日本で哲学は可能だったか?
西田幾多郎の哲学は、日本という場において「純粋経験」を発見しようとした点に、その独自性がある。彼が目指したのは、西洋の主体と客体の二元論を超え、経験そのものが自己を含みながら世界を開示するという、関係の哲学であった。その試みは、明治以降の日本思想における最初の本格的な哲学的創造として評価できる。しかし同時に、その思索はヘーゲルやカントの影響を深く受けており、論理の骨格はあくまでヨーロッパ的である。つまり、東洋的な世界観を語るために、西洋の思考方法を借りてしまっているという逆説を孕んでいた。
この構造は、いわば「反転したオリエンタリズム」と呼ぶことができる。西田は東洋的な「無」や「関係性」を称揚しつつも、それを表現するために西洋哲学の言語と形式を用いざるをえなかった。結果として、彼の哲学は「東洋的なるものをヨーロッパ的枠組みで語る」というねじれを持つ。戦中にはこの「東洋的世界観」が国家主義的に転用され、「大東亜共栄圏」の思想的正当化にも利用された。戦後の批判がその政治的側面に集中したのは当然だが、より深い問題は、思想の構造自体が西洋的自己規定を内面化していた点にある。
日本における哲学の困難は、ここに象徴的に現れている。すなわち、日本語で哲学を語るとき、我々は無意識に「西洋人の眼差しで東洋を説明する」姿勢に陥ってしまう。自らの文化を対象化し、外部から定義しようとする植民地的な思考の反復である。その意味で、西田の哲学は「日本的哲学の出発点」であると同時に、「日本で哲学が根づかない理由」をも体現している。
それでもなお、西田の試みは無意味ではない。彼が見出した「場の論理」や「絶対無の場所」という発想は、主体と世界の関係を再考するための重要な視座を提供している。むしろ私たちが今なすべきことは、西田を単に戦中イデオロギーの思想家として断罪するのではなく、彼の内面化されたオリエンタリズムを自覚的に批判しつつ、「日本語で考えるとは何か」を問い直すことなのだ。そうして初めて、日本の哲学は西洋の模倣でも、東洋的幻想の再生産でもない、自立した思考として立ち上がることができるだろう。
