「いい人」でいるのはもうやめろ。性善説という名の、世界で最も甘い自滅戦略
「日本は安全で、みんな親切だから安心だ」 「真面目にコツコツ働いていれば、いつか報われる」
私たちは幼い頃から、この国全体に流れる「性善説」という心地よいぬるま湯に浸かって生きてきた。他人は基本的には良い奴であり、ルールは自分たちを守るために存在していると、疑いもなく信じ込んでいる。
しかし、一歩この国の外、あるいは資本主義の真ん中に足を踏み入れた瞬間、その美しい思想は「いつでも剥ぎ取れる極上のカモの証明」へと変貌する。
断言しよう。 この世界において、日本人の「性善説すぎるマインド」は、強者から搾取され続けるための最大のノイズだ。他人が作ったルールを盲信し、善意を前提に動いている凡人は、仕掛ける側のクジラ(強者)たちにとって、これほど扱いやすい養分はいない。
ルールとは、あなたを守るためではなく「支配するため」にある
以前、国家のルールが嫌なら国を選ぶ自由がある(国家選択論)と書いた。また、市場にはプロが仕込み大衆がハメられる「残酷なタイムライン」が存在することも伝えた。
これらの根底にあるのは、「世界は徹底的なシステム(ルール)で動いている」という冷徹な事実だ。そして、そのルールを作る側の人間は、1ミリも性善説など信じていない。
「みんなでコツコツ投資しましょう」という政府の推奨。
「家族のために家を建てよう」という昭和の持ち家神話。
これらを「国や企業が自分たちのために言ってくれている」と受け取るのが、性善説に毒された凡人の思考だ。 だが、その裏にあるのは「大衆の現金を市場に引っ張り出したい」「地方の過疎化の道連れにする足枷をハメたい」という、冷酷なまでの「仕掛け人のインセンティブ(動機)」に他ならない。
善意の仮面を被ったルールの本質を見抜けない人間は、どれだけ真面目に生きていても、ゲーム盤の上で一生コマとして転がされるだけだ。
「騙された」と叫ぶ弱者の甘え
「信じていたのに裏切られた」 「そんな汚いやり方をするなんて思わなかった」
詐欺まがいのビジネスに引っかかった時、あるいは組織の都合で買い叩かれた時、大衆は被害者面をして叫ぶ。しかし、厳しいことを言うが、その「騙された」という言葉の本質は、自らの不勉強と主導権の放棄を他人のせいにしているだけの、最悪の甘えだ。
グローバルなビジネスや投資の世界において、基準は「善か悪か」ではない。「ルール上、合法か違法か」、そして「勝つか負けるか」だけだ。
10億を目指す男が、1億の男の言葉をノイズと切り捨てるように、あなたも「他人はきっと自分をハメないだろう」という淡い期待を今すぐ脳内から消し去らなければならない。 相手が仕掛けてきたのではない。あなたがルールを読まず、自分の人生のハンドルを相手に渡して、無防備に打席に立っていたこと自体が、最大の「機会損失」であり敗因なのだ。
「性悪説」ではない。強かに生きるための「システム思考」を持て
勘違いしないでほしいのは、私は「全員を敵だと思って疑心暗鬼に生きろ」と言っているのではない。そんな後ろ向きな生き方では、数千人の人生を背負うような大きな事業は成し得ない。
私が言いたいのは、世界を「感情(善意や悪意)」で見るのをやめ、「システム(構造と動機)」で見る強かさを持てということだ。
相手は何を目的としてその発言をしているのか。このルールの利得者は誰なのか。それを冷徹にプロットし、他人の善意という不確定要素(コントロールできないもの)に自分の未来をBETしないことだ。
日本というぬるま湯の「性善説」を飛び越え、世界の冷酷なゲーム盤を俯瞰しろ。 ルールを疑い、構造を見抜き、常に最悪のシナリオを想定しながら自分のポジションを確定させる。「完成主義」の冷徹な目で世界を見た瞬間、あなたは初めて、仕掛けられる側から「仕掛ける側」へと回ることができるのだから。
