高い。と言う印象をお持ちだと思うんです。

 私は、旧来から残る宗教団体は全て詐欺だと思っています。元々ある仏教寺院なども含めて。

 宗教は、本来そういうものではありません。私個人の意見ですけれども、この世界で人として生きるべき道をしっかりと教える、というのが本来の目的だと思うのです。釈迦やキリストとか、孔子の儒教なんていうのも宗教になっているわけだし・・・。その祖となった人たちは、本来そういう思いを持っていました。

 宗教とは行動規範だ・・・とマックス・ウェーバーは言います。

 ですが、天国って何?地獄ってどこ?って、よくある空想の世界を交えて物事を語るのが宗教に特有のものですよね。

宗教(しゅうきょう)は、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在への信仰を主体とする思想体系、観念体系であり[1]、また、その体系にもとづく教義行事儀礼施設組織などをそなえた社会集団のことである

Wikipedia

ウィキペディアは、個人が編集できるものですから、正しいと即断することはできません。でも、宗教っていうのは、大体こんな感じでとらえられていますよね。 

 そして、ウィキペディアによれば、宗教の定義は人の数ほどあるとさえ言われています。うん。これはそんな気がします。

 私個人の意見で言わせてもらえば、天国とか地獄っていうのは、『この世界に存在している(精神世界の)事象のメタファー』なのだと考えます。

 例えば、頑張って頑張って努力して努力して、善行を積めば天国に行けるよ!とかってのが典型的な話なんですけど、学業を頑張っていい大学行けばいい就職先に行けるよ!っていうのと同じ流れだと思いませんか?

 これは、イスラム教でいう、イスラム法に従い、神アッラーの教えに従って生きれば、死後は7人の妙齢の処女に囲まれ、はちみつとミルクの流れる川のうんたらかんたらに行ける、と言っている流れと同じなんですよね。

 仏教でいう、極楽浄土とかね。

 この場合は、その就職先が天国を表しているんです。(で、実際は肩の力が落ちるようなことを言いますが、天国は(私たちが常識で使っている)地獄だった、ということもありえます。)

 実は、天国というのは、『そこへ行きたいと思わせるための心理的な誘因力を持った場所』であり、地獄というのは『そんなところへは行きたくないと思わせるための心理的な忌避力(反動力?)を持った場所』にしかすぎません。

 大切なことは、天国とか地獄がどういうところか、ではありません。天国に行くことは目的であるかもしれませんが、その過程で努力をしたことは、しっかりとその人の身に刻み込まれています。そして、地獄にはいきたくない!という思いも、同時にその人の行動を狩り立てる誘因力を持ちます。(どちらかというと、誘因というよりは、反動力?)

 例え辿り着いた場所が、思っていたほどのものではなかったとしても、宗教というのは、そこに至るまでの過程に対して、弱い人間たちに対し、心のエネルギーを与えてくれる教えだし、地獄というのは、天国へのあこがれを持たせてくれる場所なのです。
 
 この世界こそが地獄と言えば地獄です。ですが、人はそれでも、自分達の心の中に天国を思いえがき、そこにたどり着けることを夢見て進む。そういうものです。

 この天国とか、地獄っていうのが、そのまま、権威を持った宗教団体に決定されて、それをそのまま信じちゃっている人たちが多いことは事実だと思います。

 狂信者なんていうのは、命を賭してその教えに従おうとするし、財産を投げうつ人もいるくらいなわけですね。大抵こういう人たちの中には、誰かが勝手に決めてくれた天国や、地獄というもの自体を信じており、その天国にたどり着くことをマジで信じているからです。

 似非(えせ)教祖というのは、天国を自分の好き勝手に想像し、それを無知な人に吹き込みます。そして、天国に行けるかどうか、地獄へ落ちるかどうかを知っているのは私だ!みたいなドヤ顔人間になります。そうして、天国に行くか、地獄に行くかの決定権を握り、人の心理をコントロールしてくるのです。

 残念ながら、宗教というのは、死後の世界がうんたらとかは全く関係がないです。あくまでも、この世界に生まれ落ちた人間たちが、どう生きていくのか、ということを考えるにあたって、天国やら地獄やらをたとえ話として、私たちの精神世界を表現しているものなんじゃないかなって思うんです。

 日本にも、国が決定している宗教があります。(もちろん、公言はしていません。)日本は無宗教の国とされていますが、やっぱり宗教があります。それは、学歴をしっかりつみ、いい大学を出て、良い就職先を探し、労働をして、お金を貯めて、結婚して子供を産んで、一財産築いたら幸せになれるよ!という感じの、典型的な宗教です。そして、国の制度もそうなるように整えられています。それに従えなかったら、落ちこぼれ扱いです。

 ところが、その人にとっての天国とは何なのか、それは人によって全然違うのです。

 実際、こういう人もいるわけです。

私もこの本を読みましたが、うん。こりゃ、国の宗教よりもずっと幸せだな~って思います。結婚しても不幸になる人は不幸になりますし、会社に入って自殺する人もいますからね。子供を産んでもやばい子に育つこともあります。

 国は一時期、地上の楽園とか言って、北朝鮮に日本人を送り込んだことさえあるので、驚きですね。

 けど、さりげなく国が天国と地獄を決めているので、多くの人はその流れを疑いなく進んでいっている。そう思いますね。

 とまあ、こんな具合です。天国も地獄も、この世界にあるんです。そして、天国をどこだと感じ、そこにたどり着きたいと思うかは、私たち次第で決まるはずなのです。でも、私たちを自分達の都合よく動かしたいと思っている人たちがいて、天国と地獄を自分達で好きに設定してくるわけですよ。

 ノートでよく目にする天国の在り方は、自動的に収入が入ってくる仕組みを整えること・・・ではないでしょうか。

 で、皆さんがそこを天国であると考えた場合、そこを目指して努力するわけですけれども、その天国への辿り着き方には、正道と、外道があるわけです。正道は、地道な努力を行い続けて、しっかりと足を踏みしめていく。外道は、楽な方法を駆使して、裏取引などを駆使して到達する。はったり記事を書いて集客を図るとか。

 どちらでも、到達することができてしまうときは、できてしまうのです。だけど、外道はダメだよっていうのが宗教なので、つまりは正しい道を進めってことになるわけです。外道の場合は、そこにたどり着いてるんだな~って周りから思われてはいるかもしれませんが、それまでに行った行為がスカスカなので、その人の実力にはまったくなっていません。それは、天国の簒奪者みたいなものですね。(ただね、経済ってどうしても詐欺的な所はあるんで、詐欺働いたもん勝ちってところはどっかあると思うんですよね。でも、これはもちろん宗教的とは言えません。)

 宗教っていうのは、その人間自体を鍛えてくれるはずなんですよ。こういう大切なものだから、今の世の中にも根強く残っているわけです。

 宗教がビジネスになってしまうのは、私たちがどこを天国として設定するのか、天国へはどうやって行けばいいのか、がわからないからです。

 ノートで、こうすれば売れる!という記事が流行り、人がなぜかそれに手を伸ばしてしまうのも、天国への行き方が書かれていると感じるからだと思います。

 国が受験勉強、いい大学、良い就職先、そして結婚という流れで人生を整えている(ように見える)のも、それが国の設定した天国への行き方だからです。その場所へたどり着きたいと思う人は、国には歯向かわず、長いものに巻かれ、忖度を駆使して、その階段を駆け上って行くわけです。で、結果として、本質を見抜くような優秀な人間の方が却って落ちこぼれになったり、左遷されたり(菅原道真とか)、逆にひどい目にあったりすることもあるわけで、これは宗教でいえば、『忌避』なんですよね。天国への道を邪魔するものと見なされれば、破門されるわけですね。

 だって、嘘を見抜いてくるだもん。邪魔ですよね。

 で、やっかいなのが、国が整えた目標。例えば受験勉強っていうのは、実はどれだけ頑張っても、その先にあるのは、その人本人の設定した天国ではないんですよ。だから、その嘘を信じて、そこにたどり着けば天国だ!と思って一生懸命の人っているんですけど、その先に待っているのって、『燃え尽き症候群』だったりするんですよね。これも国の嘘なんです。で、これが胡散臭い宗教と一緒なのって、どうしてかというと、受験勉強っていうのをネタにして、その間に莫大な教育費をかけてくれるからです。
 
 私たちは、宗教に入信してません!宗教なんてうさんくさいし!とか、あんなのに入信するなんてあほだよね!とか思っている人・・・。あなたも、受験勉強をちょっとは頑張ったり、何気なく将来が不安だから塾に通ったりしたこともあるんじゃないですか?ちゃっかりうさんくさい宗教コースを進んでいた証拠です。

 とはいえ、天国とか、目的っていうのは、その人の心の中に出来上がるものであり、結局は嘘なんです。目的って叶えるまではまだ実現していないでしょ?だから、嘘なんです。そういう、実体のないものを目指して、人は行動できてしまうのです。だからだと思うんですが、ウェーバーは、行動規範だといったんでしょう・・・。ウェーバーの名著を私は読んだことがないので、推測でしかありませんけど。

 日々の目標が自分にエネルギーを与えてくれます。その目標は、その人にとっての天国です。

 いわゆるノートの宗教というものがあるとすれば、自分の記事の価値を高めていくようにしていくことが本来の道、と説くしちゃおじさんのおっしゃっていることが、宗教としては正しい在り方なのです。で、その結果としてうまくいかなかったりすること、期待した結果がえられないということは当然あります。

 天国云々をやたらめったら好き勝手に語る宗教はうさんくさいです。何が天国で、何が地獄かは本人が決めればいいんですよ。

 宗教は、本来こちら側の意味なのです。仏教も、釈迦がこの世界で生きている人たちのために考え出した考えなわけですから。宗教っていうのは、今を生きる私たちのための考えなんです。

 ノート教というものがあるとすれば、記事の価値をブラッシュアップしていく。それが一つの正統な宗教の教義なわけです。ノートで書く自分の記事の価値を高めるように修行(勉強とか研究とか更新とか・・・)をするって感じ。 

 日本では胡散臭い宗教が流行りまくっているがため、宗教を正しい意味で使おうとしても、要らぬ誤解を受ける可能性が非常に高くなっています。また、昔から日本にある神社仏閣も、経済的な日和を見せてしまっているため、宗教的な価値はかなり薄れているように思います。

 胡散臭い宗教は、天国やら地獄やらが、よくわかっていない人たちが多いのをいいことに、それを自分達で都合よくカスタマイズしてくるわけですね。天国の存在や地獄の存在は、目に見えませんから、いくらでも嘘を盛り込めます。また、天国や地獄っていう言葉は、幼い時に早いうちから耳に入ってきて、子供にもなんとなく理解しやすいですから、刷り込みも容易です。
 仏教の場合は、天国を極楽浄土と言い換えてるだけで、結局似たようなものだと思います。

 今となっては、宗教の意味が完全に逆転したうえで、人々の頭にそれが正しいと思われた状態で入っているみたいです。天国や地獄っていう文句だけが、実際何を意味しているのか?という土台から離れて、独り歩きして、私たちに届いてしまっているのです。

 宗教の正しさを悪用している人たちが宗教を名乗っているから、そうした団体が問題を起こした時、宗教団体があ~だこ~だといったことがメディアで話題になり、それを聞いた人たちは皆、宗教自体がとても悪いものだという考えになってしまっているのです。
 
 私もこの記事では、あえて間違った意味で宗教という言葉を使いました。今となっては、そうじゃないと話がしにくくてしょうがないからです。

 宗教とは正しい道をしっかりと踏みしめて生きていくこと、そのための教えです。そして、その正しい道を歩むためには、目標が欠かせません。それが個人の精神的なエネルギーになるからです。そのエネルギーを使用して、その場所に到達しようとします。その場所が天国です。天国に良いも悪いもないので、良くない目標を満たそうとする人間も、そりゃいるっちゃいます。だけど、それも目標だし、天国であることには変わりありません。

 悪い目標を持ってそれを叶え、そのせいで痛い目にあったら、それは天国ではなかったのだ…と言いたくなるかもしれません。ですが、天国か地獄かはそういうものとは全く関係ありません。いいもの、とか、わるいもの、でもないのです。

 例えば、一生懸命優勝を目指しているアスリートが、本当に頑張っているのに、途中で怪我をしてしまうことだってあるわけですからね。すると、天国には到達できなかったことになります。だからといって、アスリートが悪い目標を持っていたわけではありませんから。

 天国と地獄は、「いいもの」とか「わるいもの」ではなく、先ほども言ったように、宗教的に言えば、『そこに行きたいと思わせるような誘因性を持った場所』であり、『そこにはいきたくないと思わせるような反動性?忌避力を持った場所』を言い換えた言葉にしか過ぎないのです。

 でも、巷に広がっている胡散臭い宗教は、無知な人や純粋な人をターゲットにしたり、目を背けたいことから必死で目を背けようとしている人を食いものにしたりしているようで、結局はお金が目的なわけです。そうした人をケアしたり、本当に正しい道へ導いていってくれる。そういう人が少ないことが、非常に残念ですね。国ぐるみで騙してるし。

 目を背けたいことから必死で目を背けようとしている人は、目を背けたいこと・・・それがその人にとっての地獄なのであって、それ以外の都合のいい考え、がその人にとっての天国になってしまっている。自分に嘘をつけば、すぐに天国にたどり着けます。そして、その場所にずっとい続けて、自分はもう天国にいるんだ!という感覚になる。すると、天国に到達するために大切な、地道な努力がなくなってしまう・・・。それがしちゃおじさんの注意喚起の本質だと思うんですよね。

 天国には、たどり着けなくてもいいんですよ。そこにいたるための地道な努力が大切なのです。人として。

 話は一気に変わるようですが、共通しているものが恋です。恋自体もそうした胡散臭い宗教の一つ(と同じ仕組み)であり、いつまでも恋というものが現実には××なだけですよ、ということを認められない人が、ホストとか、恋愛依存系の、そうした道に嵌って行くきっかけなのだと私は考えたりしています。

 端から見て、恋というものを美しく考えている人は、人類の歴史を見ても多くいて、そのための詩や歌なんかもたくさん作られ、小説やら物語にもなっています。皆、恋はとてつもなくいいものだと考えている人がなぜか99%を占めているのですが、恋自体がそんなにいいものかというと、言うほどいいものだとは思いません。だけど、あれほどまでに『人を誘引させる天国となる場所』になれるものは、なかなかないかもしれませんね。

 なぜ、『女は男を誘惑する』、と宗教で語られ、女を忌避する考えが出てきて、宗教では女性が差別されるのかというと、ここに原因があるのです。

 男は自分自身で設定した天国へ向かって、地道な努力を積み重ねている。しかし、そういう男は、しばしば女にとって魅力的に映ります。すると、女はその男の気を引きたくなる。そして、その男が自分を求めてくれるように誘惑するのです。もしその男が、自分の設定した天国への道よりも、その女の魅力に心を動かされ、そちらを求めて生きていく、ということになれば、それは、宗教的に見ても、しっかりとした道ではないどころか、別の道を進んでしまったことになるからです。つまり、本来の道から外れた、浮ついた心を持ったということですね。

 だから、女性は宗教的に悪いものだと言われているのです。アダムを誘惑したイヴです。この物語は、実際にアダムさんとイヴさんがそういうことしちゃったんですよ!知ってましたか!?とかいう話ではもちろんありません。今の世界にも通用する共通現象なんです。だから、宗教の教えとして重要なポジションを占めているわけです。

 男の中には、こんなきれいな嫁さんもらったぜいえ~い。ってご満悦な人も多くいるんですが、宗教的に見れば、残念な人たちなんですね。

 知恵の実は、リンゴだと言われています。このリンゴを半分に割って、断面を見ると、その模様は女性器の形をしています。つまり、知恵の実を食べた、というのは、女性器を開かせた、ということのメタファーだと考えています。

 でも、今では、女性は悪いものだというわかりやすい部分だけが独り歩きして、それだけが信じられているようにも思いますね。宗教をしっかりと理解すれば、こういう事情があるのだということがわかります。女にうつつを抜かす・・・ということですね。これが宗教上よくない!とされてきたことの原因です。また、宗教は男性主体で考えられていることが普通です。これにも、理由があります。ここでは言いませんけど。

 で、男も、例え女に誘惑されるとは言えど、女の居場所が天国だと思って、その女のところに到達するために地道な努力をすることが、宗教的な流れとしては正しい在り方です。そして、その女が手に入る保障は全くありません。女も自分のことを気に入ってくれるとは限りません。(誘惑される奴は勝手に誘惑されるからです。)でも、そういう男は人として素晴らしいと私は思います。

 ですが、たいていの男は、さっさと天国にたどり着きたいという気持ちの方が強い人が非常に多いわけで、半ば強姦気味の行為を取ったり、自分の価値を女性に見誤らせて、詐欺的に体を許させたり、集団的に取引を行って、そこに到達したり、モテそうなやつをボコったり、陰湿ないじめをしたり、というのも珍しいことではありません。

  とはいえこれを語ると脱線するし話が膨らむので、これはまた別の話。

 本来の宗教が、どのように捏造され、間違った宗教としてまことしやかな化け物じみたものになって行くのか・・・。ここは研究する価値があります。

 もう一度いいますが、天国には、たどり着けなくてもいいんですよ。そこにいたるための地道な努力が大切なのです。人として。

 結果が全てだ!とか言うと、ジョジョのディオと同じですよw著者の荒木さんは過程が大切、という考えの持ち主なので、私と同じですね。私の好きなキャラクター、スピードワゴンも、生涯独身で、かっこいいですよね。彼が生涯独身っていうのは、大変うなづける設定です。

しちゃおじ教徒なんですか?

 こういう記事を書くと、私がしちゃおじさんの教徒なのかと感じられてしまいそうですが、そうではありません。仮にしちゃおじさん教というのがあり、私がそれに入信しているとすれば、『しちゃおじさんのおっしゃること=私にとっての真実』になるからです。

 私はしちゃおじさんの考えが事実に即しているものだと感じるからこそその記事の内容を信じているわけであり、どちらかというと『事実教』と言っていいと思います。だから、しちゃおじさんのおっしゃることでも、これはおかしいなと思えば信じません。

 また、私には私が設定した天国があります。ノートの中では、私は最初どうすればいいのかわかりませんでしたが、これも結局、あまり考える必要はないのです。

 でも、確かに、ノートにフォーカスすれば、私は迷えるノーターです。私よりも先輩のノーターはたくさんいらっしゃいますから、私はノートの中でどのように振る舞えばいいのか、最初は迷ってしまいます。そこでは、私はどこに天国を設定すればいいのか、どうすれば地獄行なのか、見えなくなってしまいます。

 多くの人は、スキ数獲得とか、フォロワー増量とか、そうした方法を、天国への道筋に設定します。しかし、自分はクリエイターなのですから、自分が書きたい記事を目指し、そこを天国に設定し、そこを目指して研鑽を続ける。それさえしておけばいいのです。フォロワーやスキ数に一喜一憂したくなる気持ちもわかりますが、正直余計なストレスになると思いますし、こういうことはしちゃおじさんの記事にも書いてあったと思います。

 となれば、結局自分を信じているだけの人間なんじゃないの?っていうことに落ち着くと思うんですが、確かにそうだと思います。事実を事実として認定するのは、結局私であり、私が私のことを信じているからこそ、それができるのですから。で、そうではないことを私が事実だと思い信じてしまえば、それは周りの人たちから見て、やっぱりあなたも他の人と同じ、嘘を信じている、事実を認められない何らかの教徒ですね、って言われても、まぁ、それは仕方ないかなぁって思いますね。

 逆に自分が信じられなくなれば、今頃私も胡散臭い宗教にどーんと入信しちゃっているのではないかなと。だからこそ、事実を認められないような、自信のないような、傷ついたような、それゆえに不安で、安心感などを求めている人間が、どこに行けばいいのかわからなくなってしまった人が、胡散臭い宗教団体にとって恰好のカモになるわけですね。

 自信を持つ、ということ自体にも自信がいりますね。結局は自分次第ですね。自信を持つというと、どこか傲慢だ、みたいな感覚を抱く人もいるのではないでしょうか。

 自信がないと、事実外の道に足を踏み外しちゃうことがあるし、信じるべきではないものを信じてしまう、という結果になる・・・。自信にも、良い自信と悪い自信がありますよね。

 自信と傲慢、信念と妄信、紙一重な世の中ですね。
 
 ちゃんとした宗教は、その区別、分別を付ける学問であり、それを教えるものだと思いますし、だからこそ、哲学や道徳、倫理や思想とも被るわけですね。

 個人的に、しちゃおじさんの記事は良記事だと認定しています~。

 ご紹介した記事の中でリンクが張ってある別の記事、まだ読んでいませんが、また読んでみます。

 

宗教について まとめ

 宗教は誤解されて用いられている。

 天国と地獄は、本当にあるかどうか、とか、どういうところか、ということは正直語る意味がない。天国は『自分を誘引させるだけの力を持った場所』であり、地獄は『自分が行きたくないと思わせる力を持った場所』を指した言葉にしか過ぎない。

 天国は私たちが自由に人生の中で設定してよい。そこにたどり着くためのエネルギーが、天国から送り込まれてくる。私たちはそのエネルギーを使って、自分達の人生の指針とし、行動を積んでいく。

 クリエイターである自分を軸として、そこからぶれないことを考えれば、自分の作品(記事)に磨きをかけ、最高の作品を作ることを天国に設定するのがよい。天国の在り方が、私たちの活動を決定するわけ。

 地獄は、いわば追い風である。そこにはいきたくないという気持ちが、自分の推進力となる。

 どこに天国を設定するかによって、その人の生き方は変わる。ノートで、毎日連続投稿や、フォロワー数、スキ数の増加、に天国を設定すれば、そうなるように行為してしまう。だから、宗教は行為規範である。逆に、そうなってしまうことが地獄になっている人もいるだろう。こちらのほうがクリエイター魂の人っぽい。

 宗教を悪用してくる存在がいる。自分たちで勝手に天国と地獄を決めつけてくるのだ。

 そして、その天国を私たちに追いかけさせる。天国にたどり着けなければ、地獄行きだといって、私たちの意思をコントロールしてくる。実はそれが常識的な(間違って捉えられている)宗教の真の狙いである。自分達をコントロールし、迷う人たちを余計迷わせてくるのだ。

 何が本当のことで、何が嘘なのか。どの道を行くべきでどの道を行かぬべきなのかを語る人が多い。素人からすれば、誰を信じればいいのかわからなくなることも多い。彼らからすれば、しちゃおじさんも、それ以外の人も信じるべきか信じるべきではないか、迷ってしまうかもしれない。


 実は、国も宗教をふんだんに利用している組織である。国は私たちに天国を見せてくる。例えば、北朝鮮は地上の楽園だと言う歌い文句を言ったこともある。受験で勝てば就職は有利!(多分、受験産業から献金でも受けてるんだろう)。にしていく。国がすごいところは、お金の力や政治力で擬似的な天国と地獄を作れることだ。そして、それを本当のことにするべく、制度を整えてくるから、強制力を持つ分、非常にやっかいだ。従わなければ、事実上生きていけない人も多いだろう。自衛隊に来てほしいから、自衛隊員の給料をよくする。待遇をよくする。天国化しようとする。逆に、貧しい人が増えてくれると、自分達の都合のいい場所を天国に設定してくれるから、都合がいい。国は、人が生きていくのに必要な金だけは豊富に持っているからだ。

 人の中には、マジで信じて天国目指したら、思ったところと全然違った上、別のことしといたほうがよかった・・・と感じた人もいるんじゃないだろうか。

 胡散臭い宗教と、国の流れが同じことはこれを見ればわかる。

 胡散臭い宗教 ⇒ 人々の幸せのため、人々が正しい道を歩むために、我々の教えを広めるべく、あなたの力が必要です。⇒お金がやっぱり必要になってきます。⇒お金を支払う。⇒個人が貧乏へ。

 国 ⇒ 国をよくして、国民を豊かにするためには、あなたたちの力が必要です。⇒それにはお金(税金が必要になってきます。)⇒お金を払う。⇒個人が貧乏へ。

 多くの人は、自分が人生で設定した天国ではなく、国が設定した天国を心に設定し、受験勉強などに励む。また、会社の都合のいい人材に育つように天国を設定してきたりもする。しかし、それは自分の目標ではなく、別の人が設定した天国にしか過ぎない。だから、多くの人間は、燃え尽き症候群になることがあるし、そこにたどり着いたら辿り着いたで、思ったところと違う場所にたどり着いてしまったがために、途端にやる気をなくしてしまうこともある。

 すると結局、その場所の居心地の良さや、今まで使った時間や労力への惜しさ、また、迷っているからこそその場所にきたのだから、そこから外れればやっぱり迷うだけの自分に戻るだけなので、そこから外れることも怖くなる。そういうことだけが、その場所にいる理由となり、人間は、人間としての価値を失ってしまう。そしてどんどん守りにはいっていくようになり、歩を止めてしまい、人としては死を迎える。そこにしがみつくだけの人になって行く。定期的に収入が入ることが辛うじてそこにいる意味になる。その空気が国全体に蔓延する。国の腐敗化が進行する。というお決まりのパターンだ。

 国は、将来の不安にかられ、どうやって生きていけばいいんかわからない、といった人たちを利用した、一種の宗教ビジネスを展開しているのだ。

 戦争の時も同じで、従わない人間は非国民であるとされた。みんな、非国民と呼ばれるのは地獄だと感じ、そう呼ばれなくても済む方を天国に設定した。

 教育が国にとって都合のいい教えを行ってくることを考えれば、国の教え自体がもはや宗教である。

 胡散臭い宗教の見分け方を言わせてもらうと、大変おおざっぱだが、天国と地獄を勝手に設定してくる人たちだ。これは実は、親もよくやってしまうことなのである。親もそう信じちゃってるもんね。だから、親の言うとおりに生きなければいけないと考えている子も多い。親が設定した天国が、その子の天国なのである。

 自分で天国を設定し、自分でその場所に到達するために地道な努力を積み重ねる。これが人間の本来あるべき姿であり、正しい行動だと私は思っているし、それを教えてくれることが、本来の宗教なのだ。

クリエイターだ!と思った直近の人

 直近で見つけた、こりゃクリエイターさんだ!と思う方を紹介します。
私の独断で選んだ紹介です。


AONOさん

アカウント自体がとってもいい雰囲気で、もっと広まれば様々な人たちから愛されそうです。小説も面白く、私は透き通った幻想的な印象を持っています。最近、新しい続編が始まりました。楽しみです。

skurabasayakaさん

スキを頂いたことがきっかけで、この方のYouTubeを最近見るようになりました。いいねも押していますが、チャンネル登録はまだ・w・ 。。。2次元から3次元へブラッシュアップし、記事の価値を高め、面白い話を可愛らしいキャラクターと共に展開しています。アカウント自体がとても可愛らしく、お気に入りになっています。

 最初の人物紹介が気に入っています。

 チップが人気なんだろうけど、自分は今は、バブ夫かな。
元気を貰えるアニメですよ!

下町ホテルさん

 大人気ですね。私も楽しんで読んでいます。極貧生活を送っている・・・。すごいクリエイター魂。極貧なんですが、すごい羨ましい。

 これら3名の方は、ネッ友にも紹介しちゃいました。 

 


 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

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