義母の「当たり前」と、私の「限界」。|正解のない家族の距離感②
義母は、とても素敵な人だ。
美人で、いつもきれいにしていて。
ピンクや赤、青、白の服も、さらっと着こなす。
料理も上手で、お裁縫もできる。
「すごいな」と思うところが、たくさんある。
だからこそ。
うまく言葉にできない“もやもや”が、
ずっと心の中にあった。
たとえば、何気ない会話の中で。
いきなり、
「東に病気の子どもあれば、行って看病してやり。西はなんだっけ?」
と聞かれることがあった。
答えられないと、少し間が流れる。
ほかにも、ことわざや四字熟語を急に言って、
その意味を聞かれることもあった。
当時はただ戸惑うばかりだったけれど、
あとから思えば、
年の離れた夫の弟が中学受験の勉強をしていて、
その影響だったのかもしれない。
悪気がないのは、わかっている。
でも、
“試されているような感覚”が、少し苦しかった。
たまに、服をくれることもあった。
焦げ茶や紫のような、
自分では選ばない色。
夫に見せると、
「おばあちゃんみたいだね」と笑われて、
相談しても「着たくなければ着なければいい」とだけ言われる。
妊娠中には、さらに戸惑うことが増えた。
プレゼントしてくれた、
義母が使っていたという、10年以上前の抱き枕。
夫の弟の名前が刺繍された、古いタオル。
洋酒入りのチョコレート。
一緒に食事をする食卓に並んだ、お寿司とローストビーフ。
お裁縫が苦手な私に、
小さなお花を作る作業を頼まれたこともある。
妊娠中に、100個以上。
できないとは、言えなかった。
つわりがひどい私を気遣って、実母が家に面倒を見に来てくれたときのこと。
義父母には事前に伝えていたが、
母はお店の営業時間中に到着したため、
接客中だった義父母には挨拶をせず、
私が住んでいる2階へ直接上がってきた。
あとから、義母に言われた。
「普通、お邪魔しますの挨拶をしてから入るものだわ。
私はここを自分の家だと思ったことは1度もないの。
まいちゃんも、自分の家だと思わないでね。」
母がいかに世間知らずかと説くその話を、
義母が座る椅子の前で、私は2時間、ずっと立ったまま聞いていた。
そして、つわりで吐いて、その話は終了した。
そういうものなのかな、とその時は思った。
でも、頭のどこかで冷たい風が吹いた気がした。
自分の家だと思うな、と言われながら、ここに入るための礼儀を求められる。
ああ、もう私の家はどこにもないんだ、と境界線を引かれたような寂しさだけが残った。
一つひとつは、
大きな出来事ではないのかもしれない。
でも。
そういう小さなことが、
少しずつ積み重なっていく。
「いい人なんだから」
「プレゼントをもらっているんだから」
そう思おうとするほど、
自分の気持ちが、置いていかれる感じがした。
義母はきっと、
自分の中の「当たり前」を大切にしている人なんだと思う。
だからこそ、難しい。
否定したいわけじゃない。
でも、そのまま受け入れるのもしんどい。
尊敬できるところも、たくさんある。
でも、苦しいと思う瞬間もある。
その両方があることを、
私はずっと認められなかった。
でも最近、少しだけ思う。
全部をきれいにまとめなくてもいい。
好きなところも、しんどいところも、
どっちもあっていい。
それがきっと、
誰かと一緒に生きるということなんだと思う。
まだ、うまく向き合えているわけじゃない。
でも少しずつ、
自分の気持ちも大切にしながら、関わっていきたい。
同じように、
家族との距離感に悩んだことはありますか?
よかったら、ぜひ気持ちも教えてください。
