かこといまとがみらいになる……といいですね
「仕事」のはなしばかりがつづきますが。
やはりあたまがスッキリしているうちに書いておきたいとおもうのです。まだそういうのは先だとおもっているのは、かんがえが甘いのかもしれないので。
いまの日本では、どうしたって仕事をするとなると給与所得者にならざるをえない。ほかのみちをとれる人も、今後はふえていくかもしれません。が、おそらくなくなったりはしないかと思います、給与所得者。
なにがマズいのかといわれそうですが、この給与所得者というのはお金の現実のながれからわけへだてたところにいることがおおい。じっさいに数字をみることのある部署でも、やはりお金への実感というのはうすくなりがちです。これは給与を現金でわたされるかどうかとかは、あんまり関係がない。というか、わたしもそんな経験はさすがにありません。
じっさいのお金がデータ上のなにかとしてうごきまわる時代でもあります。ここに意をくばっておかないと、なんとなく「学校」が「会社」と呼び名だけかわったような勘違いをしがち。そうなると、会社にいる人というのが生活のためにはたらいている(まずはそのはず)という感覚ももちづらく、どうしても「学生気分」がぬけない。こんなことになってしまいかねない。
というか、こんなこと書いているわたしとちかい年齢感のひとたちにも、いくらでもいました。また、これは経験上のことなんですが、都会ではたらくチャンスさえあれば、そういった落とし穴はわりとさけられるかもしれません。いいかえると、ちょっと地方なんかで仕事をしていると、おもってもいない落とし穴がまっている。
といっても、いわゆる「田舎」でがっちり仕事をしたことがあるわけじゃないのです。そういう意味では、中途半端な「都会感」のある地域のほうがまずいかもしれません。それなりに時代にあっているつもりだけど、じつはそんなごたいそうなエリアでもない。
これからさき、すでにある地域区分(関東とか中部とか)で、そういった警戒をするのもむずかしくなる気はします。
なにしろ「情報」はお金いじょうにびゅんびゅんとびまわっています。どこそこでは、というのがもう国のなかですらなくなっている。そうなると、国の中の区分なんてさほど意味も価値ももたなくなってしまうのかも。なんならすでに……。
これは、いいかえると本人次第では都会でしごとをしていても、いつのまにかなんか落とし穴のなかにいる、なんてことにもなりかねない時代がすでにきているかも、というはなしです。
そしてそんな落とし穴は、それこそ年齢性別かんけいなく、あなたがおちてくるのをまっている。
これからの時代の落とし穴は「過去の成功体験」なんかじゃなくて未来のそれ、いわば「してもいない成功体験」という、なんだか不可思議ななにかであるのかもしれません。
