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黄金の波〜父の遠洋漁業時代の記録①

亡くなった父は昔、船乗りだった。
遠洋漁業で世界中を周り、マグロを獲っていたらしい。

子供が生まれてからは陸(おか)に上がってしまったが、船上で食べる獲れたての新鮮なマグロの美味さに魅せられてしまった父は、家でも毎日のようにマグロの刺身を食べていた。

「(食卓に)出されたものは全部食べろ」

それが子供たちに対する父の躾だった。我が家では、おかずは各々個別ではなく、種類ごとに1つの皿に盛られており、そこからみんなで食べるスタイル。正直、私はマグロの刺身をおかずにご飯を食べるというのがあまり好きではなかったが、父に怒られない程度にマグロが盛られた皿に箸を伸ばした。

マグロの他にもナマコ、イカの塩辛、ホヤ、タコなど、テーブルの上にはたいてい何かしらの海産物が並べられていた。結婚して関東に住んでいる今となっては、新鮮で美味しい海の幸を毎日食べていたあの時代は「まったく贅沢だったなあ」と、回転寿司を食べながら思い返すこともしばしばだ。

父から船乗り時代の話はよく聞いていた。

話はどれも面白かったし、中にはショッキングなものもあった。そして何度となく聞いているうちに、いつか父の、この貴重な体験を記録として残したいと思うようになっていたのだが、どうまとめていいのか見当もつかずにずっと放置していた。

そんな時、最近たまたま父の冒険譚を人に話す機会があり、過去の思いにふたたび火がついたというわけだ。

しかも今まさにAIの進化が目覚ましく、父が船乗りだった当時の時代背景なども照らし合わせながらの裏付け調査も、AIを駆使しながらなら何とかなりそうではないか。

「まさに時は来た!」のである。

私はその思いつきに興奮した。もちろんAI頼りなので間違っている情報もあると思うし、私自身の知識にも限りがあるので「おそらく……だろう」という形で補填しつつ、まずは、父の船乗り時代をざっと年表にするところから始めてみた。

<父の軌跡をたどる〜1935-1967:時代背景と行動予想年表>

1935年(昭和10年) 父誕生

父は10人兄弟の三男として生まれた。宮城県の、山に囲まれた隠れ里のような漁村、小竹浜(こだけはま)というところで育ち、家は網元だったという。

1950年(昭和25年) 父15歳
♦︎時代背景♦︎ 戦後の食糧難でマグロの需要が高まっていた。

中学卒業後はおそらく家で漁の手伝いをして修行をしていたと思われる。

1955年(昭和30年)父20歳
♦︎時代背景♦︎ 日本は高度経済成長へ突入。神奈川県三崎港が大型化し、マグロ遠洋漁業が爆発的に伸び始めた。

この時期、船乗りの経験を積み、20歳で体も仕上がっていた父は、稼げる遠洋漁業の船員募集に飛びついた可能性が高い。だとすれば、この後10年以上世界中を回っていたことになる。


1960年(昭和35年)父25歳
♦︎時代背景♦︎ 神奈川県の三崎港が「不夜城」と呼ばれた絶頂期。
荷揚げ作業場のライトやキャバレーなどのネオンの光が24時間消えることがなかったというくらい熱気にあふれていた。船員たちは一航海で家を買えるぐらい稼いでいる者もいて、死と隣り合わせで生きている彼らは命の洗濯とばかりに、不夜城で大豪遊していたらしい。

うちの父も例に漏れなかったんだろうな…。

1967年(昭和42年)父32歳
長女が生まれる。その後ほどなくして父は陸へ上がり、地元の町の鉄工所に勤め始めた。

ここまでがおおまかな年表だ。

当時の時代背景を調べて驚いた。戦後は食糧難でマグロの需要が増え、港が大型化。そして遠洋漁業黄金期へ。まさに父はその“黄金の波”に乗った一人だったんだなぁと感動を抑えられなかった。

次回は、父から聞いた思い出話から、さらに当時の日本や世界の様子や、どこの国の出来事だったのか、場所の予想までしていこうと思う。


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