高い理想を持った国
「たとえ何がしかの外貨の黒字が稼げるといたしましても、わが国は兵器の輸出をして金を稼ぐほど落ちぶれてはいない。もう少し高い理想を持った国として今後も続けていくべきだ」
1976年、衆院外務委員会。宮沢喜一外相の答弁だ。
その50年後。同じ国会の場で、高市早苗首相は問われた。この言葉をどう受け止めるか。答えは簡潔だった。
「落ちぶれたことだとは思わない」 「もう時代が変わった」
その一ヶ月後、政府は武器輸出を事実上全面解禁した。国会審議はなく、閣議決定だけだった。
「時代が変わった」という言葉を、少し丁寧に考えてみたい。
この言葉は一見、現実主義に見える。理想論より現実を直視せよ、という態度は、成熟した判断のように響く。しかし考えてみれば、これは常に価値を環境に従属させる論理だ。環境が変わるたびに価値が変わるなら、そもそも価値など存在しない。適応があるだけだ。
宮沢が答弁した1976年、世界は冷戦の真っ只中だった。ソ連は健在で、朝鮮半島は緊張し、中東は戦火にあった。国際環境が穏やかだったから平和主義を掲げられた、というのは事実に反する。困難な環境の中で、それでも「否」と言った。損得勘定を前提にした上で、それでも損得の外に立った。それが価値の表明だった。
「時代が変わった」は説明だ。
しかし国家に求められるのは説明ではなく、表明だ。
国家のブランドとは何か。
企業のブランドは製品の品質や価格ではない。「この会社は何者か」という問いへの答えだ。逆境のときに何を守るか。利益より優先するものは何か。その一貫性がブランドだ。そしてブランドの本質は独自性と唯一性にある。他と替えが利かないこと。それがブランドの価値の源泉だ。
国家のブランドも同じ構造を持つ。
そしてブランドは、順風のときではなく逆風のときにこそ問われる。困難な現実の中で、それでも価値を貫けるか。そこがブランドの真価だ。現実が厳しくなったから価値を降ろす国家は、ブランドを持っていない。適応能力を持っているだけだ。
日本のブランド。
唯一の被爆国という歴史的事実。戦争を手放した数少ない国という選択。平和憲法という制度的な表明。これらは日本にしか持ちえない固有の文脈だ。代替不可能な資産だ。
推進側は「時代への適応」と言う。しかし被爆国であることは変わらない。広島と長崎で何十万もの命が失われた事実は消えない。その歴史的文脈を持つ国が、兵器を売る国へと「適応」することを、本当に成長と呼んでいいのか。
それは脱皮ではない。固有の資産の放棄だ。
一度手放したら、取り戻せないものがある。
宮沢の答弁には哲学があった。
損得勘定を前提にした上で、それでも損得の外に立つ言葉があった。
「卑しくも疑わしい限界まで近づいていくことも消極的に考えるべきではないか」
この一文に、国家の品位がある。現実を知りながら、現実に飲み込まれることを拒んだ。それが政治家の知性と気概だった。
現在の言葉には哲学がない。「時代が変わった」「国際環境が厳しい」「同盟国と同等の能力が必要だ」これらはすべて説明だ。なぜそうするのかの説明であって、自分たちが何者であるかの表明ではない。
説明は現実に従う。表明は現実に抗う。
理念をもって現実と対峙する知性と気概が、現在の政治から失われている。これは政策の問題ではない。国家の哲学の問題だ。
唯一の被爆国であること。戦争を手放した国であること。平和憲法を持つ国であること。
これらは制約ではない。日本にしか持ちえない固有の立場だ。その立場から世界に向けて語る言葉を持つこと。現実が困難であるからこそ、その困難にどう抗うかを示すこと。それが高い理想を持った国の意味だ。
「時代が変わった」で思考を止めた瞬間、国家は哲学を失う。哲学を失った国家に、ブランドはない。
日本はまだ、高い理想を持った国であることができるのか。
それは、そうあろうとする意志があるかどうかだ。
