柄谷さん

柄谷行人に言及する理由を、少し説明しておこう。

それは、柄谷行人が現代日本の知的空間において、きわめて影響力の大きい批評家だからである。

もちろん、国民的な知名度を持つ作家ではない。しかし、哲学や文学に関心を持つ人間であれば、一度は名前を聞き、著作を読んだことがあるという程度には浸透している。読者層は決して狭くない。

特徴的なのは、その読者が文学部だけに限られないことだ。普通のサラリーマンにも読者がいるし、理系や経済学部出身者にも愛読者が少なくない。社会全体から見れば上位の教育を受けた層に、かなり広く浸透しているのである。

この点は、蓮實重彦とは性格が違う。

蓮實重彦は、映画や文学を深く愛好する人々に支持される批評家であり、読者は濃密だが比較的限定される。一方、柄谷行人は、専門分野を越えて「現代思想を読む人」の共通言語のような存在になっている。

私は柄谷行人を読むたびに、「また大きな話をしている」「関西人らしい大風呂敷だな」と思うことがある。国家、資本、交換、世界史――話はいつも壮大である。

しかし、それは決して悪口ではない。

柄谷自身も、ある程度は大風呂敷を広げることを承知の上で議論を組み立てているように見える。大胆な仮説を提示し、それによって読者の思考を動かすことが、彼の批評の方法だからである。

そして、その方法は成功してきた。

戦後日本には、しばしば「朝日的知的空間」と呼ばれるリベラルな論壇文化が存在した。その文化圏において、柄谷行人は長年にわたり理論的な指導者の一人であり続けた。賛成するにせよ反対するにせよ、彼を経由せずに現代思想を語ることは難しかったのである。

だから私は柄谷行人に言及する。

柄谷の議論を全面的に支持しているからではない。むしろ、「また柄谷さんが大きな話をしている」と苦笑しながら読むことも多い。

それでもなお、その大風呂敷が日本の知的世界に与えてきた影響の大きさだけは、認めざるを得ないのである。

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