教養の定義
私は、大人の仕事には一つの基準があると思っている。
それは、スクラッチからシステムを組めるかどうかだ。
既に誰かが作った仕組みの上で改良を加えることはもちろん大切だ。しかし、それだけなら、多くの人が時間をかければできる。既存のコードを少し修正することと、何もないところから設計思想を立て、全体の構造を考え、動くシステムを完成させることは、まったく違う能力である。
プログラマーなら、スクラッチから設計した経験がなければ、結局はスパゲッティコードしか書けない。なぜなら、全体構造を考えた経験がないからだ。局所的な修正はいくらでもできても、全体を見通した設計はできない。
私は、このことはプログラミングだけではないと思っている。
教養も同じだ。
教養とは、本を何百冊読んだとか、難しい哲学者の名前を知っているとか、そういう知識の量ではない。本当の教養とは、自分で命題を立て、その命題を証明する手順を組み立てられる能力である。
「私はこう考える。」
そこから始まり、
「なぜそう言えるのか。」
という論証を最後まで組み立てられること。それが教養だと思う。
数式を使う必要はない。文学でもいい。歴史でもいい。法学でも経済学でも哲学でもいい。
たとえば、小説を書くことも同じである。
物語とは、世界をゼロから設計する営みだ。登場人物を生み、関係性を作り、伏線を張り、結末まで論理を破綻させずに導く。その難しさは、実際に書いてみればすぐに分かる。読むだけなら誰でもできる。しかし、自分で一つの物語を成立させるのは、立派な創造である。
だから私は、数理的であること自体が優れているとは思わない。
大切なのは、自分で体系を構築できるかどうかだ。
他人の理論を引用するだけではなく、自分で命題を定立し、それを最後まで論証できること。その能力は、コンピュータの設計にも、法律にも、文学にも共通している。
私は、それこそが「大人の仕事」であり、「大人の教養」だと思っている。そこに至って初めて、人は他人の知識を借りるだけの存在ではなく、自ら新しい知を生み出す側に立つのである。
