プラトニックオナニー
「本を読む人って賢いよね」
趣味のひとつとして「読書」というと、特に相手が本を読まない人の場合は大体この返しがくるのです。
私自身が本を読む人として断言しますが、残念ながら本を読んで賢くなることは無いです。「知識が~」「語彙力が~」なんてことを言う人もいますが、そんなもんこれだけ情報が溢れている世の中で、本からしか得られない情報なんてものは無いんです。本を読まない人からすると、どうしても「教科書」のイメージがあるんでしょうね。二宮金次郎のあれも相まって、「本を読んでいる=学んでいる」という思考ルートが出来上がっている気がします。
読まない人がそれを言うのははいいんです。本を読んだら賢くなるわけではないことを知らないですから、いろいろ言うのもわかります。問題なのは、「本を読んで賢くなった気でいる、本を読む人」なんです。こういう客観性の無いバカは、客観性が無いだけあって自分が大好き。結果的に自己主張だけは立派で義務は果たさないようなバカになりがちです。
同じような人種で「海外にいったら人生観変わった気でいる人」がいます。たかが旅行で人生観なんか変わんないし、万がイチ変わったとしたらお前のいままでの人生なんだったのか疑うレベルなんです。本も旅行も、娯楽なんですよ。そこでなにか高尚なことを学ぶなんて考えること自体がおこがましいわけで。ブッタだって悟りを開くのに一生かかってんだからね、無理なの。そう簡単に凡人は賢人になれんのですよ。
「お前の一生、ヤザワの一分」
永ちゃんこと、矢沢永吉の名言です。これの何が凄いって、凡人たちの一生なんてヤザワの一分にも満たないというその過激な発言の中身もさることながら、これを“本気で”いい切る永ちゃんの自己愛の深さと、それを言われた凡人も「たしかにそうだ」と思ってしまう説得力なんですよね。永ちゃん直撃世代ではない私はファンでもアンチでもなく、昔よく見かけたデコトラなんかには「E.Yazawa」のロゴが踊っていましたが最近はそれも見かけなくなり、なんかクネクネと踊りながら歌う元気なおっさんぐらいにしか印象はないのですが、それでも確かに私なんかの一生はヤザワの一分程度なんだろうな、と思わせる、それでいて嫌な気分にならない何かがヤザワにはあるわけです。
自己愛。自己愛なんでしょうな。あそこまで自分を愛して、それを隠すことなく世間に晒せるその根性。いうなれば、「自分好きに隙がない」状態。電車でおっぱじめるんじゃないかという勢いでいちゃいちゃしているカップルに何も言えないように、公衆の面前で自分といちゃいちゃするヤザワに対して、我々は圧倒されてなにも言えんのですよ。それぐらいの、ヤザワぐらいの圧倒的な自己愛を持てば、「職業:歌手」ではなく、「職業:ヤザワ」ぐらいまでなれれば、例えば、
「おれ最近本読んでんのよ。知ってる?“人間失格”ってやつ。そう、太宰。“恥の多い生涯を送ってきました”なんて読んだらヤザワの頭の中でメロディが浮かんでさ。すぐギター取ってね、こう、弾いたんだよね。ひゅるりら~ってさ、いいよね。太宰。知ってるんだ?やるね」
なんて、70歳過ぎのジジイに今さら太宰治を読んだことを言われたとしても、「すげえ!ヤザワすげえ!」ってなるんです。
中途半端な自己愛しかないアホの承認欲求を満たすために「さいきん太宰治読んだんですよぉ」というような、聞いてもいない頭蓋が割れるぐらいつまらない自分語りを聞かされる苦痛。本や海外に頼らず、まずは自分をしっかり愛せ。自分オカズでオナニーしてみろ。そこからだ。
