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釣られた魚と、『にじいろのさかな』

お昼寝なしで、友達と一日中遊んだ2歳の娘。

家でも遊び、外でも遊び、全力で走り回っていた。

お風呂も歯磨きも終わり、
「これは今日は早く寝るぞ」と思って、18時に寝かしつけた。

予想通り、すぐ寝た。
10秒もかからなかった。

0歳はお昼寝をたっぷりしたから元気で21時にやっと寝た。


よし。

これで私のターン。

noteを見るぞ、と思った。

すると、寝室の扉が開いて、

「おはよう!朝になった?」

と、2歳が起きてきた。

いや、まだ夜です。

しかも3時間しか寝てない。

寝かそうとしたが、見事に敗北。

この子の体力はどうなってるんだ。

そう思いながら、娘が次々と話してくれる今日の出来事を聞く。

折り紙、シャボン玉、水風船、粘土、お絵描き、プリンセスごっこ……。

子どもの話は、脈絡があるようでない。

でも、「今日、楽しかった」が全身から溢れていて、聞いているとなんだか嬉しくなる。

話していると思い出したかのようにおもちゃを取りに行き、ひたすら遊ぶ。

また話す。

遊ぶ。

その繰り返し。

そのうち少し落ち着いてきたので、私はPCを開いた。

noteの世界のみなさまは本当に優しくてありがたいなと思いながら、
私の書いた重たい記事へのコメントを、
わりと真剣な顔で見ていたと思う。

すると突然、娘がおもちゃの釣り竿を、私の顔面へたらしてきた。

どうやら私は魚らしい。

口をパクパクさせながら、noteの返信を書いた。

そんな夜だった。


昨日、mimiさんの深く考えさせられる、とても素敵な記事を読んだ。

それで、どうしても私も『にじいろのさかな』の話をしたくなった。

私は小さい頃から、この絵本が大好きだった。

最初は、ただ見た目が好きだった。

キラキラしていて、色がきれいで。

でも、そのうち内容も好きになった。


『にじいろのさかな』の絵本がいつも手に届く場所にあったのは、
私が置いたのか、母が置いたのか、もうわからない。

ただ、私の母は、人へ分け与えることを良しとしていた。

自分を削ってでも誰かのために動くことを、美しいことだと考えていた。

そして、そんな私を褒めた。

誇らしそうにしていた。

だから私は、

「他人のために我慢することこそが幸せなんだ」

と思って育った。

無理をしてでも応える。
相手を優先する。
頼まれたら断らない。

そういうことを、良いことだと思っていた。


でも大きくなるにつれて気づいた。

世の中には、優しさに寄りかかる人もいる。

与えられることを当然だと思う人もいる。

そして、自分を削り続けると、いつか空っぽになる。


私は「与え“すぎる”こと」に幸せは感じないタイプだった。

けれど、与え続けないといけないと思っていた。


ある時、実家から持ってきた『にじいろのさかな』を娘に読んだ。

娘も、キラキラに目を輝かせていた。

その姿を見ながら、私は思った。

この子には、自己犠牲こそが幸せだとは思ってほしくない。

自分が「あげたくない」と思うものは、あげなくてもいい。

嫌なことは嫌と言っていい。

もしそれで友達が離れたとしても、今しばらくは私が一番の味方でいるから大丈夫。

そしていつか、広い世界へ出ていった時に、同じような感覚の人と出会えるかもしれない。

無理をしなくても、

誰かに全部を差し出さなくても、

そのままで愛される場所が、

きっと、ある。


もちろん、相手の気持ちを思いやることは大切だと思う。

分け合って幸せが増えることもあるだろう。

でも、自分の身を削ってまで与え続けることとは、きっと違う。

与えることに幸せを感じる人もいるし、

それで満たされる関係も、もちろんあると思う。

ただ私は、

もし娘が自然に

「誰かのためにしたい」

と思うなら、それはとても素敵なことだと思う一方で、

こちらから何度も

「与えることは素晴らしい」

と説き続けるのは、少し違うのかもしれないな、と感じている。


気づかないうちに、

「与えられない自分=悪いこと」

みたいに思ってしまうこともある気がして。

だからこそ、

自分の気持ちも大事にしながら、

人にも優しくできる感覚を育てていけたらいいなぁと思っている。


mimiさんの先生が教えてくださった『にじいろのさかな』の“続き”のように、

自分でいられなくなるまで、自分を差し出さなくていい。

もしかしたら、命を差し出してまで願う他人の幸せがあってもいいのかもしれない。

けれど私は、

娘にはただ元気に生きていてほしいと思う。

それが、親心なのかもしれない。


その境界線を、私は娘にどう伝えていくんだろう。

何歳の時に。

どんな言葉で。

どうやって。

そんなことを考えながら、今日も絵本を読んでいる。

自分で考えることなのかもしれない。

けれど、母が言ったことは子どもの胸に深く残るからこそ、気をつけたい。


そして私は今も、釣られた魚みたいに口をパクパクさせながら、育児と、自分の価値観を整理している。

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