クラシックとしてのエリオット・スミス
先日、喫茶店にいる時に流れてきたジャズの曲に聞き覚えがあり、あれ、これ何の曲だったっけ…と考えているうち、ふと気づいて驚いた。
これ、エリオット・スミスのBetween the barsじゃん…!
あまりにブルージーな雰囲気がはまっていて、有名なスタンダード・ナンバーかと思ったのだった。以下がその曲である。
歌っているのはアメリカのジャズシンガー、マデリン・ペルー。まるでビリー・ホリデイのような彼女の歌声を介し、スミスの歌に宿る、古いブルースやジャズスタンダードに通じるような、普遍的な哀しみや不気味さが浮かび上がってくる。
これはスミスの死の直後の2004年のアルバムからの一曲だが、カバーや影響の強さは以降も続く。むしろその存在感、アイコン性は、より強まっているのではないだろうか。
ビリー・アイリッシュが共感を示し、フランク・オーシャンが歌詞で引用をし、新世代のインディーシーンにフォロワーは続々と現れる。特にフィービー・ブリジャーズは、丸ごとスミスに捧げているような2020年発表のアルバム『Punisher』で高い評価を得た。
昨年にはジャズ・ピアニストのブラッド・メルドーによるスミスのカバーアルバムが発表された。メルドー自身が鬱の苦しみの中にある時、スミスの音楽が救いになったという。アルバムのうち2曲ではグリズリーベアのダニエル・ロッセンがボーカルをとるなど、インディーロック好きにはたまらないコラボレーションがなされている。本当に、物語に誘われるような深みのある歌声…。
(ちなみにアルバムでは、スミスと精神的なつながりのあるアーティストとしてBig starとニック・ドレイクのカバーも収録されている。早逝のギタリスト、孤独感の強さ、など類似点が強烈過ぎて覆い隠されてしまうが、よくよく考えるとスミスとドレイクの志向する音楽性には違いも多いと思う。スミスはビートルズやビーチボーイズを好み、ポップでメロディ重視だった。アカペラで歌うドレイクは想像ができない。どちらかというとスミスが共感を寄せるのはBig starのアレックス・チルトンの方なのだろう)
その他トリビュートアルバム、カバーアルバムもいくつもあるが、個人的にいいと思ったカバーはジュリアン・ベイカーのBalld of Big Nothing。自分の歌としてスミスの曲を歌っている感じが伝わってきてよい。
2003年と22年の2度行われたPitchforkの90年代のベストアルバムランキングでは、代表作である『Either/Or』が59位から23位に上昇。前回ランク外だったセカンド・アルバム『Elliot Smith』も50位に入るなど、明確にスミスの再評価のスタンスを打ち出した。2017年に出たデラックスエディションは10点満点だ。
世代を跨ぎ、多くの人の心に寄り添う音楽。ここまで来ると、最早エリオット・スミスはクラシックと呼べる存在となったのだと言ってもいいだろう。
奇跡の名盤『Either/Or』1997-98年のエリオット・スミス

というわけで『Either/Or』を久々に聴き返した。発表は1997年。メジャー移籍(ドリームワークス!)でLAに移る前の最後の作品であり、当時組んでいたバンドHeatmiserのラストアルバム『Mic city sons』(こちらも充実作)と並行して制作された。バンドでの共同作業かつラウドな音楽性よりも、自身の表現の追求やキャリアの方に軸足を置いていく、そんな彼にとって最大の転換期だった年の作品。
アルバムはほぼ宅録での多重録音(1人バンド)でつくられ、不安感と親密さが同時に漂うダブルトラッキングの震えるような歌声や、当時の拠点だったポートランドの街の通りの名が曲名(Alameda)に付されていることもあいまって、生き、暮らしていた(当たり前だが)当時の彼の存在がすぐそこに感じられるようだ。そんな日常的でありながらも奇跡のような時間や空気感がこのアルバムにはパッケージングされていて、何度聴いても胸をかきむしられる思いがする。
アルバムの楽曲のいくつかは同年の映画『グッド・ウィル・ハンティング』に提供され、大成功をおさめる。翌年のグラミー賞、あのタイタニックの時のセリーヌ・ディオンが歌ったのと同じ舞台で、オーケストラを従えて一人立ち、「Miss misery」を歌うスミスの姿は輝かしくも、どこかいたましい。もしいつか評伝映画を作られるなら、間違いなくここが一つのハイライトになることだろう。
同時に、これはオルタナの終わりを思わせる光景でもある。
このアルバムの後のスミスはLAに拠点を移し、ジョン・ブライオンなどの腕利きミュージシャンとの共同作業を通じて装飾的な方向へ向かう。プロの仕事と感じられるそれらの諸作も素晴らしいが、だからこそこの『Either/Or』の、まだぎりぎり無名だった一人のミュージシャンとこちらとの間の距離の近さが、本当に奇跡的なものに感じられる。
収録されているどの曲も素晴らしいが、中でも「Angeles」のなんと美しいことか…。久々に聞いて、その変わりない繊細さに涙が出た。
今までもこれからも、世代や社会の変化を超えて、彼の音楽はいつまでも孤独者に寄り添い続けるのだろう。自分はそこまでスミスの熱心なリスナーだったわけではないけれど、ある日喫茶店で流れてきたBetween the barsに思いがけなく心を持っていかれたことで、そんなことを思わされたのだった。
