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親世代の常識だけでは語れない時代になった

子どもの発達について悩むようになってから、よく思うことがある。

親世代とは、もう時代が違う。


義親の武勇伝に感じていた違和感

義親から聞く夫の話は、いわゆる武勇伝が多かった。

「勉強はできなかったけど運動神経は良かった」

「気に入らない相手がいたら乗り込んでいった」←義親が。

「そのうち何とかなった」

そんな話を聞くたびに、私は心の中でモヤモヤしていた。

もちろん、それで人生を切り開いてきたことは否定しない。

得意なことがあって、それが自信になったことも事実なんだと思う。

でも、だからといって目の前のわが子にそのまま当てはめられるかと言われたら、私はそうは思えなかった。

うちの子はうちの子だ。

同じように運動が得意なわけでもない。

同じような環境でうまくいく保証もない。

だから私はいつも考えていた。

「その成功体験は、この子に再現できるのだろうか」


パートナーの話を聞いて見えてきたこと

一方で、パートナーの話を聞いていると違う景色も見えてきた。

最初は「大丈夫だよ」「何とかなるよ」しか出てこなかった。

正直、根拠が見えなかった。

でも少しずつ話を紐解いていくと、

  • 算数が苦手だったこと

  • 友達とうまくいかなかった時があったこと

  • しんどかった時期があったこと

そんな過去が見えてきた。

そして最終的には少年団で居場所を見つけたことも。

そこで気づいた。

大人は結果を語る。

でも、その過程は案外語らない。

「何とかなった」の裏には、何とかならなかった時期もあったはずだ。

悩んだことも、失敗したこともあったはずだ。

でもそれは時間とともに薄れていく。

そして残るのは成功体験だけになる。

だから私はずっと「結果」より「過程」が知りたかった。

どうやってそこまで行ったのか。

何が支えになったのか。

何がきっかけだったのか。

それを知りたかったのは、今のわが子に必要なものを探したかったからだ。


発達のことを話したら相談されるようになった

そんなことを考えているうちに、今度は私が相談される側になった。

我が子の発達のことを周囲に話すようになると、

「実はうちも気になっていて」

「どう思う?」

「発達遅れてるのかな?」

そんな相談を受けることが増えた。

正直、周りから見てもうちの子の状態は分かっていたと思う。

「あれ?」

「ちょっと遅れている?」

「集団行動が苦手?」

そんな違和感。

でも、うちの子は誰かを攻撃するタイプではなかった。

むしろ優しいのんびりした子だった。

だから発達の話をすると、

「優しい子だよね」

「良いところいっぱいあるじゃん」

と言われることが多かった。

有難いことではあった。

でも、それと困りごとは別だった。

優しいから困らないわけじゃない。

良い子だから支援がいらないわけじゃない。

そこは何度も感じてきたことだった。


共感を求める気持ちはよく分かる

相談を受けながら、私自身も複雑な気持ちになることがあった。

もちろん気持ちは分かる。

私も同じように悩んできたから。

誰かに、

「大丈夫だよ」

と言ってほしい。

「気にしすぎだよ」

と言ってほしい。

その気持ちは痛いほど分かる。

でも同時に思うこともあった。

気になるなら、動こうよ。

保健師さんでもいい。

小児科でもいい。

発達相談でもいい。

まずは聞いてみたらいい。

私は1歳代から動いてきた。

悩みながら。

迷いながら。

それでも少しずつ動いてきた。

だからこそ思う。


子どもは成長する。だから早く動いた方がいい

子どもは成長する。

そして成長すればするほど、お互い意固地になる。

親も、

「今さら相談してもな」

と思うようになる。

子どもも、

「別に困ってない」

と言うようになる。

小さい頃は親が動けば良かった。

でも大きくなると本人の意思も入ってくる。

だから簡単ではなくなる。

だから私は今でも思う。

気づいた時が、一番動きやすい時期なんだと。


今の時代は「そのうち何とかなる」だけでは難しい

ただ、その一方で今の時代は本当に難しい。

昔みたいに、

「そのうち何とかなる」だけでは済まされない。

かといって、

発達の情報を集めすぎて、

特徴を読み漁って、

何でもかんでも当てはめるのも違う。

  • 多様性と言われる時代になった。

  • 診断も細分化された。

  • 支援の選択肢も増えた。

良くなったこともたくさんある。

昔なら見過ごされていた子どもたちが、支援につながるようになった。

でも、その一方で親の悩みは複雑になった。


親だけが持てる「天秤」

  • この子の個性なのか。

  • 支援が必要なのか。

  • 様子を見ていいのか。

  • 今動くべきなのか。

正解は一つではない。

流れに乗りすぎても苦しくなる。

乗らなさすぎても苦しくなる。

発達支援の波に飲まれて親子で潰れてしまうのも違う。

昔ながらの「そのうち何とかなる」だけで放置するのも違う。

だから結局、最後は親が天秤を持つしかない。

周囲の意見も聞く。

専門家の話も聞く。

学校の話も聞く。

本人の様子も見る。

その上で、

今のこの子には何が必要なのか。

それを考え続ける。


誰かの正解ではなく、わが子の正解を探す

正直、自信なんてない。

今でも迷う。

これで良かったのかと思う日もある。

それでも、その天秤を持てるのは親しかいない。

誰かの武勇伝でもない。

SNSが正解でもない。

専門家の言葉だけでもない。

目の前のわが子を一番長く見ている親だからこそできる判断がある。

時代は変わった。

価値観も変わった。

だから私は、昔の常識にも振り回されず、今の流行にも振り回されず、目の前のわが子を見ながら考え続けたい。

その子に合った道を探しながら、親として天秤を持ち続けたいと思っている。


まとめ

発達に関する悩みに正解はないと思う。

だからこそ、

  • 昔の価値観だけに頼らない

  • 情報に振り回されすぎない

  • 気になったら動いてみる

  • 最後はわが子を見る

そのバランスを取り続けることが大切なのだと思う。

そして、その難しい天秤を持てるのは、やっぱり親しかいないと感じて子育て終盤を迎えている。


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